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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.3.20 高校クラス≒女子ランチ会参加

2013-03-20 20:58:20 | 日記
 お彼岸の中日の今日、高校卒業時のクラスの女子ランチ会に参加した。
 昨夜はなぜか突然胃痛が酷くなり、夕飯を摂ることが出来なかった。慌てて薬を飲み、早めに寝たが、朝までなんとなく胃の重さがとれずじまい。心配だったが、なんとか昼には落ち着いてくれてほっとした。
 今日は曇り空。気温も湿度も高く、スプリングコートにストールではちょっと汗ばむほど。

 昨年夏、久々にクラス会開催のメールを頂いた。当時はナベルビンを中止した後で、EC治療開始前にホルモン剤フェアストンでつないでいた時期だった。体調的には問題なかったのだが、ちょうど両親とのベトナム旅行中で、残念ながら参加が叶わなかった。
 久々の再会はとても楽しかったようで、2次会、3次会とかなり盛り上がった様子。その時の写真はメールで見せて頂いた。その後12月にも開催されたのだが、当時はEC治療中でもあり体調に自信がなく、これまた参加を見送った。
 今回は私の治療が一段落するのを見計らって、わざわざこの時期に開催してくれたのだ。
 夜、男性群も一緒だとお酒も煙草もOK・・・ということになりそうで、咳込んだりしたらちょっと辛いかな、と我儘を言ってランチ会にして頂いた。
 “お酒と煙草抜きで女子会のノリで楽しい会に、男子も参加したかったらしてもよくてよ”と幹事のGさんがお誘いくださり、女子7名、男子3名。都心のホテルの高層レストランで、賑やかなランチ会になった。

 まずは春らしい桜色をしたノンアルコールカクテル“スプリングブリーズ”で乾杯。そして、各自が簡単な近況報告。気付けば卒業後30数年経っている。それ以来初めて会った方もいるというのに、いきなり高校3年生にタイムスリップしてしまった。すぐに当時のニックネームで呼び合う。お彼岸ということで、法事やお墓参り等で急きょ参加出来なくなった方がいらしたのはちょっと残念だったけれど。

 重いのに当時のクラス写真が貼られたアルバムを持ってきてくださったSちゃんには感謝だ。多分、実家に置いてあると思うのだが、本当に何十年ぶりで見た。「全然変わっていないね~」と恐れ多くもずうずうしくも(?!)言い合う。部位は違うが同じ病で5年間無事過ごされている方も。

 親になり、当時の自分の年齢と同じ歳以上の子供を持つようになり、受験や就職等の悩みの話もあり、話は尽きない。
 あの高校で過ごした3年間は、勉強も部活も文化祭も体育祭も楽しかったし、合唱祭、演劇コンクール等イベントも多岐にわたって刺激的。友人たちは皆魅力的で、それはそれは毎日が楽しかった。思えば休みの日も毎日のように朝から晩まで学校にいた。各人が皆それぞれの居場所を持ち、それぞれが皆輝いていて、かけがえのないものだったな、と改めて懐かしく思い出す。

 ランチが終わる頃、Y君がちょっと早めに退席。とりあえず集合写真を撮影して、二次会に。高校時代からコンパの場所確保が得意だったM君がフットワークよろしくあっという間に会場を探してくれて、8人でお茶をすること1時間。そこで解散した。

 その後、デパ地下で夫からのリクエストの桜餅とおはぎを買って帰宅した。
 帰宅すると、今週のお花が届いていた。ピンク、黄色、白のポピーがそれぞれ5本ずつ、白のくじゃく草3本、濃いピンクのスターチスが3本。花言葉はそれぞれ「七色の恋」「可憐」「上品」だという。早速水切りをし、仏壇にも小分けして活けた。
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2013.3.19 人生を豊かにしてくれたのは・・・「犬にみとられて」

2013-03-19 22:01:30 | 読書
 昨年来このブログにコメントを寄せてくださっているTさんのご厚意により、既に手に入らなくなっているノンフィクションライター・向井承子さんの「犬にみとられて」(ポプラ社)を読むことが出来た。2004年2月に初版が刊行されている。

 向井さんは北海道のご出身。道庁勤務後、婦人団体機関紙編集者などを経て、ノンフィクション・ライターに転身された方。ご自身とご家族のご病気や、老いたご両親を看取った体験等をきっかけに、医療を中心としたテーマで執筆されている。恥ずかしながら、私はこれまでそうした向井さんの著書を読んだことがなかった。

