遠野郷土史分野調べでのフィールドワークのひとつとしている遠野の城館跡探訪、熊のぷーさんも活発的に出歩き、間もなく新緑の季節となり山野徘徊は少し辛くなりますし、遺構も見え難い状況でもあり、来る晩秋、初冬のシーズンの再開まで、一応、ひとまず終了となります。
今年は暖冬で1月、2月は積雪がなく、早くから探訪を開始、地元松崎町内の館跡の再訪で要図を作成、幸先は良かったのですが、新規の館跡探訪が思わず伸びず・・・・
森下館(上郷)・長洞館(遠野)・角地山(附馬牛)・大野館(附馬牛)・大萩大館、小館(附馬牛)・愛宕山館(綾織)の6箇所のみに留まりました。
大萩大館の空掘跡

160余の遠野の館跡、阿曾沼時代と思われる館跡、100程度は、なんとしても早期に探訪調査を・・・・と思うもなかなか数が伸びませんが、それでも今まで50箇所近くは一応探訪、まだ見ぬ館跡との出会いを楽しみに次シーズンに備えたいと思います。
大萩大館からみた石上山

それと時折、ほんの僅かな時間でしたが、かつての森林軌道跡、地元駒木の探訪を実施、こちらも晩秋辺りから再開し、附馬牛町方面へと続く予定です。

間もなく、来月末には本編サイトである「遠野・松崎じぇんご弐」が開設6周年、「奥州虎猫舘・遠野南部氏物語」が5周年となります。
本編サイトでは6年の集大成として「私論、遠野阿曾沼氏」、遠野阿曾沼氏とは・・・・のテーマにて追記予定です。
また遠野阿曾沼家臣団を加筆中でして、来月末には追加の予定です。
さらに遠野南部氏物語では、遠野南部士族名簿一覧を追加してから、更新は停滞しておりますが、7月に八戸訪問予定であり、この時に根城八戸氏(遠野南部)が遠野へ入部する際の八戸近辺のルートを調査する予定でして、こちらをご紹介の予定です。
ブログ全盛時代ながらも、本サイトの方も見やすいように改善を加えながらも今後も展開させていく所存ですので、よろしくお願いします。
今年は暖冬で1月、2月は積雪がなく、早くから探訪を開始、地元松崎町内の館跡の再訪で要図を作成、幸先は良かったのですが、新規の館跡探訪が思わず伸びず・・・・
森下館(上郷)・長洞館(遠野)・角地山(附馬牛)・大野館(附馬牛)・大萩大館、小館(附馬牛)・愛宕山館(綾織)の6箇所のみに留まりました。
大萩大館の空掘跡

160余の遠野の館跡、阿曾沼時代と思われる館跡、100程度は、なんとしても早期に探訪調査を・・・・と思うもなかなか数が伸びませんが、それでも今まで50箇所近くは一応探訪、まだ見ぬ館跡との出会いを楽しみに次シーズンに備えたいと思います。
大萩大館からみた石上山

それと時折、ほんの僅かな時間でしたが、かつての森林軌道跡、地元駒木の探訪を実施、こちらも晩秋辺りから再開し、附馬牛町方面へと続く予定です。

間もなく、来月末には本編サイトである「遠野・松崎じぇんご弐」が開設6周年、「奥州虎猫舘・遠野南部氏物語」が5周年となります。
本編サイトでは6年の集大成として「私論、遠野阿曾沼氏」、遠野阿曾沼氏とは・・・・のテーマにて追記予定です。
また遠野阿曾沼家臣団を加筆中でして、来月末には追加の予定です。
さらに遠野南部氏物語では、遠野南部士族名簿一覧を追加してから、更新は停滞しておりますが、7月に八戸訪問予定であり、この時に根城八戸氏(遠野南部)が遠野へ入部する際の八戸近辺のルートを調査する予定でして、こちらをご紹介の予定です。
ブログ全盛時代ながらも、本サイトの方も見やすいように改善を加えながらも今後も展開させていく所存ですので、よろしくお願いします。
ほんと、確かにこれからの山歩きは容易でなくなりますね。
虫も出てくるし・・・・
オラホでは、既に山の緑が生え揃って初夏の様相です。
蛙も合唱していますし、気温も高かったり低かったり・・・・
連休が終わると、晴れれば本来は最高の季節なのですが、スッキリ晴れの日に出会う確率が減って参ります。
そちらは、我が町とは半月程遅れて田植えの季節となるそうですね・・・・がむばってください。
クマですよね…。私も先日寺跡を見に行った際は、山中ではないにしてもかなりおっかなかったです。
しかし、軌道跡を探っていくと、また違う遠野が垣間見られて面白いです。
小烏瀬川をどの辺りで渡っていたのだらうか?
圃場整備がされていて昭和52年の空目ではもはやトレース不可能ですね。昭和20年代のメリケン写真は谷地あたりで切れているし・・・
今日も飲兵衛~の笛吹は、無言で眠るのみ~!は~お~!
フフフ、谷地から小烏瀬川まではほぼ水路に沿ってが正解かと。上の写真でも水路からまっすぐ小烏瀬川を渡る様に線を引くと虎猫さんの引いた線に継るでしょ。
ただ、小烏瀬川辺りの水路は現在の農免道とはちょっとズレてますね。
私も空中写真とか地図の活用にはまったひとりでもありますが、numakoさんのサイトをみて驚愕したんですよ。
これならわかりやすいと・・・・・鉄もnumakoさんや山猫さんの影響といっても過言ではございません。
私の場合は森林軌道を順番に探訪ということにしまして、軽便鉄道はお任せです。
間もなくこちらも田植時期となりますが、この田植時期は子供達の運動会に重なるんですよね、まあ、小学生は卒業したので、いいとして、さらに結構寒い日もあったりと・・・・これを過ぎればいよいよ陽も長く、暑くも無く寒くもない、いい気候となります。
精力的な地元での調べ、恐れ入ってございます・・・笑
先日、遠野物語研究所の先生からメールが来まして、土淵の若者で色々と精力的に調べている人がいるそうですが、教えてくれませんか?と問い合わせが参りました。
いずれ、頑張って下さいと書かれてましたので、今後共調査の継続と途中経過もいただければ・・・と思います。
熊のプー権現、山野徘徊は、やはり一般人より出会う確率が非常に高いものですから、わざわざ進んで会いに行っているようなもの、ここで一旦休業となります。
古道もそういえば少し調べてました・・・こちらも並行でとなりそうですね。
小烏瀬川に関しては、最近思い出したのですが、少年時代川遊びをしたところに石製の止があって、かつては橋の土台だったのではと思われる形であったことを思い出しました。
上の写真では、赤い点線の下の端から斜め左下へ辿ると川を越え、谷地方面から斜め真っ直ぐに見える道がありますが、その先の川にその石の止めがありました。
ルートはおそらく・・・かと思います。