ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.6.2 専任患者にならずにいられる幸せを想う

2015-06-02 20:08:18 | 日記
 誰だって病気になりたくてなるものではない。辛い治療を乗り切れば治るという病気であればまだしも、頑張ってはみても完治はしないという病気と付き合うことは、本当に大変なことだ。いや、辛い治療でも続けてさえすれば、命を失うことはなく共存していける、というのならまだしも、厳しい治療を続けても結局のところ命をとられる、というのであるなら、なんとやるせないことか。

 これほど医学が進歩しても、再発・転移したがんを治癒させることは奇跡に近いことだ。
 けれど、かつてに比べてQOLを落とさないまま、かなり長期に渡って付き合うことが出来るようにはなっている。それは紛れもない事実である。
 私はおかげさまで、再発治療開始から7年半になろうとしている。私が発病した頃、乳がん再発転移後に10年生きる確率は5%と言われていた。100人いれば5人ということだ。けれど、今はその割合も大分上がっているのではないだろうか。

 この7年半の間、1か月たりとも治療を欠かした事はなかったけれど、仕事も趣味も諦めることなく、概ねこれまで通りの生活が続けられている。
 そう、私は専任患者にならずに日々を送らせて頂くことが出来ている。がん患者でいることは、哀しいかな私の人生の一部にはなっているけれど、がんという病に人生全てを乗っ取られているわけでは、ない。

 こうしてブログを綴ることは、再発患者になったからこそ始めたことではあるけれど、私の人生に於ける優先順位の一番上というわけでもない。もちろん、沢山の大切なもののうちのひとつではある。だからこそ、無理をせず、書きたいことがある時にだけ、細く長く書いていくというスタンスをとってきた。
 内容を見ればお分かりの通り、治療のことだけではなく、日々暮らしていく上での様々な思いや気付き、好きなこと等についてのトピックの方がよほど多くなっている。いわば、治療日記を書く時だけ“非常勤”患者といったところか。

 けれど、中には患者になった所為で、大切な仕事を失ったり、人生のパートナーとの別れを余議なくされたり、好きなことを諦めたりせざるを得なかった、という方も少なからずおられるだろう。闘病ブログを更新したりすることが生きる張り合いになり、患者という属性に生きていく拠り所を求めざるを得ない方も少なくないのかもしれない。
 そう思うと、今、こうして患者としてだけでなく、仕事が続けられ、そして、とても及第点はもらえないかもしれないけれど妻として、母としての顔も合わせて持ち続けさせてもらえることに、治療を続けながら命を繋げていることに、改めて感謝する6月の夜である。 

 帰宅すると、今月1回目のお花が届いていた。毎年この時期のお愉しみ、季節限定プレミアムな芍薬が3濃いピンクと淡いピンクで3本ずつ、紫のネギ坊主のようなギガンジュームが2本、ソケイの葉が1本。花言葉はそれぞれ「はにかみ」、「不屈のこころ」、「可憐」だという。無造作に投げ入れただけで、それは見事に豪華な花瓶が完成した。
コメント (2)
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