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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.5.14 お一人様の土曜日の過ごし方

2016-05-14 23:05:53 | 日記
 今日から夫は単独で京都行き。私は瞑想ヨーガ指導者養成コースがお休みの週なので同行出来ないわけではなかったが、毎週々々フルに出歩いていてはちょっと、ということで自制する(とはいえ、結果的にあれこれフル回転になってしまった。)。
 旅の目的は、夫が仰せつかっている息子の大学父母会委員としての総会出席である。予定会場が直前で変更になり、駅から随分近くなったのは良かったものの、予め取ったチケットでは到着が早過ぎて、時間潰しが大変だったようだ。

 さて、こちらは夫を送り出して洗濯機3回分の洗濯物を干す。ベランダは満艦飾状態。適度に風もあり、カラッとしているのですぐに乾きそうだ。
 そして、先月上旬に1度行ったきりずっと足を運べなかった映画館へ。今日はサービスデーで一律割引料金。洋画と邦画をはしごで鑑賞してきた。さすがに、学生時代のように三本立てを観る元気はないが、全く毛色の違ったものだったし、間にカフェで軽食を摂ったのでノープロブレム。
 一旦帰宅してすっかり乾いた洗濯物を取り込んで、畳んで仕舞うところまで。太陽の匂いがしたまま、冷たくならない洗濯物を手にしながら、幸せだなあと思う。

 そして、夕方。月1回の恒例となっている均整術×yogaのクラスに向かった。
 今日のテーマは“首”という予定だったが、腕と手を忘れていましたということで、先週の“肩”の復習から入る。今日は9名の参加者で男性が一人。もはや全員と顔見知りである。男性はO先生とペアになり、私は先週同様Aさんとペアワーク。

 まずは上腕部からほぐしていく。パートナーと握手をしたまま、内側外側に回旋させて筋肉に沿って圧をかける。ううううう、これは痛い。けれど、両方の手をほぐし終えると、肩がびっくりするほど軽くなり、最初に回した時よりもその動きが断然スムーズになる。

 続いて二の腕。浮腫みやセルライトを取るため捻りを加えながらお互いにほぐしあう。手も指先も、しごくようにマッサージしてもらうと、痛いけど止めないで~、というサディスティックな気分になってくる。手は中指が背骨、人差し指が両手、親指と小指が両足に対応しているという。やはり私は左の薬指がとても痛い。これは左腋窩リンパ節を廓清しているからだろうと納得する。やはり10年以上経っても流れが悪く浮腫みやすいのだ。

 そして、毎回驚かされるのだけれど、あら不思議、終わってみるとそれぞれのパーツがバランスよく収まって、どこにも力が入らず、肩が軽~くなっている。肩から指先まで繋がっていることを実感。胡坐をかいて座ってもとても安定している。

 来月こそ首がテーマということだ。今月まで5回連続皆勤したけれど、毎月毎月ひとつずつでも各部位のセルフケアが出来るようになり、とても嬉しい。帰路は指導者養成コースでご一緒しているAさんとJさんと、今日も楽しかったね~と駅までお喋り。

 一方、夫は総会が終了後、部活の練習を終えた息子と京都の繁華街で待ち合わせ。2人が揃えば恒例の焼肉パーティ。たらふく食べて飲んでご満悦だった様子。LINEで何枚も写真が送られてきた。今夜は息子の寮に泊まることになっている。足の踏み場もない部屋のユニットバスではちょっと、ということで近くの銭湯に繰り出すという。私はお一人様の土曜日を満喫させて頂いているが、父子2人で楽しい夜を過ごしてもらいたいものである。
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2016.5.13 五月晴れの金曜日に想うこと

2016-05-13 21:42:37 | 日記
 ああ、なんて爽やかで気持ちの良い週末だろう。青空が冴えわたり、空気もカラッとしている。陽射しは強いけれど、日傘を差して綿手袋もしているから、ど~んと来い!という気分になる。