 表紙の上半分は、ダイニングテーブルを前に立つ向井さんと、車いすに乗り、愛犬ゴン太の頭を優しく撫でるお母様の写真。下半分には「しぼみかけた母の命をもう一度温めたのはゴン太だった。90歳で逝った母と自らの老いと向き合う著者が、犬との出会いで人生を豊かにした、熱い涙が溢れる感動のエッセイ。」とある。
 10年近く前のエッセイではあるが、全くその歳月を感じさせない。向井さんは医療ライターとして、現代社会での老いや病やいのちそのものへのまなざしの変化が気になって、様々な“いのち”の場面をテーマに書いてこられたという。医療ライターならではと思わせる、冷静かつ理知的な文章にあっという間に惹きこまれた。
 ご本人は「これまでの著作の延長線上で「犬とみとりの物語」を書いてしまった。飼い犬とは人の理性を惑わせる毒物のようで・・・」と、ゴン太にありったけの愛情を注いだご自身をあたかも卑下しておられるようだが、とんでもない。冷静な観察に裏付けられた緻密な記録と丁寧な筆致は最後まで揺るぎがなかった。

 先週の通院日に読んだのだが、待合で何度も何度も涙で頁が曇り、往生した。
 当時著者がお住まいだった場所はたまたま母の実家の傍でもあり、土地勘があるところ。リアルに散歩道等の風景が目に浮かんできた。足元の小さな自然を感じられるようになったのはゴン太のおかげ、というくだりにも頷いた。子育て、仕事、介護と、慌ただしく時間を過ごす中で小走りに歩く著者の姿も、早朝の散歩で犬の仕草の一つ一つを擬人化して悦に入る著者の姿も思い浮かべつつ、いつのまにか自分に置き換え、鼻の奥がツンとするのだった。
 このエッセイの主人公であるミニチュア・ピンシャー犬のゴン太は、向井さんが初めて飼った犬。40代の終わりから60代半ば迄、15年を一緒に暮らしたという。子犬の愛らしさと成長ぶりに目を細めていた頃は、50代に足を踏み入れかけたところで、三世代暮らしで、子育ては終わりかけていたものの、老親の世話をする日々、と今の私のライフステージにも重なる部分がある。

 ポプラ社の編集部の方の紹介文には「基本的には著者にとって初めての飼い犬、ゴン太を育て、ともに暮らし見送るまでの愛犬物語。しかし内容は2つの「老いと死」から構成されている。一つ目は、家族の片隅に取り残されがちだった老人が、犬を得て、その無心の献身で蘇り、犬のぬくもりに包まれながら世を去るまでの物語。二つ目はゴン太の老いと死。親の看取りから8年が過ぎ、老いにさしかかった著者が、一足先に世を去っていく愛犬の姿に狼狽し、悲しみにくれながらも時の移ろいとともに再生していく姿が中心に描かれる」とある。文字通り第1章は「犬と家族」第2章は「老い犬との日々」である。

 「あとがき」で向井さんは「ゴン太との物語は、理屈で書いたのではない。ただ、小さな犬一匹を愛しく思い、その死に慟哭せざるを得なかった。素朴な手記ではあるが、むしろ今の世で病んで死んでいく人間のかなしみと孤独を想っていただければ、と願う」と書いておられる。

 なぜ、犬を飼ったこともない私がこれほど感情移入して読んでしまったのか、と考えた。
 自分自分の初めてで余裕がなかった子育て時代。仕事も家事も子育ても、両立どころか全てが中途半端だった当時を思い返せば、申し訳なさで一杯になり、気持ちに余裕がないまま両親に優しく接することが出来なかったこと等を苦々しく思い出していたたまれなくなったり・・・。気が付けばまだ消化しきれていなかった色々な気持ちがない交ぜになって、どんどん勝手に思い入れをしながら読んでしまったのだ。

 もしそのやり直しが出来るのなら、小さく弱い生き物の“命”を受け入れたい・・病を抱えた私でもこんな子犬と出逢うことが出来たら、その命を引き受けて一緒に豊かな気持ちで老いと死を乗り越えることが出来るのではないだろうか、などと大胆なことまで思ってしまったのかもしれない。

