今年も猛暑の夏が巡ってきました。
一九六〇年代からの高度経済成長とイノベーション、その後にうねりのようにやってきたハイテク化は、江戸時代に生まれ明治から大正、昭和、平成に続いた多くの生活用具や習慣を葬り去りそれとともに「言葉」も消滅しました。
戦時中や終戦当時の言葉もことごとく「死語」となってしまいました。釣りにもそんな言葉が様々思い浮かびます。
「オデコ」「タドン」に
悠久の歴史あり…
「死語」と言えば、その昔NHKラジオに「とんち教室」という人気番組があり、出題テーマに頓智で答える「ものはづけ」というのがありました。アナウンサーの「要らない物は」の出題に、「タカラくじのタの字」との答えに会場は笑いの渦。
次の回答者が「女便所の金隠し」と答え大爆笑。(しかし流石にこれはカットされ電波には乗らなかった)。宝くじは今も生きていますが「金隠し」はとうに死語になって久しい。
閑話休題。少し前のことですが、在阪の某スポーツ紙の「つり現地速報」欄に「夜の真鯛オデコなし」とありました。すばらしい、粋な見出しだと思いました。
ところで、オデコという釣りの言葉ですが、一般に信じられているのは、おでこ(額=ひたい)には1本も毛が生えていないから、1匹も釣れないこと、ボウズと同じ、という説が優勢でした。
ところが、以前、明治二十年代生まれの知人の老釣り師(ちゃきちゃきの江戸っ子)に、オデコはどんな時に使いました?と聞いたら「今日はオデコのシャッポで形なしだよ、と洒落で応えるのです」と笑っていましたっけ。毛がなしではなく、カタなし?
なんのこっちゃ、とさらに聞いてみたら「ザンギリ頭を叩いて見れば文明開化の音がする」の戯れ歌が流行った明治初期頃、ハイカラ男がシャッポ(帽子)を取ると、ザンギリ頭の髪に、被ったシャッポの跡形がくっきり。
ところがオデコには毛が生えていないので形がつかない(当たり前!)。
つまり、釣果が無い→形が無い→オデコのシャッポ、なわけ。転じて「釣果無し」のことをオデコと称したというわけ。シャッポは既に死語ですが、オデコは幼児語としていまも使いますね。釣りでもボウズの意味で、広く使われています。
ついでですが、同じボウズの意味で、おもに京都方面で使われる言葉に「タドン」があります。
タドンは漢字で書けば「炭団」、木炭や石炭の粉末をふのりを混ぜ丸く成形し乾かした球状の燃料です。
その形から「相撲の星取表の黒星」を意味し、「負け」の代名詞として広く知られている言葉です。ですから、京都の釣り人は釣果がないことを婉曲に「今日はタドン(負け)や」と自嘲気味に言う習わしがありました。
もはや、固形燃料のタドンなど見たこともない人が大半の現在ですが、相撲の星取表の「黒星」を示す「タドン」が、「オデコ」と共に「ボウズ」の同義語であることは、知っておきたい釣りの貴重な「知的遺産」。
些細な釣りの言葉に悠久の歴史あり、大事にしたいですね。そう感じるのはひとりだぼ鯊だけでしょうか。
(イラストも・からくさ文庫主宰)