 今日は8週間ぶり、父の脳神経外科受診。通院付添いの日だ。
 予約時間の10分前には到着するように家を出た。母とは予めその時間に待ち合わせていたが、乗り換えも順調で5分ほど早く到着した。エントランスを入ると、これまでで一番混んでいる。沢山ある待合椅子も既に一杯だ。両親の姿は見えない。奥の方まで探し回ったけれど、やはりまだ来ていない。何かあったのだろうかと母の携帯に電話をするが、何十回鳴らしても、かけ直してみても一向に出ない。
 
 イライラしながら出口の辺りを出たり入ったり。約束した時間からかなり遅れて、ようやく母が何食わぬ顔で入ってきた。独りである。父は介護タクシーのドライバーさんにお任せして一足先に来てしまったようだ。数分遅れてドライバーさんに車椅子を押してもらって父が入ってきた。ドライバーさんに御礼を言い、父に「おはようございます」と挨拶するが、返事はなし。きょとんとしているというか視線を合わせないというか。

 とりあえず母からIDカードを預かって受付を済ませる。ドライバーさんが車椅子を固定してくださり、何とか席を確保する。
 「携帯に連絡したけれど出なかったでしょう?」と訊けば、「ああ、持ってこなかった」と言う。いきなり脱力する。つい「携帯が不携帯では、何のために持っているのか判らないでしょう。外出先でどうやって連絡をとればいいの?」と言うと「いきなり叱られてしまった・・・」と黙り込んでしまう母だ。

 いつもはほぼ予約時間に呼んで頂けるのだが、この混み方ではどうだろう、と思った通りなかなか呼ばれない。30分弱遅れてようやく呼ばれたが、診察室から離れた席しか空いていなかったので、辿り着く迄に時間がかかる。

 私は荷物を持ち、母に車椅子を押してもらう。何回やってもうまく行かずにモタモタしている。ぐっと堪えて任せる。部屋に入ると、それまでウトウトしていた父が、突然必要以上に大きな声を出して「先生、よろしくお願いします」と挨拶している。この豹変ぶりにまたしても絶句する。

 K先生が血圧を測りながら「目の見え方はどうですか」と尋ねると「右は霞みますが、左は良く見えます」としっかり答えている。先生が私の方を向き、「1月の出血前と今と見え方は違っているようですか?」と問われるが、一緒に暮らしているわけでもないし、何とも答えようがない。母は「見えていると思います」と相変わらずハッキリしない応え。

 今度は先生が父に「おいくつですか」と質問。「88歳です」と大きな声でハキハキと応える父。いや、まだでしょう、来週が誕生日ですから・・・と黙っていると「それはそれは、米寿のお祝いですか」とカルテ(の生年月日)を見ながら訊かれたので、私は「はい、来週が誕生日で」と応ずる。本人は高らかに「昭和3年5月○日生まれです」と言っている。「今日は何日ですか」にも「平成28年5月13日、金曜日です」と。先生は「いや~、バッチリですね」と笑っておられる。

 いや、逢った時のあのボーっとした感じ、無表情で無口な感じはどこへ行ったのだろうと、こちらがドギマギしてしまう。そして極め付けは「先生、先生だけが頼りです。100歳まで生きたいのでどうかよろしくお願いします」と先生の両手を握らんとしている。これには先生と顔を見合わせて苦笑いである。

 「そうですね、あと20年頑張ってください」と先生が仰る。こちらはなんとなく下を向いてしまう。もう死にたい、と言われるよりはよほど良いのかもしれないけれど、父は日々何かやりたいこと、これといった趣味があるわけでもなく、デイサービスに渋々行きながら自宅にいる時は庭にさえ出ずにウトウトしているだけの毎日を過ごしている。それでも100歳まで生きたいという意欲を見せられ戸惑ってしまう私。
 父があと12年頑張るとなると、とてもではないが、親子の順番は守れないだろう。母だって12年後は94歳、これまたどうなっているか判らない。

