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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野菊池一族・序

2008-06-19 22:39:04 | 菊池氏

 北東北もいよいよ梅雨入り、長い梅雨が明ければ本格的な暑い夏がやってくるはず、昨年は猛暑、酷暑であったが今年の夏はどうなるのか?秋の実りは?・・・まずはそれほど鬱陶しくない梅雨であれば・・・と願っております。


 さて、郷土史関連での三本柱「遠野阿曾沼氏」「遠野南部氏」そして阿曽沼時代に付随するも「遠野菊池一族」・・・・菊池一族というよりも菊池姓探求といった内容でもありますが、この菊池姓探求関連もひとつの懸案といった位置付けでもあります。

 本日、何か遠野の菊池姓関連での新発見はないものか?微かな期待を込めて市の図書館に午後行って参りましたが、蔵書としての書籍、資料は以前から知っているものばかりでこれといった内容を得るということは難しいかな、なんて思いながらも再確認といった意味合いでも新発見はよくあるもの、そう言い聞かせて書棚を物色していると・・・・・。


遠野菊池の会刊行・・・・



 以前見たことはあったけど、昨年辺りか?・・・ツラツラと頁をめくると九州は熊本の菊池一族の系図やら、菊池姓研究の先生方の書籍を参考にしたと思われる内容が目に留り、それほど詳しいものではないな・・・なんて判断してしまい眼中になかった書籍でもありました。

 しかし、今回、よくよく読んでみると、これがどうして・・・なかなか・・・な内容が・・・・特に民俗的分野からの簡略ながらも考察が加えられていたり、興味ある内容が記述されている。
 全く、中身もよく読まないで見た目だけで判断してしまっていた自分が情けないと反省しているところです。


 私の遠野菊池姓の探求では、どうしても歴史的な何かに走りがちであるが、民俗分野からの切り口も実は必要であると痛感しているところで、そのひとつに熊野神社と菊池一族という関係がひとつのキーワードであると考えておりました。

 この書籍では、この分野も網羅され考察もなされており、私の今後の探求がひとつ省かれた思いもあって、まさに少しだけ驚いております。


 遠野の熊野神社(旧遠野)

 金比羅神社(早瀬)・・・松崎町光興寺の熊野社を合祀
 松崎町・・・熊野三山(白岩)
 綾織町・・・2箇所、石上神社・熊野神社(新里)
 附馬牛町・・4箇所、熊野神社(沢の口)、(大萩)、(下附馬牛熊の林)、(大袋)、(附馬牛安居台)
 土淵町・・・4箇所、高山神社(栃内恩徳)、熊野神社(山崎)、(山口)、(飯豊)
 青笹町・・・1箇所、熊野神社(中下)
 上郷町・・・3個所、熊野神社(佐比内)、(板沢)、(細越)
 小友町・・・篠神社(土室)

 以上18社とあるが、他にもまだありそうな気配、岩手神社登録では上郷町佐比内と宮守達曽部、そして釜石の橋野、栗林の熊野神社が旧上閉伊郡としては4箇所のみ登録されているという・・・。「菊池一族の誇り」掲載を引用参照。

 ここでの考察では、遠野における菊池姓繁華の地での熊野神社は極めて少ないこと、現代感覚を脱ぎ捨てて少し昔を想像しても菊池一族との接点を求めるには乏しい内容でもある。

 菊池姓が少ない附馬牛町に4箇所の熊野神社、逆に多い小友や青笹には1社、これは何を意味するのだろう・・・・。
 一部、土淵町の菊池姓の多い地区、飯豊に熊野神社があるということは少しばかり頷けることでもありそうで、花館を有する青笹町沢田地区との隣接を考えれば、これはこれで納得という場面もありますが、それでも全体的には菊池姓と熊野神社との関わりは見えて来ない。


 土淵町栃内(山崎)






 熊野三山と中世遠野領主であった阿曽沼氏との関連は資料等では確認できるようですが、少なくても近世での遠野菊池一族と熊野神社との関わりは見えてこない点、これはひとつの発見でもあり、納得せざるを得ない内容でもありそうです。

