河北新聞の6月17日掲載分の一人の話です。
東日本大震災で児童108人のうち74人が死亡行方不明となった、石巻市大川小6年生の
只野哲也君の辛い経験
休み時間のサッカーやスポーツ少年団の柔道の練習に向けた腹筋、背筋運動。
大川小6年の只野哲也君(11)は震災前の日常を取り戻しつつある。
少し誇らしげに「友達には(最強のデイフエンダー)と呼ばれています」と言う。
あの日、大川小から北上川方面へ移動途中で津波が押し寄せてきた。
懸命に走り、裏山を登りかけたところで波をかぶった、土砂に埋まったところを、同級生が助け出してくれた。
父の英昭さん祖母アキ子とは再会できた、でも母と祖父に3年生の妹は津波の犠牲になった。
震災直後、避難所にいたころは、「夜が怖かった、よく妹やともだちと遊ぶ夢を見た」
妹は何をするにも哲也君と一緒、面倒見がよく、ゲームをしていてもこっそりと負けてくれる優しい
お兄ちゃんが大好きだった。
夜うなされる息子の姿に英昭さんは心を痛めた。
仮設住宅に移った今は家族が運転する車で仮校舎になっている飯野川一小へ通う。
英明さんはずっと一緒だった友達や下級生と離れ離れにしたくない」と考えている。
震災の経験をふりかえるのは、大人にとってもつらく難しい、現場で津波に襲われ助かった児童は
哲也君を含め4人だけ。
哲也くんは「自分は普通の人が体験しないことを体験した、地震を体験してない人にも知ってほしい」
そんな思いからなるべく話をしてきた。
「堤防を高くするとか避難場所を改めて考えるとか備えに行かせて欲しい」自分の言葉できっぱりと
語った。
「釣れもていこらの会」で各地の被災者の小学校に送った方からの便りを皆さんにも
読んでもらいました。
私たちはいま平和で暮らしていますが、関西地区も南海地震が起きるとどうなるのか分かりません
備えをと言われますがそれもどうしたら?と疑問ばかり。
少しでも経験者の話に耳をかためるべきでしょう。
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