ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.2.4 立春…15年生存率100%!World Cancer Day Next Ribbon 2020参加

2020-02-04 22:21:45 | 日記
 今日、2月4日は立春であると同時にワールドキャンサーデーだそうだ。ちなみに、私が15年前、2005年に初発の手術をしたのは2月4日のことである。手術の前の晩に、節分の福豆が病院食の献立に乗ったのを覚えている。言ってみれば世界対がんデーはマイ対がんデーでもあることに今更気づいてびっくり。何たる因縁か。

 さて、このイベント、2017年1月にキックオフ、第1回目が開催された。カドサイラ中止とジェムザール開始前の合間に参加が叶った。得るものが多かったので翌年も応募し、運良く招待状を頂いた。だがこの年から2月4日の開催となり、ゼローダの副作用も酷く出ており、インフルエンザが流行っていて人混みに行くのは・・・と参加を断念した。

 昨年も同じ立春開催だったが、平日で休暇が取れそうになかったし、咳や息切れ等の体調不良もあり、応募しなかった。そして今回。昨年末に応募した時にはまだ新型肺炎という話はなかったし、平日で休暇が取れるかどうか不明ながらダメ元で応募したところ、1部、2部とも招待状が届いた。思い切って休暇を頂き、都心まで出向いた。
 さすがに2部が終了するのは夜遅い時間なので、翌日を考えて1部だけの参加とさせて頂いた。

 昨日は午後からの下痢でお腹は空っぽだったが食欲もなく、夕食も控えめ。今朝は何とか落ち着いたようだったが、長い道中電車に乗るので朝食も控えめ。早めに会場まで辿り着き、ホール近くのカフェで恐々サンドイッチの軽食を摂った。

 開場時間から10分もせずに会場入りしたが、既に通路側、立ちやすい席はどこも埋まっている。なんとか右ブロックの中央付近の通路側席を確保した。「満席予定なので前方から詰めてください。」とスタッフの案内がある。

 今回参加した第1部は「がんとの共生社会を目指して ~企業の働き方改革で共生社会実現へ~」のシンポジウムである。
 「日本はいま、生涯で2人に1人ががんになり、年間死亡者の死因の3割をがんが占める時代です。一方でがんは、治療やその後の検査を受けながら『付き合っていく病』に変わりつつあります。定年延長や女性の社会進出で、男女ともに働きながらがん治療をする人が増えています。がん対策に力を入れる企業、働き方改革やダイバーシティー推進、健康経営を積極推進する企業の事例をご紹介しながら、課題も共有します。そして、誰もがともに働ける社会のあり方について議論していきます。」という触れ込み。

 初回に参加したときも司会は同じフリーアナの原元美紀さんだった。彼女も10年前、早期大腸がんを体験されたサバイバーである。彼女が罹患した時、自身の身体の今後のことよりも、フリーの立場で、この後仕事をなくすかもしれないという不安の方が大きかったという言葉が胸に響いた。

 1部、2部を通じて2,000名の応募があったという主催者挨拶後、40分ほどの基調トーク 「がんでも仕事を諦めない、諦めさせない。上司・部下の4年の挑戦」には、講師として5年前、32歳で虫垂がんに罹患し、その後肝転移、複数回の休職を経、現在も仕事を続けている金澤 雄太さんと、その上司である春野 直之さんが登壇された。

 コメンテーターには初回からずっと登壇されており、研究者として「がんと就労」をテーマにされている国立がん研究センターがん対策情報センターがんサバイバーシップ支援部長高橋都先生だ(高橋先生は3年前に御夫君を胆管がんで看取られている。)。そして、コーディネーターには26歳で罹患した精巣がんが肺に転移しつつ、今も記者として発信を続けている上野 創さん。

 金澤さんが「金澤はどうしたいの?」と訊いてもらえたことが有難かったと仰っていたが、本当にそうなのだろうと思う。私も初発時はステージ1だったし、治る気満々だったから、今後どうしたいも何も、上司に訊かれないうちにいつから復帰できるかという説明をしていた。
 その後、再発・転移してタキソテール投与中、副作用等から休職を余儀なくされたけれど、その後の復帰、働き方についてはしっかり希望を伝えた。恵まれていたのだな、と改めて思う。

