ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.9.25 冴えない休日でした

2011-09-25 17:32:42 | 日記
 ナベルビン投与も早1年を経過し、薬がたまってきたせいなのかどうか。以前は水曜日に投与した後、木・金と2日間我慢しながら出勤してやり過ごせば、土曜日後半からは復活して、日曜日はほぼ元気に動き回れるペースだったのだが、最近は土曜日もなかなか復活してこない。
 昨日も全く何もやる気が起きず、気持ち悪さも何となく継続。炊事も夫に任せた挙句、一人で早寝。にもかかわらず、今朝も今朝とてなかなか起きられなかった。

 久しぶりに夫と2人でクリーニングを出しに出かけ、その帰りに気分転換になるかも、とクリーニング店の前にあるカフェでモーニングセットを食べた。お腹はすいているのに、いまいち“美味しい”と思えない。胃腸も体も重い感じ、胸部の圧痛が続いている。

 帰り道、もう紅葉が始まっているのを見ながら、週末からは10月なのだ、と実感した。空も高く、青く澄み渡り、本当に良い季節だというのに、気分が冴えないのが哀しい。今日はとても涼やかで、家の中にいても風が通ると半袖では寒いくらいだ。
 帰宅後、さぼっていた拭き掃除をした。それから汗をかいたら少しはすっきりするかも・・・と、リンパプラスヨガに行ってきた。それでもすっきり感がいまいちだ。

 これからもナベルビンが奏功してくれていれば、このまま今のペースで続けていくことになるのだろうけれど、調子が悪い日が増えていくのかと思うと、正直、気が重い。だからといって止めたい、とは言えないのが辛いところだ。

 義妹宅に息子のホームステイのお餞別返しやら何やらを送ったところ、到着した、とお礼の電話があった。私が体調がよくない、と話したものだから、気を遣ってか義母(私の夫と義妹の実母)とのことで夫に愚痴をこぼしていた。誰にも聞いてもらえなかったので、話してすっきりした・・・とのこと。良かった。
 そして、私はこれからのことをどうしたものか、と考えている。義妹にとっては実の母親といっても、ご主人への遠慮もあるだろうし、お互いに顔を突き合わせているとどうしても険悪になるなら、スープの冷めない距離に義母の部屋を借りてみるのも手ではないか、と夫に提案してみる。勿論、家賃はこちらが負担して。試しに近辺の賃貸情報を検索してみたが、なかなかそう調子よく見つかるものでもない。
 私が死んだら義母を引き取る、というのがおそらく一番いいことなのだろうと思うけれど、私がいつまで生きているのかも神のみぞ知るで、そういう提案もなかなかしづらい。

 さて、あっという間に今日で三連休も終了。息子の文化祭に出かけた以外は本当に何もできなかった。本も読めず、映画にも行けず。調子が悪いのだから仕方がないのかもしれないけれど、なんだかなあ、の休日だった。

 今日の夕食は久しぶりに外食。夫がごちそうしてくれる、というので息子がスポーツクラブから帰ってきたら出かけるところ。最近、息子は私たちとの同一行動をめっきり嫌がるようになっているが、イタ飯とか、お寿司とか、彼の好物の場合は話が違うらしい。現金なものである。

 明日からは勤続25周年の長期休暇スタートなのだから、少しでも元気に有意義に過ごしたいものだ。


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2011.9.24 年上を敬う心―敬意について思うこと

2011-09-24 11:55:07 | 日記
 日経BPニュースを見ていて面白い記事を見つけた。かなりの長文なので、転載させて頂くのは控えるが、参考までに題名だけ紹介したい。
 河合薫さんの「新・リーダー術 上司と部下の力学」の9月22日の記事「“上司は尊敬に値しない!” こう言い切るモンスター部下の正体」というものである。

