市村(旧遠野市・旧宮守村)合併以前の常備消防は昭和48年発足の遠野地区消防事務組合でありましたが、平成17年10月での市村合併により遠野市消防本部となり現在に至っております。
昭和48年以前は旧遠野市単独の遠野市消防本部であり、その消防庁舎は鍋倉山下にあって、現在の「あえりあ遠野」さらにその前は遠野市民センターの広場辺りにあったと記憶しております。

旧遠野市消防本部遠野消防署庁舎
画像の消防庁舎時代に職員に採用された上司がこの春、3月末日を以て退職されます。
この時代を知る唯一の現職でありましたが、何処かひとつの時代が終わりを告げるといった思いがしております。
内容的に何かの節目とかそんな事ではないのですが、退職される上司には今現在の庁舎での思い出と共に、かつての庁舎での思い出もあるのだろうな・・・なんて勝手ながら思ったりして・・・・。
向かいには望楼があって、こちらは平成に入ってから取り壊されたと記憶しておりますが、組合消防以前からの先輩方は望楼勤務を経験され、特に真冬の望楼勤務での過酷さ等を聞かされた記憶もございます。

近年の望楼が写っている画像はこちらをご参照願います。
さて、昔の消防署、昭和48年には遠野市民センターとなり、さらにホテルあえりあ遠野が建って、かつての薄い記憶があっても、はて?どの辺りだったのか?
古写真から辿れば、唯一銀杏の木が確認できる。




もう少し山際かと思ってましたが、あえりあのレストラン部分が残された銀杏からしてかつての消防署が建っていた場所であろうと推測できます。
西側には遠野小学校(西小)の校庭、校舎がありました。

昭和29年(1954)一町七ヶ村が合併して遠野市が誕生。
昭和30年消防団常備部を開設。団員4名常勤
昭和31年11月 遠野市消防本部を新設、職員5名
昭和34年4月 常備部を廃止し遠野市消防署を新設 職員6名
昭和48年以前は旧遠野市単独の遠野市消防本部であり、その消防庁舎は鍋倉山下にあって、現在の「あえりあ遠野」さらにその前は遠野市民センターの広場辺りにあったと記憶しております。

旧遠野市消防本部遠野消防署庁舎
画像の消防庁舎時代に職員に採用された上司がこの春、3月末日を以て退職されます。
この時代を知る唯一の現職でありましたが、何処かひとつの時代が終わりを告げるといった思いがしております。
内容的に何かの節目とかそんな事ではないのですが、退職される上司には今現在の庁舎での思い出と共に、かつての庁舎での思い出もあるのだろうな・・・なんて勝手ながら思ったりして・・・・。
向かいには望楼があって、こちらは平成に入ってから取り壊されたと記憶しておりますが、組合消防以前からの先輩方は望楼勤務を経験され、特に真冬の望楼勤務での過酷さ等を聞かされた記憶もございます。

近年の望楼が写っている画像はこちらをご参照願います。
さて、昔の消防署、昭和48年には遠野市民センターとなり、さらにホテルあえりあ遠野が建って、かつての薄い記憶があっても、はて?どの辺りだったのか?
古写真から辿れば、唯一銀杏の木が確認できる。




もう少し山際かと思ってましたが、あえりあのレストラン部分が残された銀杏からしてかつての消防署が建っていた場所であろうと推測できます。
西側には遠野小学校(西小)の校庭、校舎がありました。

昭和29年(1954)一町七ヶ村が合併して遠野市が誕生。
昭和30年消防団常備部を開設。団員4名常勤
昭和31年11月 遠野市消防本部を新設、職員5名
昭和34年4月 常備部を廃止し遠野市消防署を新設 職員6名
公民館があり、遠野小があり、裁判所があり、
小動物の檻があり、その中に小鳥や亀、雉がいた記憶があります。桜の季節は花見で賑わった鍋倉、町民運動会は校庭で・・記憶が蘇りますね~村○のナマコ壁もあったな~ぁ
消防署裏に小学校、向いに裁判所、鳥なんかが飼われていた檻は記憶がございます。
小学校の西端の角に館林歯科医院、川を渡っての向かいにバスセンター・・・がありましたね。
校門から入る昇降口は一・二・三年生だったキガス
あとの学年は講堂手前の昇降口から学校へ入りましたね(ンダンダ
ワダグジのてりとりってことで(ダカラナンナノ:笑
んでも消防署も望楼も公民館も檻も記憶の中にはっきりと残っております。
そうでしたか、かつての西小に通っていたのですね。
町には西と東の小学校があって、児童数も多くてまさに駒木からみれば、都会の学校といったイメージでもありました。
続石、お嬢様でやんすね・・・笑
東と西の学区というのはどうなっていたのでしょう・・・大工町や六日町、下組町は西というのはわかりますし、遠野町や東舘が東・・・では松崎町の白岩や早瀬は・・・?いずれ町中にふたつの学校、昔は子供が多かったというのが十分わかります。