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地域に根ざす「神社」

2017-12-11 12:24:50 | 日記

富岡八幡宮で、不幸な事件が発生し、神社
そのものへの報道と関心が広がっている。

神社は宗教としての「神道(しんとう)」
だが、本来は地域に根ざし、地域共同体を
形成してきた長い長い歴史がある。神仏習
合の歴史も長い。権現様としても親しまれ
ている。
神道の歴史上、明治以降はごく短い期間だ。
しかし、明治維新で神仏分離令、廃仏毀釈
など「政治」に翻弄され、「国家神道」の
道へ強制的に統合されていった。
言うことを聞かない地方の神社はずいぶん
と廃止されたといわれる。

神道には、神社神道、教派神道、国家神道
その他など、大まかに分類できるが、いま
問題になっているのが、日本会議と神社本
庁による「憲法」改正であろう。
戦前の「国家神道」の復活としか思えない。

これはまさに歴史の逆流だ。

私たち日本人は子どものころから、地域の
神社に関わっている。お宮参りや七五三、
地域の祭りは最大のイベントであろう。
鎮守の森は子どもの格好の遊び場になって
いる。こうした多くの住民の思いで、地域
の文化がつくられている。
私も釧路の神社で、こどもと一緒にお参り
やおみくじを購入したりする。もちろん、
わたあめなども。
そして、それは平和のなかでこそ豊かにな
る文化だと思う。

私はこうした地方の神社、氏子、地域のお
祭りなどに、日本会議と神社本庁が暗い影
を落としていると思っている。

「神道」も思想信条のひとつであるが、そ
こに特定の政治、とりわけ極右的政治を持
ち込むことには反対だ。
氏子をはじめとした地域住民には様々な考
えの人がいる。そうしたさまざまな政治信
条をお互いに尊重してこそ、地域共同体が
豊かに発展するのではないか。
「国家神道」が強まれば、再び不幸な歴史
を歩むことになる。

ウルトラ右翼の安倍首相と日本会議の動向
こそ、注意しなければ。
キナ臭さが、そのまま戦争につながる危険
性が高まっている。
戦争こそ最大の「穢れ(けがれ)」ではな
いのか。


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