 冒頭「“敬意”という言葉は、過去のものになってしまったのだろうか。」と始め、「今の世の中、“何様?”だらけ、だ。」と嘆く。そして、「相手への“敬意”なき言動は、暴力でしかない。」と。本当にその通りだ、と思う。
 続けて「上司に敬意を払わない部下」の話から上司への敬意について考えている。
 若手社員が上司に敬意を示せない理由は、「だって年だけ食って、大して仕事もしていない上司なんか尊敬できるわけがない」「今の40代以上って、年功序列で上に上がった人。はっきりいって仕事できない」「使えない」「上にも、下にもゴマすってて、ウザイ」「部下の仕事をちっとも評価しない」「部下のやりたい仕事をやらせない」「自分の意見ばかりを押し付ける」「会社にいらない人」などなど実に辛辣なもの。筆者はそれを聞いて、「自分の意とそぐわないもの、あるいは自分の期待に反することがあれば、徹底的に排除し攻撃する。自分の思い通りにならないと容赦なく攻撃をする、モンスターペアレンツやモンスターペイシェントと、似たような怖さを感じてしまった。」という。
 自分の若い頃を振り返り、「「年上は偉い」「年上には敬語を使うべき」「上司は偉い」という世間の常識が、上司への辛らつな気持ちを抑える、ある種の“重し”になっていたのでは・・・」と回想する。 さらに「どんな人にも“蓄積”がある」とし、「相手をバカにしていると自分もバカになる」と祖母から言われて育った母の話を例に、「部下と上司の関係でも同じだ。」とまとめる。

 さて、我が家のこと。文化祭の準備で帰りが遅くなった息子が、面白くなさそうに言った。「本当に頭に来る後輩がいるんだよね。あまりに仕事をしないからちょっと注意したら「チッ、○○(我が家の苗字)の奴に、こんなこと言われて、チョーむかつく!」ってわざわざ聞こえるように言うんだよ。皆が一生懸命やっているときに、自分は面倒くさいことは何もやりたくないって、おかしいじゃない。一体どんな親に育てられたんだか、見てみたいもんだね!」と相当鼻息が荒い。

 思わず夫と顔を見合わせて、「○○(息子の名)が、よそ様の家の子のことを“親の顔を見たい”なんて言っちゃうの、凄いね。」と話した。中高一貫だから、中1と高3では本当に大人と子供くらい成長の差があるだろう。私は中高とも公立だったから、中1のときの中3や、高1のときの高3の先輩、つまりは2つ上の先輩等、殆ど「神」といった状況で、タメ口をきくとか文句を言うなどはとてもあり得ないことだった。が、我が家の息子は高1、相手は中1だというので驚いた。

 そういえばずいぶん昔のことになるが、私にも職場でそんな経験があった。若い係員の態度がいかにも私を小馬鹿にしていた。担当者がその業務に一番詳しいわけだし、こちらもわからないから聞いているのに「そんなことも知らないのかよ、高い給料もらっているくせに・・・」という態度がありありだった。リーダーが、それぞれの仕事の詳細を担当者より正確に掌握していたら、その仕事にはリーダー一人で十分。直接の担当者等要らない。

 自分も若い頃、こんなふうに上司に生意気な態度をとったかしら・・・と反省したけれど、それでもずいぶん傷ついた。夫に相談したら、「そんなことで弱気になることないよ、向こうにはない今までの長年の経験や蓄積があるんだから。」と言われて少し救われたことを覚えている。

 もちろん、私が若かった時代に比べて職員の数が削減されているから、新人でもかなり重たい仕事を与えられ、大変だというのはよくわかるし、それをこなしているのは凄い!と素直に敬意を払うことも沢山ある。自分より若い人に敬意を払わない、ということでは、決してない。

 けれど、ある年齢にならなければ見えてこないことも、沢山ある。それが年齢を重ねた分の蓄積なのだろうが。いずれ、自分も若い人たちにそう言われてしまう日が来るかもしれない・・・、ということに彼らは哀しいかな、まだ気付いていない。

 なにはともあれ敬意について考えさせられた出来事だった。そう、いくつになろうと何より「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。・・・謙虚に生きたいものである。

 相変わらず気持ちの悪さが続いている。昨日の疲れもあって、今朝はすっかり寝坊してしまった。いいお天気、行楽日和だというのに・・・。今日一日の辛抱かもしれない。
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2011.9.23 三連休初日・・・文化祭へ

2011-09-23 19:55:34 | 日記
 いつもどおりに起床。今日は息子の学校の文化祭だ。去年は、受診後急きょポートの抜去と再設置の手術となり1泊入院。文化祭当日が退院日だったため、残念ながら見学に行ってやることが出来なかった。
 昨日は、予定では生徒だけの見学日だったのだが、一昨日が台風で臨時休校となったため、準備が追い付かず、昨日も1日準備にあてたという。