 無論、これはあくまでも遠野での内容のこと、紀州熊野と菊池一族の関わりは資料等でもある程度明らかになっていますので、さらなる研究は必要でもあります。


 今回は知る人ぞ知る、知らない人は知らない「遠野菊池の会」で刊行した書籍を基に少し考えてみましたが、今現在みる遠野の菊池姓関連の著書ではかなりいい線を行っている書籍であると思います。
 これは今後活用しながら、自分でひとつひとつ確かめながら菊池姓探求に役立てたいと思っているところです。


 弐も後日エントリー予定です。



 
 おまけ・・・・

 増改築工事にて床下部分・・・・コンクリートを流し込んで後は乾くのを待つのみということで、大工さんが少し早めに帰られましたが・・・・・汗・・・これは・・・・。




 ありゃ・・・汗





 東京浅草の有名芸人やアメリカハリウッドのスター達の足跡や手形がありますが、ネネがやはりやってしまった・・・・笑

 数十年後、息子が家を建替える時に今の家を取り壊す際に当時の飼猫であるネネをきっと思い起こすに違いない・・・・笑


陸奥菊池氏の謎

2006-06-16 15:42:05 | 菊池氏

 以前にも遠野の菊池姓に関して少し触れたことがございましたが、郷土史関連にての花館(本編サイト松崎じぇんご弐)を妄想的ながらアップした際も、その考察は菊池氏を主に展開させた経緯がございます。

 遠野の菊池姓・・・・私も菊池を名乗っておりますが・・・。

 遠野では・・菊池姓は馬の糞・・・失礼・・・今時、馬の糞を探そうともそこら辺に落ちているものではない・・・笑・・・また、群衆に向かって小石でも投げれば菊池さんに大当たり・・・違ったらどうするんだ、佐々木さんに当たったらどうするんだっ・・・笑・・・。

 ということで、私の歴史関連の調べの中でも菊池姓に関する事柄に迫るということはひとつの懸案事項でもありますし、他の郷土史関連と並行しての調べながら今回、これまた妄想的ながら若干記述したいと思います。


遠野地方における菊池姓の方々が使用する代表的な家紋
「並び鷹羽」「丸に違い鷹羽」・・・並び鷹羽は菊池姓の本家とされる家が使用ということですが、この家紋を使う家は稀であるというか、極少ない。

 丸に違い鷹羽は、菊池家の分家が使用といわれるが、総じて遠野ではこちらの家紋を使用している。

 まっ、歴史的考察も必要ではありますが、民俗学的な調べも必要であり、一概にこれだっ・・というところまでは行き着いていないのが現実でもあります。

 さて、本題・・・・。

 伝説めいた内容ながら、菊池一族は九州肥後の名族、菊池氏(熊本県菊池市)が南北朝時代、南朝系の後胤やら公家の子息等を守って奥州下向と伝えられる。
 菊池一族の遠野への流入は八戸からとか、江刺からとか・・色々と説も存在するが、奥州市江刺区(旧江刺市)からの流入が今のところその可能性を導きだせる内容も存在し、何よりも江刺もまた遠野並み、いやっ、それ以上の菊池さんが多い土地柄、何かしら関連性はあるものと思っております。

 そこで、今回はまだまだ核心に迫る段階に至らずも、江刺関連からの考察を・・・。
 江刺の菊池氏といえば角懸(つのかけ)菊池氏、江刺の玉里地区をはじめ、結構江刺氏臣の舘主に菊池氏が居たことが語られている。
 その角懸菊池氏関連の系図「和賀立花系・菊池氏系譜」 の存在があるという。
 
 その系図に「武義」なる人物が記されている、没年は応永34年(1427)とされる。
 武義・・・菊池武義・・・以前何処かで目にしたような・・・そういえば「近世古文書館」に八戸関連でご教授をいただいたことがありましたが、その際に主宰の工藤先生から、八戸の櫛引八幡宮に奉納されている重文「唐櫃入白糸威肩赤同丸(からびついりしろいとおどしかたあかどうまる)兜、大袖付」の唐櫃に「菊地武義」の名が、おそらく最初に奉納した武将であろうということ・・・の情報をいただいたことがありました。


青森県八戸市 櫛引八幡宮


白糸威肩赤銅丸

 唐櫃にある菊地武義・・・池が地との違いはあるが、応永24年7月1日の日付が書き込まれているという・・・。

 詳しくは私はわかりませんが、もし八戸での菊地武義なる人物が江刺角懸菊池氏の祖、菊池武義なら・・・・甲冑を奉納した応永24年、没年の応永34年、どこか点で結ばれそうな、そんな考えも成り立つかもしれません。

