Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

あれから6年も経った。3.11

2017年03月11日 | 毎日の話

千代田区の高層ビルの14階で会議中だった。大きく、ゆっくり揺れて、大きな地震だとすぐにわかった。ビルのエレベーターは管制システムで全て止まり、非常階段で地上に降りた。向かいの九段会館では大きな損傷を受けていたのを思い出す。

徒歩で神保町方面に歩き、同じく14階の事務所に戻って驚いた。事務所の中は惨憺たるものだった。その夜は事務所に泊まり翌朝なんとか自宅に戻ることができたが、巨大な津波の被害は時々刻々伝えられ恐怖さえ覚えた。あれからもう六年経った。

「ラウラ、お前は生まれてなかったよなぁ」


Laura、、、おとしゃんが遊んでくれない

2017年03月10日 | 毎日の話

ラウラ「お昼休みなのに遊んでくれないの」

お父さん「ちょっと面白い読み物があってさ。手が離せない」

ラウラ「あとで読めばいいのに」

お父さん「そんなに目を吊り上げて見なくても」

ラウラ「じゃ、アタシは寝るからね。起きたら遊んでよ」

源太郎は空返事したが、ラウラは完全に昼寝の体制にはいった。「シメシメ」

読み物というのは昭和9年4月、「日食観測の為南洋に旅して」と題して、東京帝国大学の早乙女教授の講演したものだ。

冒頭の書き出しは(旧漢字は現代の字体に替えました)「本文は先づ南洋ロソップ島の位置、気候及び風俗習慣等の概要を述べ態々かゝる遠き島に旅して日食観測を行ひたる所以を説き、更にこの観測が学術上如何に貴重であるかと言ふことを論じたものである」とある。1934年だから今から80年も前の現実の旅の話だ。読まなくてはなるまい。

のっけから、文章が心を引きつける。「来たのでありますが」、「お話をしやうと思ひます」ときたもんだ。

ロソップ島の位置の説明に「日本の委任統治」の話がでてきて、子供の時普通に使った「〇人」という言葉が抵抗なく使われている。別段違和感はないが、今こんな文章や、発言をしようものならマスコミや一部の方々に袋ただ気に合うだろう。

「これらの島は、多くは珊瑚礁でありまして、僅かに海面から4~5尺、或いは3~4尺しかない様な低い島なのであります」と説明される。今のようにインターネットで情報が氾濫している世の中なら想像はつくが80年前の聴講した人たちは、色合いやその状況が頭に浮かんだのだろうか。

「その数多い島に、〇人が5万人くらい住んでいて、日本人も2万5千人くらい居りますが、それは琉球の人たちが多数を占めて居ります。これらの島の中には支那人はいない。ご承知の通り支那人は表南洋にいたるところに居るのですが裏南洋には全くいないのであります。日本の委任統治ですから当然であります・・・・17世紀にポルトガル、スペインというような航海者がこれらの島を開発したのでありまして、結局スペインがこれを持ちきれないで、ドイツに渡し、ドイツが敗戦の結果、日本が統治することなった次第であります」 こんなことは習ったのかなぁ。

次第に、島の風俗・風習に話が移ってゆく。「この種族はどんな家族制度を持っているかと申しますと、大体一夫一婦でありますが、女性が幅を利かせている、女尊男卑であります。家も女性を標準にして組織されています。その結果として夫が死亡するというようなことがありますと、妻は実家に帰ってしまい、子供も一緒に帰ってしまう。妻が亡くなると子供は男のほうには行かないで、妻の実家に帰ってしまうというわけで、妻が標準となっているのであります」 源太郎は行きたくないね。

「物質に対する欲はなく、全く無欲でありまして、品物でもなんでも独占するというようなことはありません。生活が楽ですから、あまり欲張る必要がないとも見えるのであります」 そうか、そんな世界が当時あったのか。

そしてやっと日食の話になりますが、この観測には遠くアメリカから2人の学者が参加されたということなんですね。そして仲良く観測したというのです。まだ昭和9年ですから。

ここからは、東大の天文台長を務める教授、専門用語が飛び交いますが、我々が教えられた太陽の表面温度やコロナとか、知っている情報が大半だった。専門の話はさておき、遠く離れた島に日本人が多く住んでいた時代の話は実に面白かった。読めない漢字も多いが、それでも大抵は読める。いまの学生さんなら飛び飛びに読むしかないかもしれない。楽しい昼休みだった。