 「1月の出血はもう回復したということでいいと思いますが、高齢なので血圧が低くてもまた出血がないとも限りません。何か変わったことがあったらすぐ連絡してください。今服用中の認知症の薬の副作用もないようですし、このまま続けましょう」ということで次回8週間後に予約が入った。

 お礼を言って診察室から出て、会計を待つ。支払を済ませてから、同じビルの中の薬局に移動。2人にはそのまま待合で待っていてもらい、一人で薬局に出向いた。こちらもいつもとは比較にならないほどの混雑。座る席もないほどで、受付で薬剤師さんから申し訳なさそうに「30分から40分くらいお待ち頂くことになりますが、大丈夫ですか」と訊かれる。20人待ちだったので、自分が薬局で待つことを考えれば何も問題はないだろうと手続きを終えて待ち始める。

 すると、母が一人でやってくる。車椅子の父はクリニックの待合に置いてきぼりにして。「どうして一人でこちらに来るの、ちゃんと(父を)観ていないとだめでしょう?30分くらい待つらしいから」と言うと、「(父が)早く家に帰りたいみたい。薬なら介護タクシーのドライバーさんが、空いている薬局に行ってあげると言っているんだけど」と訳の分からないことを言い出す。

 詳しく訊くと、介護タクシーのドライバーさんは私達がクリニックにいる間、帰路の送りのために近場で時間潰しをしているらしい。ここで延々と待たされるよりは、別の空いた薬局に行く方が拘束される時間が少なくなるというあちら側の事情もあるようだ。

 とはいえ、「既に受付をしてしまっているのだから、いきなり『やっぱり結構です、他の所でお願いしますから』とは言えないでしょう?もしそういうことなら、私が薬局に来る前にハッキリ言ってくれない?」と言うとまた黙り込んでしまう。
 結局、30分弱待って薬を受け取って、さてドライバーさんを呼ぼうと電話をしようとクリニックに戻ると、既にドライバーさんが迎えに来て車椅子を押し始めていた。痺れを切らして来てくださったのかどうかは定かではないが、なんだか噛みあわなくてやけに疲れる。

 そして、2人が再び介護タクシーで実家に帰るのを見送って、今日の私のお役御免になった。ここで初めて父は手を振って帰って行ったけれど、結局、私とはひとことも会話をしなかった。大人しいといえば大人しいのだけれど、これまたどうしたものか。

 外は気持ちの良い五月晴れの金曜日。それなのに心は晴れない。心を静めるためにはまだまだ修行中であるということか。
 次回の予約は7月、母の通院と父の通院が同じ週になってしまった。週に2日の介護休暇取得もなかなか辛いものがある。今の予定だと私の通院日とはズレるが、治療薬が変わればそれも判らない。まあ、今から気に病んでも仕方ないので、そうなったら頑張って2人で乗り切ってもらうしかないのだけれど。


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2016.5.10 心が静まったら・・・

2016-05-10 21:26:36 | 日記
 このブログを綴り始めた時、自分の中の消化不良でもやもやしたもの、いらいらしたものを言葉にすることで不思議と気持ちが整理されるという大きな効用に気付いた。
 そして、ただ書き殴るというか感情の任せるままに、というのではなく、それなりに読んで頂ける文章にしようと思ったら、ある程度自分を見つめ、冷静にならざるを得ないことにも気が付いた。

 それまで具体的に表現してこなかった言いたいこと、思っていることは沢山あったし、やりきれない思いとか切ないことも結構あった。
 もちろん病気のことだけでなく、仕事のことも趣味のことも家族のこと、人間関係のことも含めて。

 それが、最近不思議なことに、書かなくては!書かずにはいられない!という思いがなにやらトーンダウンしてきたのだ。
 日々の活動(仕事、自分の好きなこと、治療、最後の方にちょっぴり家事・・・)は今までどおり(今まで以上?)に続けられているし、その都度その都度思うこと、感じることは当然沢山あるのだけれど、何かあってもうまく自分の中で心が静められる、というか自然に静まって腑に落ちるようになってきた。これこそヨーガの学びの効用なのかもしれない。幸せなことである。