 もちろん、その小さな命を最期まで看取ることが出来るかどうかもわからないまま、その覚悟もなく安易に引き受けるということを自分自身が一番許さないことは十分解っている。能天気にあと15年生き伸びることが出来るかもしれないから、などと無責任なことを思っているわけでもない。

 本文に「余生と思ったらできないことはなにもないね」という医師の台詞が出てきたが、実際30代で死線をさまよった経験を持つ向井さんは、この時点で余生が30年を超えたと書いておられる。今では40年に近いということになるから、本当に人の余命なんぞ当てにならないものだとも思うのだけれど・・・。

 かくして、全編通じて頁を繰るのがもどかしいほど一気呵成に読んだ。そして、涙を押さえながら読み終えた時にはしばし放心状態の1冊だった。

 今日は昨日の雨風が嘘のように良いお天気になった。予報通りぐんぐん気温が上がり、お昼休みに外に出ると、薄いセーターの上のジャケットは要らず、それでもまだ汗ばむほど。大学正門前の桜もちらほら咲き始めた。いつもなら都心より開花が1週間から10日は遅いのだが、この暖かさで一気に咲きそうだ。レンギョウも木蓮も満開!
 あっという間に春がやってきた。
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2013.3.18 “絶対”などないのだから、緩~い感じで

2013-03-18 20:25:06 | 日記
 これまでも何度もご紹介している朝日新聞・静岡版の渡辺先生の連載。先週末は食事の問題だった。以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

がん内科医のひとり言(2013年3月15日)
がんと栄養
■普通の食事楽しむのが一番
 がん患者は○○を食べてはだめ、▽▽はがんにいい、といった話がマスコミなどでまことしやかに語られています。絶食や断食などの間違った食事で低栄養状態に陥ったがん患者が餓死したという痛ましい話もありました。
 栄養や食事療法、温泉などの物理療法をまとめて補完代替医療と呼び、本当に効果があるかについて、科学的に証明しようという取り組みも行われています。
 大豆に含まれるイソフラボンは、その化学構造が女性ホルモンに似ており、大変弱いのですが女性ホルモンのような働きを持つことが知られています。乳がんの発生や増殖は女性ホルモンによって促進されることから、大豆製品は乳がん患者によくないのではないか、と言う意見が古くからありました。
 一方で、日本、韓国、中国では、乳がんの発生率が欧米に比べて低いことが知られています。しかし、ハワイや米国本土に住む東洋人の2世、3世の女性の乳がん発生率は欧米人と同じであることから、食事、とくに東洋人が多く摂取する大豆食品は、乳がんには予防的に働いているのではないか、という説もあります。
 豆腐を多く食べる沖縄県、納豆を多く食べる茨城県では他県に比べ、乳がんが少ない、という日本の研究結果もこの説を支持しています。
 私の答えはこうです。
 「大豆イソフラボンを大量に濃縮したサプリメントは、女性ホルモンのような働きで、ひょっとしたら乳がんの増殖が刺激されるかもしれないのでやめておきましょう。しかし、毎日食べても納豆、みそ汁、豆腐、おから、煮豆などの大豆食品に含まれるイソフラボンの量は少ないので、ひょっとしたら乳がんの増殖が抑制されるかもしれません」
 「おいしいね」と、毎日の糧を神様に感謝しながら、普通の食事を楽しむのが一番よいと思います。(浜松オンコロジーセンター・渡辺亨)

(転載終了)※  ※  ※

 まあ、絶食や断食で餓死というのはあまりに極端だと思うけれど、ただでさえ治療中で食欲不振だったり、味覚異常だったりすることが多い中、あれはダメ、これはダメとなったら生きていても本当につまらないだろうな、と思う。

 以前にも書いたけれど、数年前にジェイン・プラントさんの「乳がんと牛乳」という本を読んで、乳製品や牛肉を摂る事がとても恐ろしくなった。牛乳は、もともとお腹の調子が悪くなるので、飲めなくても全くストレスはない。とはいえ、この著者のように徹底的に乳製品を摂らないというのは、普通の生活をしていく上であまりに非現実的だ。チーズを使ったイタリアンは好きだし、免疫力をアップするための赤いヨーグルトドリンクも飲めなくなってしまう。
 だから“焼き肉命!”と言うほど牛肉が大好きの夫や息子と一緒に、積極的に焼き肉店で食事をするということは遠慮するものの、レストランでメインに牛肉が出てきたら、代替メニューがあるかどうか確認して、替えてもらえればラッキー、無理なら頂く、というレベル。なるべく避ける程度の緩い感じで続けてきている。

