しまちゃんの愛し糸島ブログ

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志摩歴史資料館のこと

2017年07月26日 01時29分04秒 | ニュース・テレビ関係

25日の西日本新聞より

よく考えてみれば、僕はこの志摩歴史資料館の常設展をみたことがありませんでした。今度ちゃんと観に行こうと思いました。

明治時代の考古学会では日本の歴史では、縄文時代の次は古墳時代でした。上述の中山平次郎さんが縄文時代と古墳時代の間に、明らかに前後の時代と異なる文明を持った時代があることを発表しましたが、中央の当時の考古学会はそのことを認めようとしませんでした。中山先生が九大の医学部の先生であることから、考古学や歴史研究家としての研究を認めようとされなかったようです。しかし、東京大学の近くの弥生地区で明らかに縄文や古墳時代の土器や遺物と異なる文明の遺物が大量に出てきたことから、東大を中心とする中央の学者さんたちが弥生時代と名付けてその時代を特定したそうです。中山先生は今宿の今山の石斧工場の遺跡にも調査に来られていたようで、大量に九州北部を中心として流通したと思われる同じサイズの磨製石器である石斧の存在が、中山先生が縄文と古墳時代の間に別文明の時代がある説をとなえる根拠の一つとされたようです。大内士郎さんの受け売りでした。ちなみに、この今山の石斧の制作工程を原田大六さんが研究採集したものが、糸島高校の歴史博物館で見ることができます。