 ということで、これまでのように毎日あれこれ更新されないということは、私が文字通り、心穏やかに日々を送ることが出来ているのだ、とご理解頂ければとても嬉しい。

 自分の日記、治療記録として書き留めておきたいこと、旅行記や読書、映画のレビュー等は出来れば続けていきたいし、このブログを辞めてしまおうと思っているわけでは、全くない。
 けれど、いつかも書いたとおり、うんうん唸って無理矢理搾り出すような書き方はしない。

 書ける時あるいは書きたい時に、書けることや書きたいことを書く。それこそが、より自分の気持ちに素直に正直に寄り添いつつ、ブログを続けていく意味なのではないか、ととても満足している。
 何より、ブログを書くために寝る時間を削ってとか、休憩する時間を削ってとかいうのは本末転倒、ナンセンスだ。ブログを書くことそのものが生きる目的になってしまうのはちょっと違うと思う。

 何分根が単純なので、最初の頃は更新が頻繁になるとその都度訪れてくださる方も増えて、好むと好まざるとに関わらず通知されるランキングも上がって、ということにびっくりして煽られた、ということもあった。
 けれど、今はそういった数字に一喜一憂することはなくなった。沢山の方が読んでくださっているのは嬉しいけれど、それが目指すところではないのだから。

 毎日訪れて頂いている方には物足りないものになるかもしれませんが、どうぞご理解のほど。気が向いた時、お時間がある時にでも覗いて頂ければ、と思います。
 引き続きゆるりとお付き合いのほど、宜しくお願いいたします。
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2016.5.8 コース6日目、クリパルヨーガ初体験とヨーガ哲学

2016-05-08 22:26:51 | ヨガ
 今日も快晴。風もなく、穏やかな五月晴れである。
 瞑想ヨーガ指導者養成コースは早くも6日目、今日が終われば前期の折り返し点になる。この間、1日だけお一人が欠席された以外、29名全員皆勤である。その学びの圧倒的な面白さと、参加者の真剣だけれど笑顔が絶えない明るいクラスの雰囲気-これこそSさんのインストラクターとしての魅力や、コースの組み立ての素晴らしさを物語っていると思う。

 午前中は“異なる流派のヨーガ1”で、ゲスト講師Aさんが登場された。「ヨーガには様々な流派があるが、それらを体験するために色々なスタジオに通うのはハードルが高い。けれど、是非皆で体験して頂きたいのでお招きしました」とのこと。

 クリパルヨーガ、全く初めて耳にする言葉だ。意識のヨガ、慈悲のヨガと言われ、アメリカで発展したという。ボディワークや心理学の影響も大きく、ヨーガのエッセンスのみを万人(人種、体型等)に馴染むようにアレンジし、今も柔軟に変わり続けている流派だそうだ。

 最初の2時間は座学。Aさんの穏やかでおっとりしながらも淀みなく圧倒的な情報量の語りに、まずは度肝を抜かれ、あっという間に惹きこまれる。この流派は言葉を大切にするといい、Aさんの言葉にもとても癒される。私がヨガが好きだと思うようになったのは「自分を見つめ、人と比べない、出来る・出来ないでジャッジしない」というコンセプトだったのだけれど、まさにその言葉が度々紡がれて、ああ、これだったのだとご縁を感じた。

 ポーズのアライメント(姿勢)を整えてエッジ(肉体的にも心理的にもギリギリの切羽詰まったところや状況)を探究する “BRFWA”(B(呼吸して)、R(リラックスして)、F(感じて)、W(目撃して)、A(受容して委ねる))という一連の具体的なツールも、実践していくのにとても分かり易い。ペアワークでは言葉の違いによる色々な気付きに驚くという体験をした。

