この春の遠野市内における城館跡探訪のメインとの位置付けである花館(青笹町)の調査報告書的な内容を本編サイト「遠野・松崎じぇんご弐」遠野阿曽沼氏、舘と舘主その光と影に追加いたしました。
4月となってから2度、5月初めの黄金週間に1度、計3度の探訪調査を実施、無論調査といっても発掘するでもない・・・他人様の山林ですから、そんなことはできませんし、発掘のノウハウは知りません・・・汗
よって、見学という内容でもあります。

土淵町飯豊からみた花館のある山野・・・4月15日撮影の画像

舘の八幡様・・・南側中腹

舘跡南側の空堀跡と土塁
今回、3度の探訪を経てなんとかその報告書的な概要をまとめることができましたが、全4ページ、後半の2ページがその考察でもありますが、その主体は私の妄想でして、真に迫るとの歌い文句ながらも、実は滑稽でお粗末な内容となっているものと思います。
ただ、このことは今現在の思いであり、今後の探訪の継続、資料や伝承収集により、さらなる変化もあり得ることでもあります。
いずれ史実は闇の中・・・・でしょう。
こちら
ご覧になられました皆様のご感想、ご意見、さらに花館に関する情報等は、当ブログのコメント欄または本編サイト掲示板にいただければうれしいです。
4月となってから2度、5月初めの黄金週間に1度、計3度の探訪調査を実施、無論調査といっても発掘するでもない・・・他人様の山林ですから、そんなことはできませんし、発掘のノウハウは知りません・・・汗
よって、見学という内容でもあります。

土淵町飯豊からみた花館のある山野・・・4月15日撮影の画像

舘の八幡様・・・南側中腹

舘跡南側の空堀跡と土塁
今回、3度の探訪を経てなんとかその報告書的な概要をまとめることができましたが、全4ページ、後半の2ページがその考察でもありますが、その主体は私の妄想でして、真に迫るとの歌い文句ながらも、実は滑稽でお粗末な内容となっているものと思います。
ただ、このことは今現在の思いであり、今後の探訪の継続、資料や伝承収集により、さらなる変化もあり得ることでもあります。
いずれ史実は闇の中・・・・でしょう。
こちら
ご覧になられました皆様のご感想、ご意見、さらに花館に関する情報等は、当ブログのコメント欄または本編サイト掲示板にいただければうれしいです。
歴史の表舞台に殆ど出てこない幻の舘?
度重なる調査の結果を先ほど拝見いたしました。
地元でありながらその価値すら知らなかった事に
恥ずかしくもあり、今回の調査に多少なり関わった事に感謝申し上げたいと思います。
現時点での考察は郷土史を制覇せねば出来ない貴重な推論であります。資料が少ないとは言え、見事に時代背景を被せ、マニアの域を越えたものだと思います。
今後も時間をかけ、完成度が増してゆく事を祈念申し上げます。
何度読んでも把握するには郷土史的基礎体力(勉強)を付けないといけないんだと自戒。
第一弾の資料としては重過ぎるくらいの見事な物だとタダタダ感心致しました。
お疲れ様です、そしてありがとうございます。
発掘調査等が待たれますね、文化課にでも進言してみますか?・・・できる協力はしていきたいと思います。
早速のコメントありがとうございます。
なかなか表面的な歴史といった内容ではなく、もしや・・・とする完全なる裏づけがされていない伝承含みの内容を主に展開させました・・・・。(南朝の貴種等)
しかし、それらの伝承に十分当てはまるような雰囲気、口伝ではありますが、それらしいものも残されていること・・・これはかなり行ける周辺地域の歴史でもありそうです。
大部分は私の妄想、想像が主といっても過言ではありません、しかし、何かしら見えそうな予感もいたしますので、事あるごとに色々とご尽力をお願いしたいと思います。
発掘調査が入れば、これはある程度その歴史は解明されるものと思います。やってほしいという反面、少し有名になるのも・・・・でも史跡として何かしら後世に残す、伝えるということは絶対しなければならないと思います。
さて、お礼のこと、前回も色々と匂わせておきながら何もできずすみません。
いずれポンプ操法大会に区切りでもつきましたら必ず何かしらアクションを起こしたいと思ってます。
花館に関してはromiさんが興味を示してくださったこと、これが一番でもありますから・・・・。