 息子が出てから30分ほどして夫と出かけた。昨夜から気持ち悪さが酷く、ナウゼリンを飲んで早めに休んだが、いまだに気持ち悪さが治まらない。そんなわけで昨日から食欲はなく、加えて、マグラックスが効き過ぎて、今朝起きるなりまたもお腹を壊してしまった。

 息子のリクエスト通りのお昼の弁当と、部の皆さんへの差し入れを買いながら学校に向かう。なんだかぱっとしない肌寒いお天気だ。本当なら家事を済ませてからもう少しゆっくりと出かけたかったが、息子のクラスの出し物が朝一番だったので、仕方ない。
 学校の最寄の駅で降りると、早くも訪れる家族連れ等で混雑が始まっていた。途中にあるお寺に咲いていた赤い曼珠沙華(彼岸花)がとても美しかった。

 息子の学年のクラス出し物は、お神輿とそれにちなんだ寸劇だが、息子はホームステイ展示やら鉄道研究部の展示等で忙しく、とてもクラス展示まで力が及ばなかった様子。劇は5分間ほどのものだったが、キャストの声がよく聞こえず、なかなか苦しい展開だった。実際に劇に登場していたのはクラスの3分の1ほどか。それ以外の生徒たちはギャラリーだった。

 ホームステイの展示では、沢山の写真と帰国後の一言カード等が展示されていた。見たことのない写真が沢山あって(本人が撮ってきた写真は、動物と風景と空、という実にシュールなもので、人物が写っているものは数えるほどしかなかった。)、初めて、こんな所でこんなことをしていたのだ、とあちらでの様子が分かった次第だ。先生方のご苦労がしのばれる。

 部活の展示へ移動。毎年変わらぬ模造紙展示とクイズ、ジオラマ模型の展示。中では結構偉そうにしていて、こちらが恥ずかしくなるほどだった。息子は早く帰ってほしい雰囲気がありありで(頂くものは既に頂いたので、というところか。)夫と2人、早々に退散した。

 毎回この文化祭を見た後は、数駅先にあるホテルでランチをすることになっているが、あいかわらず気持ちが悪く、「お腹がすいた、お腹がすいた。」と言う夫が憎らしい。食前にナウゼリンを飲み、食後に、今回最後のロキソニンを飲んだ。食べ物をお腹に入れると、またお腹を壊してしまい、なんだか冴えないこと甚だしい。

 夫はまだ界隈を散策したかったようだが、私は気持ちも悪いし、さっさと帰宅したいから、と、つれなく電車に乗り、買い物だけ済ませて帰宅した。

 高校生は下校時間が中学生よりも1時間遅い、ということで、息子は片付けの後の打ち上げにも出てくる様子。またハイテンションで帰ってくるのだろうな・・・と、今からこちらは体力温存しておかなければ、とこわごわ備えている。

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2011.9.22 昨日、通院日に読んだ1冊半

2011-09-22 06:53:32 | 読書
 昨日は1冊半読んだ。

 1冊目は「日本の論点」編集部編「巨大地震 権威16人の警告」(文春新書)。
 帯には大きな黄色い文字で「いつ来る!次の巨大地震 どうする津波?どうなる原発?その時、あなたは?」とある。巨大地震を警告する選りすぐりの論文16本から成り、第1章 大地震はいつ起きるか 第2章 地震にいかに備えるか 第3章 原発は震災に耐えられるか 第4章 被災者をどう支援するか の4章立てに日本災害年表(地震・津波・火山噴火)がついており、一部の論文には今回の状況変化に応じて付記と震災に関する新しい情報や問題点がデータファイルとして加えられている。
 “本書の読み方”の中の「45歳のとき、関東大震災を経験した寺田寅彦の随筆『天災と国防』の指摘に“文明が進めば進むほど天然の猛威による災害がその激烈の度を増すという事実がいつも忘れられがちである”というものがある。すなわち今度の震災がかつての日本の特殊な天変地異と決定的に異なるのは、天然の猛威が、文明の象徴であり、堅牢と思われていた原発の防護をいとも簡単に粉砕してしまい、寺田の警告のとおりその災禍がまさに激烈の度を増し、さらに放射能禍となっていまなお進行中である。」という記述に唸ってしまった。
 そして被災者支援の章では、まさに16年前の阪神・淡路大震災からの報告が、今も見聞きする今回の被災地と全く同じ状況であるのではないかと感じるとともに、震災報道の存在理由等について心を揺さぶられる記述があった。