 最後の一時間はヨガで身体を動かした。Aさんがリードする言葉が凛として、穏やかな講義の語り口とはイメージが違って、本当に素敵な時間を過ごすことが出来た。最後にAさんを囲んで皆で記念写真タイム。和やかなムードで午前の部は無事終了。

 そしてお待ちかねのランチタイム。今日は同じチームの4人でいつものお気に入りタイ料理店へ。昨日はネパールカレーだったところ、夫から「今日は夕食にカレーを作りますので、ダブらないように」というLINEが入り、パッ・タイ(タイの焼きそば)をチョイス。他の3人は今日もグリーンカレーに舌鼓を打っていた。皆、午前の講義が本当に面白かった、凄かったとかなり興奮気味。自分の好きなことの為にこんなに楽しい時間を過ごさせて頂くことの出来る私達は、本当に幸せで恵まれているね、という話になった。

 午後はヨーガ哲学の2回目。課題図書を読み、ヨーガ・スートラの中から気になった(気に入った)句や言葉を決めてくるというホームワークが出ており、チームごとにシェア。その後、一人ひとりが自分のチョイスをお披露目した。

 私は「他の幸福を喜び(慈)、不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)、不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ」というヨーガ・スートラ第1章33番を選んだ。ヨーガの目的は“心を鎮めて本来の純粋な自分に戻る(見つめる)こと”だが、私が選んだくだりは、その心を鎮めるいくつかのやり方の一つだ。

 この句は29人のうち3人がダブって選んでおり、冒頭のヨーガの定義と1番人気を分け合った。後から1章のエッセンスという句にピックアップされ、サンスクリット語で発音も教えて頂くことが出来て満足。(帰宅後、サンスクリット語の発音が難しくて頭が飽和状態だとこぼしたら、その歳で新しい語学を始めるのはそれは大変だよ、と夫に言われちょっとシュンとしてしまう。耳も記憶力も大分衰えているのは否めない。)ずっと座っていた所為か、腰も痛くなって、休み時間に均整術師のIさんに腰をほぐして頂いた。

 長く本と睨めっこしていため、眼を休めるために、と閉めは15分ほど昨日習ったキールタンを数曲歌ってリラックス。こうして本日も無事終了した。次回は2週間後である。

 帰宅すると、予告通り夫が夕食を作って待っていてくれた。実家の母からは贈った蘭の鉢植えが届いたという御礼の電話があったが、我が家の息子は母の日もスルーだから、と彼の代わりに夫が初物のさくらんぼを用意してくれた。有難いことである。

 というわけで充実(盛り沢山過ぎてかなり消化不良の部分もあり)の土日が終わって、明日からは連休気分も払拭せねばならない新しい1週間が始まる。手帳を見れば既にあれこれ日程が詰まっている。息切れしないように週末まで乗り切らなくては。
 
 
 
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2016.5.7 瞑想ヨーガ指導者養成コース5日目

2016-05-07 21:25:29 | ヨガ
 あっという間に6連休は過ぎ、旅行の後始末をして体調を整えたら、昨日は通常出勤。代休だったとはいえ、平日1日休んでいるからそれなりにメールなども溜まっている。幸い会議がなかったので、黙々と処理して、ノー残業デーで無事に帰宅する。

 今日は3週間ぶり、瞑想ヨーガ指導者養成コースの5日目だ。ホームワークもあり、昨夜はLINEで「これから頑張ります!」「あとどのくらい残っていて・・・」など学生時代のようなやりとりが続いて、皆さんの人間味溢れるキャラクターに癒される。かくいう私もまぁ連休も含めて3週間あるから、と高をくくっていたのだけれど、実際まとめてやろうとすると細かいことは忘れてしまっていたし、課題である図書も結構ボリュームがあって苦戦。なんとか書き終えてほっとする。