 八戸から江刺へ・・・そして遠野へ・・或いは石巻~遠野~八戸(糠部郡)~江刺~遠野・・・・少し菊池姓の謎解きに自分としての動きがありそうな予感が・・・。


 おまけ・・・・気になるもの


 かなり以前から凄いなあ・・と思ってました。
 スパッと刈り込まれた際は、今にでも海原に漕ぎ出せそうな・・感じ・・。

 さらにおまけ・・・

 今日のネネ・・・。


 今日も日中はいつものポーズでお昼寝・・・。

 



遠野菊池党

2005-04-24 19:08:03 | 菊池氏

小生にとっては連休最後の日、昨日の寒の戻りとはうって変わってスッキリと晴れ渡った。
そんな中、気になる史跡等があって、先日にひきつづき土淵のとある集落に足を伸ばしてみた。
同僚の家が二件向かい合っている場所があるが、どちらかの家に車を停めさせてもらおうと、静に走っていると、以前見なかった説明版を発見、早速画像におさめていると、道の先から視線を感じる、近所のおやじさんがこちらをずっ~と見ている。・・・まだ見ている、そんなにカメラを持っている人間が珍しいのか、それとも不審者に見えたのか、その場から帰るのもなんだから、行って史跡の場所でも聞いてみようということで、まずは車を道端に停車、すかさず車から降りると、そのおやじさんが、「おっ、おめえ、どっこからきたあ」私、「えっ~と、駒木です」おやじ、「おめえ、駒木の政人のむすごだべっ」私「ほだっ」おやじ「おやず、そっくりだと思ったがら、・・うんだべえ・・やっぱなあ~」私(大きなお世話だと思う)おやじ「こんたなむがすっこのごと、すぎなのすか」私「すぎだす」・・・そのおやじさんに親切にも史跡の場所、その他の見所と解説をいただき無事に探訪終了とあいなりました。

さて、サイト仲間の方から表題の書籍情報をいただいた「遠野菊池党」・・その方曰く私のためにあるような本ですね・・そのとおりなので、すぐに調べて花巻に行くという義妹に頼んで買って来てもらった。しかし、少々高い、4800円だっ。
ちらちらとまずは見てみたが、かなり踏み込んだ内容だ、参考資料、図書も膨大で、少し飛躍した考えも記述されている、遠野阿曽沼氏の関連も詳しい、拙サイトを参考にしたのでは・・思う記述もあるが、そんなはずはないですね、小生の説にも内容が近い・・・。
この一冊、遠野の菊池さん、その近隣市町村の菊池さんは必見かもしれない、浪漫は膨らむ内容でもありますし、この書籍の批評、批判をしつつ内容に沿って調べるのもまた新たなる発見があるかもしれないっ、しかし、ついに私の目指すもののひとつが出てしまったか、残念ではありますね。


菊池姓

2004-12-09 20:16:07 | 菊池氏

本日は週休、雲ひとつ無い快晴の一日。しかし午前中は仕事上の会議、午後は町内史跡めぐりの絶好の日和だったが、テレビを観ているうちに眠ってしまった。なんともったいない日を過ごしたものか・・・。

さて、私は菊池姓である、私の住む遠野は四人に一人は菊池姓といわれている。学校でもクラスの三割は菊池姓であったので苗字で呼ばれることはなかった。
何故に遠野に菊池姓なのか、何度か調べてみた経過がありホームページでもいくつか取り上げているが、未だ古い家、すなわち遠野での菊池姓を古くから名乗っている家、財産があった家は調べてみたことはない。資料や書籍での調べが主でもありました。
菊池姓については今後の懸案事項でもありますが、まずは全国の菊池姓の方々とのネットを通じての交流、情報のやりとりを通じて徐々に調べを狭めて行きたい、それと平行して地元での調べも進め、何かしらの進展をみたい、これがひとつの思いでもあります。
とにかく菊池姓、昔はこんな苗字、ありふれて嫌だったが、今や誇りに思え、特に九州南朝の忠臣、菊池一族の流れが何かしら関連あると思うとその由縁に浪漫さえ感じる今日この頃である。