 2冊目は山村修さんの「遅読のすすめ」(ちくま文庫)。
 帯には「本はゆっくり読もう! 名書評家<狐>氏が読書本来の<快>を取り戻すためにすすめる読書術」とある。解説は佐久間文子さんが「あえて『遅読』の看板をあげて」を書かれている。「速読につながるからと多読を戒め、ゆっくり読むことの効用を説く。」と。「読むリズムが快くきざまれているとき、それは読み手の心身のリズムと幸福に呼応しあっている」・・・そうやって記憶に刻み込まれた身体感覚が幸福な読書体験の中心にあるから、文章で取り出されたときに読者の気持ちに直接響いてくる、という。その通りだと思う。
 「そしてこの本は仕事をしながら本を読む人に向けて書かれた本だと思う。サラリーマンが読む夕刊紙にすみずみまで神経の行き届いた書評を書き続けてきた人だから、かつて学生時代には本を読んでいたのに、社会人になって読書を生活から締め出してしまった人にも声を届かせようとしている。本を読むことを何よりも上位に置く、ということはしない。食事や仕事や犬の散歩とともに、暮らしの時間の中に読書を置くということは、本を読む行為を特別視せず『あたりまえのこと』とするのだ。」との結びに大きく頷いた。
 とにかく私は、この本を読みながらとても幸せに、そして笑顔になった。本当にそうなんだ・・・と思うところが沢山あった。もちろん紹介されていた本を全部読んでいるわけではないが、中学、高校時代に胸をときめかせて読んだ本が出てくると、嬉しくて気持ちがそこにワープした。
 筆者は1950年生まれ、青山学院大学図書館司書の傍ら、匿名の狐のペンネームで長く書評家をされていたという。が、2006年に逝去、とあった。肺がんで早世されていたのだ。
 本書の題名に敬意を表して、昨日は半分だけ=第一部 遅読のすすめ=のみ読んだ。第二部=本が好きになる本の話=はまたの日の楽しみにとっておきたい。

 台風一過の朝。昨日の暴風雨が嘘のような青空に白い雲が光っている。昨日は早めに寝たので早く目覚めた。合唱団の友人やら職場の人やら、沢山の人が登場する多彩な夢を見た。何なんだろう。なんとか風邪もひかずに済んだようだ。
 洗濯機一杯の洗濯物を干し、息子のお弁当も作り、ほっと一息である。既に若干気持ち悪いが、まあ我慢できる程度だ。

 今日の出勤で今月の勤務は終了する。来週は、長期勤続25年の特別休暇を頂くことになっている。
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2011.9.21 ナベルビン19クール2回目、ゾメタ59回目…帰路は台風直撃

2011-09-21 21:52:22 | 治療日記
 早朝5時過ぎに息子の学校からメールが入って起こされた。台風接近で大雨警報発令のため、本日は臨時休校、とのこと。
 けれど、患者の私は、雨が降ろうと槍が降ろうととにかく今日も通院日。いつもより早めに余裕をもって家を出た。途中雨が強くなったが、電車はとりあえず順調。病院最寄駅に到着した時は、風は強かったものの雨は殆ど降っておらず、予定通り病院に到着した。

 今日は診察前採血もレントゲン撮影もなかったので、再来受付後、そのまま腫瘍内科受付へ行った。30分ほど待って中待合に入り、そこで認定看護師のKさんから吐き気の状況等について聞かれた。久々に熱が出て寝込んだこと等をお話していると、10分ほどして診察室に呼ばれた。
 主治医の「さて、先週はどうでしたか。」との質問に、久しぶりに週末に熱が出たこと、先週は吐き気止めのデキサート(ステロイド剤)がなかったため、睡眠導入剤を飲まずにすんなり眠れたこと、気持ち悪さはそれほどでもなくなんとか我慢できたこと、発熱に伴ってまた目と鼻の爛れが悪化していること等をお話した。
 予定通りナベルビンとゾメタの点滴。次週は休薬で、再来週に採血とレントゲンの予約が入った。そして、化学療法室へ移動。今日はまだ時間が早かったので、10分ほど待って案内されたのは窓側の点滴椅子だった。
 30分ほど待って認定看護師のKさんにベッドで針刺をして頂いたが、いつになく痛い。針が入った後もチリチリと刺す感じが続いた。逆血は全く問題なかったようだが、思わず涙が滲んだ。今日の血圧は94-49、体温は36度3分。
 席に戻って15分ほどで薬が届き、点滴開始。今日はグラニセトロン、ナベルビン、生理食塩水、ゾメタ、生理食塩水の5本。

