しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

放送大学でレッジョ・エミリアのことが

2014年01月23日 00時10分38秒 | 学習・教育関係

1/20の放送大学の「産業とデザイン」の授業で都市の産業発展に寄与している幼稚園教育のひとつとしてイタリアのレッジョ・エミリアの幼稚園を紹介していた。

2012年ワタリウムが企画した「驚くべき学びの世界」を観に行ったことがあります。子どもたちの好奇心にストップをかけず、感性を伸ばしに伸ばす幼稚園でした。ああ、子どもは大人が引き止めなければ、自分で自分の才能に気付きながら、遊びながら、楽しみながら天才を伸ばしていく様子が展覧会の展示物や映像で紹介されていました。

一例として階段を上ったり降りたりするとき、はいている靴によって音が違うということに気付いた子どもがいて、そのことが仲間の子どもに広がって、いろいろな靴で音を試したり、お互いの靴を交換して試したりするようになっていきました。

さらに子どもたちは、その異なる靴音を言葉に直し、さらに、その音を絵に描いて視覚化するということを始めたのです。

放送大学の授業の中で(全てが正確ではありませんが)こういう言葉が心に残りました。

「子どもたちは生まれながらに100の言葉や物語を持っているのに、大人がそれを奪っている。」

子どもたちが自分で考え、自分で答えを見つけ、自分がどうすれば幸せに成れるのか、自分で選択するようにしむけることを意味していると思います。日本では子どもが怪我しないように、汚れないように、危険にさらされないように、親が制約を作っています。世界は危険がいっぱいです、リスクだらけです。その中で、自分の目標をちゃんと立て、それを実現するのに何が必要かを理解し、時間をかけてでもそれを実現するような大人になるために、自分が何をしていることが楽しいか幸せな気分になれるかを知ることが必要なのだと思います。

そういうことを色々試させてあげることが、大人の役割なのだと思います。受験勉強は、国や教育機関や教育者と呼ばれる人たちが点数をつけるための制度なのですが、点数をつける側が楽して点数をつけるため制度です。

英語の発音が良くて外国人に分かりやすい英語を話せてコミュニケーションがとれる子より、試験の(  )に正解の言葉を書ける子のほうが英語能力が高いとされるのが日本の(受験中心主義)教育です。

そろそろ、40年も無駄に遅れた人を幸福にしない日本の幼児教育を、世界に通じる幼児教育に方向を修正していかないと、さらに、日本が取り残され、孤立していくと思われます。

 

この番組では他にもいろいろな幼児教育を紹介してしていました。

ドイツの自然の中で遊ぶことでデザイン感覚を育てているドイツのフライブルグや

デザイン力を育てるフィンランドやスェーデンの例があり。

そういう教育から生まれた企業として

デザインを売りにした3社が紹介されていました。日本のデザインを育てる機関として

が紹介されていました。日本には世界に誇れる職人たちが五萬といます。そういう職人たちと遊ぶだけで良いと僕は思います。職人たちの仕事振りを見せ、いっしょに何かを作る遊びをすればいいのです。

世界中で人殺しのドラマを大量に作って垂れ流しています。しかも猟奇的な奴を。ゲームも誰かを殺すか壊すものばかりです。誰も創ったり育てたりすることをドラマやゲームにしません。友達同士で協力して素敵なものや事を自分たちで作り出して体験する教育を日本もそろそろなすべきです。

参考までに2012年の「驚くべき学びの世界展」に行ったときの僕のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/0b640c9465d2dc4f1cdc7cdae01dc3d7


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