 乳がんを例にとり、大豆のイソフラボンの話をされているが、要はどんな高名な先生だって絶対・・・なんて言い切ることは出来ないのだ。そして百人百様の人間の体にどれほど百人百様の作用があるか、などということはとてもじゃないけれど解らない。
 ひょっとしたら・・・かもしれない、というのが本音のところだろう。そして、大量濃縮しているサプリメントを過信して摂り続けることはあまり良くはないだろうなと思うし(本音を言えば美味しくない薬のようなサプリメントの類はあまり摂りたくない。)、自然に食品から摂っている分には量として高が知れているから、それほど大きなダメージにもならないように思う。

 繰り返しになるが、世の中には“絶対”なんてことはあり得ない。だからこそ、先生が書いておられる通り、日々「美味しいね」と笑顔で食事が頂ける幸せに感謝しながら-これは普通に暮らせているとついつい忘れがちなことだけれど、一旦この幸せを失うとどれほどそのことが有難いことなのか、身に沁みる(これは私が単なる食いしん坊だからか?)。だから普通に食事が出来る喜びを忘れるのは一番もったいないことだと思う。-なるべくバランス良く、旬の食材を取り入れながら好き嫌いなく食事を愉しむのがベストなのだろう。

 さて、新しい1週間が始まった。なんとなく花曇りの一日。夜には雨風が強くなるという予報どおり、帰宅するときには雨がポツポツ降り出し、風も強く、かつらを押さえながら傘をさすのが難儀になった。
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2013.3.17 リフレとヨガでフル・チャージ!

2013-03-17 21:56:40 | 日記
 今日もちょっぴり朝寝坊が出来た。午前中は予約していたリフレクソロジー。いつものようにオーナーに最寄駅までお迎えに来て頂き、サロンに向かう。桜並木を車窓に見ながら、次回は桜吹雪も終わっているかしら、と思いつつ。

 今日も前回同様、下半身すっきりのコースとハンドリフレ、角質ケアのフルコースをお願いする。今日のフットバスに落とすアロマエッセンスの香りはローズかユーカリ。花粉症のような症状が今年は出ていないので優雅なローズの香りにしてみた。それはそうと、今年は花粉の飛散量が多いにもかかわらず症状が出ないのだから、去年迄の花粉症のような症状は、ナベルビンの副作用で粘膜がダメージを受けたのが原因だったのだろう。
 先月からの近況報告等をしてお喋りに花が咲いてしまい、なかなかウトウト出来ない。目・肩・首の反射区は相変わらず厚ぼったかったようだが、大分すっきりした。が、なんといっても鼠蹊部リンパがガチガチで、腰と脊髄の反射区は飛び上がりそうな痛みだった。フェソロデックスの注射後の痛みの所為で、ここ数日腰をかばって歩いていることも原因か。足裏もいつになく冷えており、なかなか温まらなかった。
 終了後のハーブティは、開花宣言の翌日とはいえまだまだ続く寒さに合わせて、今日も冬季限定のからだぽかぽかブレンドにしておく。来月は、ソメイヨシノは終わっていても、サロンの窓から見えるであろう遅咲きの八重桜。今から愉しみである。

 駅まで送って頂き、簡単なお昼を摂っていると、息子からLineで連絡が来ていたのに気付いた。今日は大好きなアニメのファン感謝デーイベント招待の抽選に当たって(こうした抽選ハガキを出すところは私同様とてもマメである。)、昼から都心のホールに出かけることになっていた。限定の特別な物販もあるということで軍資金の相談だったが、そのことで出がけに夫とひと悶着あり、私に連絡してきたようだった。本人曰く“似た者同士は難しい”のだそうだ。

 その後、最寄駅まで戻って骨盤調整ヨガに参加。リフレクソロジーで体をほぐしてもらった所為か、すっかりリンパの流れが良くなっていて、汗の出がとても良い。たっぷり汗をかいてシャワーですっきりリフレッシュして、フル・チャージ出来た気分だ。
 友人たちと会った昨日に続き、メンテナンスとリフレッシュが出来た満ち足りた2日間。帰途、夫と待ち合わせして買い物とお茶をしながら帰宅した。