 春野さんが、金澤さんをがん患者として扱っていないという言葉が印象的だった。また、当事者は頑張りたいと言うし、企業サイドは頑張ってもらいたいところだが、実際当事者がどのくらい無理をしているのか推し量る必要はあり、それを聞き出すためにも家族との関係づくりが必要だと考えておられることも。
 しみじみ、この10年、社会は変わってきているのだ、という思いを強くする。

 続いての50分はパネルディスカッション 「中小企業でも、中小企業だからこそ出来る取り組みとは?」。
 3社からの社長が2人、副社長が1人登壇された。谷口 正俊さん、永江 耕治さん、松下 和正さんのお三方だ。こちらのコーディネーターも上野 創さんが務められた。
 一般に病を得た時の色々な制度は大企業の方が整っていて、がんになっても仕事が続けられるのは少数の恵まれた人たち、余裕のない中小企業ではとてもそんなことは出来ない、居づらくなって辞めるしかないというようなことが言われていた時代もあった。

 けれど、ところがどっこい、36歳の時に精巣腫瘍が見つかり、手術、抗がん剤治療を受け、半年後に復職を果たした永江さんは今は副社長という経営側の立場でおられるが、(がんの社員がいるおかげで)周りの社員が疲弊するのでは、という問いに対して、彼は、(中小企業では)融通が利くこと、社員の一人一人の顔が見え人となりがわかる(大人数になって名簿の上の記号化してしまわないこと)という利点がある。また、(制度やルールを超えて)「あの人に戻ってきてほしい」という声が大きく上がるような、病気にかかる前の関係性が大切なのではないかという発言には大きく頷いた。

 病気になってからではなく、なる前にどれだけ組織に貢献できる人材であり得たのか、このまま辞められたらもったいない、と思ってもらえるかこそ肝なのである。
 中小企業のこうした文化は、温情や人道主義ではなく、トップが強い意思を以て行うことで叶うという谷口さんの言葉や、がん患者の治療と仕事の両立への優良な取組を行う企業として東京都から表彰された松下さんの会社における、病に罹患したことで経験豊富な人に辞められては困るので、ごく自然にコンパッション(ただただ相手のことを考えること)をしてきただけであるという言葉にもじーんときた。いつでも戻ってこい、待っている、という言葉を頂けることでどれほどの安心感があることか。

 前半残念だったのは、最初司会の原元さんから「携帯や音の出る機器は電源を切り、PCもキーを叩く音が出るので使用をお控えください。」という注意があったにもかかわらず、遅れてきてその注意を聞かなかった女性が隣に座り、美しくネイルを施した長い爪でずーっとPCをカタカタと打っていたことでつい気が散ってしまったこと。仕事だったのだろうけれど・・・。

 15分の休憩を挟み、後半開始だ。冒頭、再度司会者からのPCをお控えください、という言葉があり、お隣がPCを仕舞ってくれたのでほっとした。それでも録音、撮影禁止にもめげず、しっかりスマホで録音され、最後はスマホを舞台に向けていたが・・・。

 鼎談 「企業の新たな挑戦!ここまできたがん対策&働き方改革」には、普段お目にかかることのない大企業のトップがお二人登壇された。日本初のがん保険を発売したアフラック生命保険株式会社 代表取締役社長の古出眞敏さんと、フィルム・カメラ事業からは撤退し、今はプレシジョンメディシンを実現する技術を持つ企業として、画像による早期診断等ヘルスケア事業に舵を切っているコニカミノルタ株式会社 代表執行役社長 兼 CEO山名昌衛さんだ。コーディネーターはハフポスト日本版編集長 竹下隆一郎さん(お母様をがんで亡くされているという。)が務められた。