源太郎、、、Mihoちゃんと久しぶりに「うなぎ」

2017年03月10日 | 毎日の話

今朝は冷え込んだ。富士山は雲の帽子をかぶっている。

米国の友人と植樹した「甘夏の成長を一枚にまとめて」と夕方Mihoちゃんに頼まれ、チャチャチャと貼り付けておしまい。

昨夜、一日早いけど「パパのお祝いね」と二人でうなぎを食べに行った。久しぶりに美味しかった。

 


Laura、、、邪魔だよ。ちょっとどいて

2017年03月08日 | 毎日の話

ジェリー爺さんは散歩から帰って犬舎にいる。リビングのケージの寝床は「カミカミ」してボロボロにしたので、厚手のお布団を捨てられた。だから気に入らないらしい。くまモンの薄手の毛布も気に入らない。まぁ静かだからそれでもいいか。

ラウラはこの時間になって、うんちの時間らしく「ダッシ」そして「ダッシ」している。静かになったと思ったら、源太郎の机の上に座り込みを始めた「邪魔だよ。どけよ」と言っても動かない。仕方なく「おやつ」と言って立った瞬間。まっすぐにキッチンち吹っ飛んで行った。

今日の一行日記に、こんなフレーズがあった。

「Si tu es heureuse, oublie-moi; si tu es malheureuse, ne m'oublie pas.」

「もし君が幸せなら、私のことを忘れなさい。けれども、もし不幸なら、私を忘れないで」

「ラウラ、お前は幸せものだよ。だから、おやつを忘れなさい!!」


甘夏のママレードが完成したよ

2017年03月07日 | 毎日の話

キッチンからいい匂いがする。Mihoちゃんお手製の甘夏のママレード。今年は、初収穫だったので前回の試作品を含め8瓶。大型の瓶があるので普通瓶で10瓶くらいできたことになる。来年はさらに期待しよう。

ところで、今日は風が強く、日向は暖かいが、そんなに暖かくはならなかった。富士山はとても風が強いのだろう、西陽に斜面が輝き、アイスバーンのようにツルツルに見える。

さてジェリー散歩に行ってきますか。

 

 


源太郎、、、人の優しさに感謝

2017年03月06日 | 毎日の話
法務局で用事を済ませ、九段下から渋谷まで地下鉄に乗った。もちろん都内の電車は混んでいるし、皆さん携帯電話に夢中で誰もが下を向いている。
源太郎は杖をついて乗車すると、若い学生さんが、どうぞこちらにお座りくださいと、丁寧な言葉をかけて、私に席を譲ってくださった。
いや、大丈夫です。と言ったが、どうぞと手招きしてくれる。ありがたく、座らせていただくことにしたが、彼女は、直ぐに降りますから気になさらずにと言葉をかけてくれた。本当に丁寧だ。
時折、気になり彼女を見たが、結局同じ渋谷駅で降りた。降りがけに、ありがとうございましたと彼女にお礼の言葉をかけて別れたが、お気をつけて、と言葉がかえってきた。
本当に気持ちが良い一日となった。優しさに感謝です。ありがとう。

夏蜜柑を収穫!!

2017年03月05日 | 毎日の話

午前中は暖かく、息子は自分の車を、源太郎はMihoちゃんの車を洗車し、終わった後で今年初めて実った甘夏を収穫。テーブルの上に置くと、ラウラが「このみかんはアタシのもの」と言っているが、この苗木はラウラが生まれる前に植樹したので、「違うね!!」と言ってやった。


未来は早く起きる人のもの!!

2017年03月05日 | 毎日の話

あれから一時間半、二度寝しようと思っても無理だった。

太陽光は強くなり、昨日の洗車の影響は全くない(やっぱり源太郎は晴れ男)

面倒なので大抵手持ち撮影の富士山も、三脚を持ち出してちゃんと撮影。真っ青な空に白銀の富士山が輝く。

フランス流の「早起きは三文の徳」を添えて。

「みんな、起きろ!!」


土曜日ぐらいゆっくりさせてよ

2017年03月04日 | 毎日の話

フロントガラスが花粉で汚れていた。仕方なく愛車の洗車をすることにした。

源太郎は晴れ男なのだが、洗車すると必ず雨が降る。これは我が家の伝統。もちろん、Mihoちゃんが自分の車を自分で洗車(いつも洗車機だけど)しようものなら、暴風雨か雪が降るから、それに比べれば絶対にましだ。

お昼ご飯を食べて、合羽に着替えていざ洗車。洗車中、ジェリーは庭先で目を細めて日向ぼっこ、ラウラは例にもれずお昼寝中だった。やっと仕上げのふき取りが終わり、ピッカピカの車をみて「これで明日雨なら馬鹿野郎と言ってやる」と片づけを済ませて珈琲タイムとなった。

ラウラはまだ寝ているし、太陽を浴びて疲れたジェリーは犬舎でお昼寝している。

「よし、二人とも寝ているし、Mihoちゃんも外出しているので、まじめに音楽が聴ける」

二年半ぶりにCHOPINのピアノソナタNo.3、ロ短調作品58のレコードテープ(キングレコード)を聴くことにした。

ゆっくりできるなぁと思っていたら、Mihoちゃんがご帰還。二人とも「お留守番していたよ」と挨拶して、源太郎に「おやつ(ラウラ)」、「散歩に行こうよ(ジェリー)」

仕方なく、散歩にでかけることにした。

「今日はさくらちゃんいるかなぁ」とホイホイ歩く。すると庭先でさくらちゃんと久しぶりにご対面。

「おお、さくらちゃん太ったなぁ」、「病気して子宮から一式摘出したらこんなに太っちゃった」とご主人。

「さくらちゃん。鼻の頭が剥けているよ」、「もぐらの穴に鼻を突っ込むんで治らないんですよ」

なんと元気な女の子だ。鼻を突き合わせて挨拶してバイバイ。それからは歩きたくないから、五米歩いてはストップ、十米歩いてはストップ。

やっと帰ってきたらもうくたくただ。それをぬくぬくしていたラウラ「何してきたの」と見つめていた。

 


Laura、、、TANGOは好きかい?

2017年03月04日 | 毎日の話

「幸せは私を退屈にさせることはない」、120年前に生まれた詩人のモンテルランの一節。

ラウラにとっては、ぴったりの言葉に違いない。幼稚園の園長先生に保護され、源太郎が一目惚れして我が家の一員になった彼女。やりたい放題だし、さみしがり屋だし、いたずらも天下一品だが、寝ているラウラを見るとこんな言葉がぴったりに思う。もう少しダイエットすべきだろうが、まぁ本人が気にしていないからそれでよしとしよう。

 

久しぶりにMILVAのTANGOの1968年録音の音源を聴いている。「Quest tango(La Cumparsita)」から始まる。とてもゆっくりな歌い出し、「Guardando intorno a te」、「Il cantastorie col bandoneon」、、、と続く38分ほどの音源だから2トラ38のテープの限界の長さで録音されていた。テープ箱の裏の曲名も下手なアルファベットで綴られている。今見るとこれじゃ字じゃないと言いたくなる。

 

このテープは、歳の離れた兄の7インチテープ録音盤を10年くらい後に借りてダビングしたものだと記憶しているが、今聴くと歪みもなくちょうどいい感じだ。高速に回るリールが時間を忘れさせてくれる。この時代から源太郎はMILVAやMINA、IVAなどの歌手の曲を聴くようになった。

 

小学校高学年か中学生だっただろうか、親父から譲り受けたカメラやラヂオをいじりまくり、三球スーパーラヂオを組み立ててよくラヂオを聴いた。憧れの同調を示すマジックアイ真空管が欲しかったが、それを組み入れる知恵もなく、ノイズが多いラヂオから流れてくる洋楽を聴いた。

ハンダコテを巧みに使えるようになって、大抵のことは修理することができ、たまにショートさせたり、感電したこともある。

 

テープを一本聴き終え、和室の本だらけ部屋に戻り、このブログの記事を書いていると、いつのまにか椅子の下にちょこっと座っているラウラがいる。

「何しているの。寝ていたんじゃないの」と聴いても「無言」

「おやつが欲しいの」と聴いても反応しない。

「あっ、そうか。いつも一緒に寝ているジェリーが犬舎に入ってしまったから寂しいのか」

「無言」

「仕方ない、ここにいなよ。でも遊ばないよ」

ラウラは、足元に流れる温風を正面に受けて座っているので、抱きかかえてタイプ打ちとなった。