 来週は真ん中がお彼岸の中日でお休みだ。気付けば、今年度出勤する日はもう10日を割っている。忙しない年度末、深呼吸をしながら心穏やかに過ごしたい、と思う。
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2013.3.16 開花宣言の日に、プチ虹のサロン月例会

2013-03-16 21:47:26 | 日記
 今日は、息子は学校がお休みで、目覚ましをかけずに朝寝坊が出来る幸せな土曜日。ベッドの中で朝のテレビ小説を見るという体たらく。朝食まで夫に用意させてしまったとんでもない主婦である。

 朝食後、洗濯物を干していそいそと出かける。今日はプチ虹のサロン月例会だ。
 例年この時期は、手が届きそうなほど間近に広がる見事な桜を愛でることが出来る和食レストランが会場だ。あと1週間遅ければ満開だったかもしれないが、予約の関係で残念ながら今日になってしまったのは致し方ない。当初の開花予想は2週間先だったのに、1週間前倒しになった想定外の早い開花である。こんなふうに予想が出来ないからこそ、桜はより恋しいものなのだろう。それこそどんぴしゃで満開の花を5人占め出来た去年は、本当にラッキーだったのだな、とつくづく思う。

 出がけに、最寄駅で目の前で特急電車に行かれてしまい、幹事の分際で遅刻必至。お詫びメールを出す。エスカレーターをダッシュして駆け下りれば乗れたのかもしれないけれど、転倒でもしたら目も当てられない。
 その後、SさんとTさんからもちょっと遅れます、という連絡が入った。会場に到着すると、KさんとSさんのみ。ほどなくしてTさんが到着。そして、何の連絡もなかったもう一人のSさんの姿が見えないね、どうしたのかしらと言っていたところ、「今、○○の駅に到着しました」というメールが入る。その駅はこの会場の最寄駅ではない。なんと、いつものパーティルーム会場に行ってしまったというハプニング。「今日は和食レストランですよ~」という留守電とメールを入れる。地下鉄やJRを乗り継ぐより早いということで、タクシーで駆けつけて下さった。僅か10分ほどで到着したという。近くて良かった!と5人揃ったところで再会を祝して乾杯。
 
 この1か月の間、メンバーには色々なことがあった。先月末、実のお母様にご病気が見つかったのと前後して、施設に入って間もなかったお義母様が、月初めに急変されそのまま他界された。抗がん剤が変わった。永年勤続で長期休暇中等々。お互い治療等の近況報告をし、旅行のお土産話をし、またも気付けばあっという間に4時間が経過する。

 その後もまだ別れ難く、いつものようにお庭の散策に出る。この庭園の基準木であるソメイヨシノには開花宣言の看板が出ていた。まだちらほらではあるが、確かに淡いピンクの花が咲き始めている。“微笑みと元気を与えてくれる桜が次々と花開く季節がやってきました”というパンフレットの通り、自然と笑顔になってくる。既に河津桜、寒緋桜が終わり、小彼岸桜が満開、枝垂桜も咲き始めている。コートを着ているとちょっと暑いほどのポカポカ陽気。
 そんな庭園では、お抹茶と和菓子のお茶席が用意されており、5人で頂く。緋毛氈の席に腰かけて青空を見上げると、今年もこうして5人揃って桜の季節を迎えられたことが有難く嬉しい。
 さて、と席を立つと、緋毛氈の赤い糸くずが皆のコートやタイツに付いてしまっている。先方は心得たもので、桜の模様の着物を着たウエイトレスさんが、コロコロローラーで取ってくれるというおまけつき。それにしてもコロコロローラーを見ると、どうも脱毛した時に家中で転がしていたことを思い出して、苦笑いしてしまう。

 ご主人がお迎えに来られたTさんは一足先にお帰りになり、残った4人は満開だった小彼岸桜とツーショットを撮った後、ゆるゆると最寄駅まで歩く。また来月の再会を約束して、いつものように途中のターミナル駅でSさんが降り、次のターミナル駅で私ともう一人のSさんが降り、そのまま電車に乗っていったKさんとお別れ。

 買い物をしながら、楽しかった余韻に浸りつつ笑顔で帰宅する。
 夕食も出来ていて本当に感謝だ。3人で夕餉を囲みつつ、静かな春の土曜日が終わる。
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