 お二人が順番にプレゼンされ、本業での支援、組織としての最先端の取り組みが紹介された。
 古出さんからは「がんや病気にかかっても安心して自分らしく働ける」を支援する様々なプログラムの紹介があった。がん治療を理由に「会社を辞めさせない」―まさしくこの精神である。社員が上司にがんに罹患したことを報告すると、上司はまず「(報告してくれて)ありがとう。」と言うべく管理職研修を徹底しているという。「大丈夫?」等とは訊かない。そう、我が身を振り返れば、「大丈夫?」と訊かれれば(仕事のことを考えて)無理をしてでも「大丈夫」と言わざるを得ないし、それ以上会話が続かない。余計不安になる。それが、「ありがとう」と言われる、とにかくまずは受け入れてもらえるということー何より素敵なことである。
 「がんに苦しむ人々を経済的苦難から救いたい」というアフラック創業の想いは、お客様だけでなくアフラックという会社で働く人たちの支援にも繋がっているのはごく自然なことだと感じる。

 さすがに2時間半、コートを抱きながらメモを取って熱い議論に集中していると、頭も身体もかなり疲れてくる。企業の人事担当者等も多く参加していたのではないだろうか。健康な人にはなんのこともない時間なのかもしれないけれど、やはり治療翌週、下痢の影響もあり、体力が落ちているのは否めない。

 総括は30分間 「がんとの共生社会を目指して」と題して、高橋都先生、竹下隆一郎さんが登壇され、進行は上野 創さんが務められた。3時間強、まさにてんこ盛り。
 最後、上野さんから高橋先生にサプライズの花束贈呈があった。先生は3月末で退職されるというが、それでもこの活動は続けていく、との力強い決意のお言葉があった。一同拍手。

 この10年で社会が本当に変わってきていることを実感した。コストを超えた人間の暖かさを感じたという高橋先生の言葉に励まされる。上野さんの「組織内にがんの経験者がいるということは、かつてはマイナスだったけれど、今は違ってきている。個々の体験が会社に役立ち、会社の仕組み、活動そのものにフィードバックされ、会社の文化になっていく、本人と上司のコミュニケーションや本人が発信していく姿勢に同僚が触発されていく」という言葉にも頷ける。これぞ目指すべき好循環である。

 結局のところ、コミュニケーション能力なのだと思う。人間同士のこと、人間力なのだろう。共に生きる社会、何もがんだけではない、のである。なぜがんだけ特別扱いか、という気もしなくはない。人生のうち数十年の長い歳月、通して365日24時間ベストコンディションで働き続けられる人はいないだろう。病だけではない、子育て、介護、色々な条件のもと、働く人たちのニーズは多様化の一途である。企業は臨機応変な対応をしながら、皆で知恵を出し合ってお互い様の精神で折り合いをつけながらやっていくことが望まれるのだ、と思う。

 私自身は初発から15年、再発から12年。おかげさまでこうしてフルタイムの仕事を続けさせて頂いてきた。定年まであと2年余り。その後の継続雇用については、今はとても考えられないが、それでも職場の若い人たちが、そういえば○○さんは再発がんの治療しながら普通に定年まで働いていたな、だからがんになっても辞めることはないし、働き続けることが出来るんだな、と記憶のどこかにでも残してくれたらとても嬉しい。

 今日登壇された方たちはご自身ががんの体験者、そうでない方もごく身近な家族をがんで喪っている方が複数いらした。
 他人事ではない、自分事として一人一人が向き合うことが出来れば、きっと社会はもっと生きやすくなるに違いない・・・そんな思いを抱きながら、2部 トーク&ライブ「がんについて語ろう ~がんとともに生きる、寄り添う~」にちょっぴり後ろ髪を引かれつつ、とはいえ、もう草臥れて限界!と会場を後にして、家路を急いだ。

 途中デパ地下で明日の朝食用のパンを買い、それ以上の寄り道はしないで夫が乗るという電車より1台早い準特急に乗り込めた。
 今日は晴天という予報だったけれど、曇天で思いのほか気温が低かった。帰宅後は頑張ってそのまま夕食の支度をし、夫が帰宅してすぐに夕餉を囲むことが出来た。

 立春、15年生存率100%、久しぶりに平日都心を仕事以外で往復出来た。充実したいい一日だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする