ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.3.13 強風の春の日に思うこと

2013-03-13 20:07:58 | 日記
 今日は午前中都心での会議の日。息子は音楽鑑賞会。コンサートホール現地集合時間が遅く、1人パジャマでまったりしている中、夫は出張でいつもより10分早くドタバタと出かけた。私も、ターミナル駅までの一時間弱、満員電車でずっと立っていく元気がなく、座席を確保するため、家を出る時間が前倒しになってしまう。

 会議の最中、窓がガタガタいうほどの風が吹きまくっていた。
 会議が終わって外に出てみると、土埃で目が開けられない。すわ、かつらが飛ばされるのではないかと、思わず頭に手を添えるほどの強風。看板でも飛んできたらどうしよう…労災になるわよね、とドキドキしながら目を伏せながら歩く。

 案の定、電車はどの路線も強風の影響で大幅な遅延。代替輸送を、といったところで、どの路線も遅れているのだから乗り換えてみたってどうしようもない。
 あぁ、迷った末、今日も1冊余分の文庫を持っていて良かったなあと思う。
 結局、帰路の私鉄は40分ほどの遅れ。怪我の功名で、往復の移動時間に持っていた2冊読み終えることが出来た。

 ターミナル駅のレストランでお昼を摂りながら、ふと義妹が「親(義母のこと)1人看取るだけでこんなに大変だとは思わなかった」と言っていたことを思い出し、ご両親の介護中の友人たちにお見舞いメールを送る。
 見回せば介護をしている友人が本当に多くなった。
 年齢を重ね、自分たちの体調も若い時とは全く違っている。当然、メンテも必要になっている。若い時のようにそうそうがむしゃらには頑張れない。無理が効かなくなっているのは、私のように持病を抱えているかどうかの問題だけではないだろう。老親のことだけではなく、子育てから全く解放されているというわけでもない。仕事を持っていれば其々責任ある地位にもあるだろう。いやはや、あれこれいろいろ重なる試練の時期だ。

 たとえ病気を抱えているといっても、自分が親に介護されるという事態だけは何とか避けたいと思っている。
 一方、老親を介護しなくてはならなくなる日が遠くないということは、冷静に考えればごく順当なこと。一人娘の私が、決して避けられないことだとも分かっている。
 それぞれのライフステージで、いったいいつの段階が介護するのに一番良いのかなどは考えてみても致し方ないことだ。子どもが小さくて手がかかる時なら、こちらはまだ若くて体力があるだろう。けれど子供の手が離れ、自分も現役を退いて親が長寿ならば老老介護になるわけだ。

 その日は突然やってくる。そして、概ね短期決戦では済むことは少なく、長い時間がかかるだろう。
 とにかくそういう事態になったら慌てず騒がず淡々と環境整備をしながら、出来ることを出来る人が出来る時に、何とか乗り切っていくしかない。
 綺麗事ではなく、お金は当然かかるのだから介護のために安易に仕事は辞めてはいけない(ついでに治療のためにも仕事は辞められない。)。
 長丁場になるのが常だから、誰か一人があまりに頑張ったらきっとその歪みが出る。バランスが崩れると共倒れになる。

 今現在、介護真っ最中の友人たちにはどうか頑張りすぎずに頑張って、そして自分のことを決して後回しにしないでほしい、とエールを送りたい。

 帰宅すると、先日種蒔きをしたレタスとラディッシュが可愛い芽を沢山出していた。暖かい春の陽射しに元気一杯である。ニュースではまた桜の開花予報が1週間早まった。強風をものともせず、春は駆け足でやってきそうである。
コメント (3)
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