 今日はプチ虹のサロンのKさんも通院日。TさんやSさんから治療が無事に早く終わるよう、こんなお天気なのでどうぞ気を付けて・・・というメールが入った。有難いことだ。目の前の大きなガラス窓を通して外の様子が良く見えるのだが、時折あたりが真っ白になるほどの強い雨。風で大木がしなる。帰りを考えて気が重くなった。
 珍しく1時前に終わったが、今度は抜針。これまた痛く、凄い衝撃だった。今日は刺す時も痛くて・・・、と思わず愚痴が出る。いつもは出血もないのに、今日はなかなかガーゼをとれなかった。
 そして会計へ。なかなか自分の番号が出ない。ようやく出た、と自動精算機に診察券を通すと「窓口までお越しください」という表示が出て窓口まで逆戻り。がっかり。また時間がかかってしまった。本日の病院滞在時間は4時間半。

 外を見ると少し雨が弱まっていた感じだったので、いざ、と歩き出したが、途中でいきなり雨風が酷くなり、雨宿りしながら駅へ向かった。傘をダメにしている人が沢山いた。
 薬も飲みたかったし空腹だったのだが、電車が止まってしまっては大変と、とりあえずそのままJRのホームへ行き、来た電車に乗り込む。
 とにかく私鉄への乗換駅まで行けば、私鉄が止まってもタクシーで帰れるし、と乗換駅まで急いだ。さすがに空腹だったので、乗換駅ビル内の飲食店で遅い食事。マグラックスとロキソニンを飲む。夕食にお寿司を買って、お店の人の「まだ電車は動いているようですよ。」とのお話を信じて駅に戻ると、ちょうど電車は運転見合わせになったばかりで、コンコースは停電になってお店は閉店準備中。食事をするのは自宅最寄駅に着いてからにすればよかった、と、またも後悔先に立たず、である。

 仕方なくタクシー乗り場へ向かったが、凄い風で当然傘などさせない状態。看板は飛ばされていたり、倒れていたり、身の危険を感じるほど。決死の覚悟で列の最後尾に並ぶ。30人以上の長蛇の列だった。
 コートも着ていたのだが、横殴りの雨で立っているのがやっと。頭の上から下着までびっしょり。途中からゾクゾクと寒気がした。治療後にこんなことで風邪をひいたら大変だ、と滅入る。途中、夫や息子とも連絡をとりつつ、プチ虹のサロンのSさんやKさんともメール連絡をして、絶望的なほどたまにしかタクシーが来ない中、萎えそうになる気持ちを励ましてもらった。

 結局2時間近く待ってようやく乗ることが出来た。前の若い男性が「お先にどうぞ」と譲ってくださり(よほど情けない顔をしていたのだろう。)1台早く乗ることが出来た。申し訳ない感じだったが、有難く乗らせて頂いた。持っていたタオルで水が滴り落ちる髪の毛を拭く。タクシーの運転手さんは気を利かせてヒーターを入れてくれた。途中の道路は冠水しており、あと少し水が増えたら走れなくなる、とのことだった。

 帰宅できたのは6時少し前。息子にはお風呂を沸かしておいてもらってとりあえず暖まって人心地着いた。
 心配してくれていたプチ虹のサロンのメンバーに、無事到着しましたメール。夫も都心ターミナル駅で足止めを食っていたが、知人に車でピックアップしてもらって帰宅することが出来た。有難いことだ。

 今は嘘のように風も雨も止んでいる。家の周りの大木が倒れていてびっくり。今日は早く休みたい。
 1冊半読んだが、それについてはまた明日のご報告。
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