 ところが、昨夜はベッドに入ってからが大変だった。眠りについてから2時間弱経った頃、胸部の痛みと息苦しさで目が覚めた。横隔膜のあたりが酷く痛む。右を向いても左を向いても、寝返りを打っても。深呼吸をしても。眠れない。息苦しさがこれ以上酷くなるようだったら、夫を起こそうかと思っているうちに、30分ほどでいつのまにかまた眠りに落ちた。

 そして今朝、もしまた痛みがぶり返すようだったら出かけることも無理かもしれないと諦めかけていた。このところ調子が良かったので、ちょっとショック。あまり調子に乗るな、ということかと反省。

 いつもより早く起床。良いお天気だ。胸の痛みと息苦しさは取りあえず収まっている。洗濯機を2回回して干す。夫はまだ眠っていても良いのだけれど、一緒に朝食を摂りたかったので、起きてもらう。夜中のことを報告すると、もし出かけて調子が悪くなるようなら連絡すれば迎えに行くから、とのこと。3週間前は夫自身が手術で退院するところだったのに、この3週間ですっかり元気になってくれて本当に感謝だ。

 そして予定通り家を出た。車内ではウトウトすることもなく課題図書をざっと見直す。スタジオに到着して、皆さんと「久しぶり!」「今日もよろしく」とご挨拶を交わし、お喋りが止まらない。出席を取った後は事務連絡。後期のスケジュールも発表される。可能かどうかは別として、出来れば参加したい、と思ってしまう。

 Sさんのリードのもと、朝のマントラを唱えた後に体を動かすこと1時間弱。痛みが出たらどうしようと思いながら、ちょっとこわごわおっかなびっくりな感じで身体を緩めていく。それでも無事付いていくことが出来、最後のシャバーサナはとても心地よかった。

 午前の前半は解剖生理学の基礎2回目でゲスト講師のO先生。前回の復習とペアワークの実践。頭で覚えるのも大切だけれど、実践して気づいたことを継続することが大切というコメントに大きく頷く。久米島以来奇跡のリトリートでもご一緒しているIさんと色々な動きを指示しあうペアワーク。複雑になってくると、指示が混乱してしまう。自分が動く方が楽で、人を誘導するのは難しい。これからの学びのために面白そうな本も2冊紹介して頂き、あっという間に2時間の講義が終了。

 お昼はいつものメンバーHさん、Nさん、Mさんと4人でインストラクターSさんお勧めのネパール料理へ。本当にこの辺りは各国料理が充実していて、毎回ランチタイムの行き先を決めるのが大きな楽しみだ。Mさんは郷里が熊本でいらっしゃるが、GWは飛行機で里帰りされたとのこと。飛行機の上からブルーシートが掛かった家々を見ると切なかったとおっしゃった。

 午後はチームごとに分かれて、この3週間の出来事や気づきのシェア。その後はこれまでの学びの復習。頭で覚えるのではなく、録音したものに頼るのでもなく、身体で覚えていくことが大切で、何度も繰り返して身に付けること、口伝こそがヨーガ哲学の学びの真髄のようだ。

 後半は、このクラスの持ち味であるマントラの学習。あの忌まわしいオウム真理教の事件のために、マントラを唱える先生は少なくなってしまったというが、それでもマントラはとても簡単で面白いヨガのひとつで、私たちの心を洗う効果、頭をすっきりさせる効果がある。

 このクラスは指導者養成コースだから、目標は自らマントラを唱え、リードが出来るようになることだ。高貴な言葉とされるサンスクリット語の音自体に力があるので、意味を先行させることはそれほど大事ではないというが、今日はそれぞれのマントラの意味もきちんとフォローして頂く。
 そして、Sさんのリードで、歌い慣れたものから初めてのものまで、沢山のキールタンを歌う。輪唱するうちに、知らず知らず身体が揺れてきていい気分。

 あっという間に今日も7時間のカリキュラムが終わった。Sさんには夫が元気になったこと、昨夜調子が悪かったけれど、今はすっかり元気であることを報告し、御礼を言ってスタジオを後にした。

 
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