ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2009.11.24 ハーセプチン69回目

2009-11-24 20:54:19 | 治療日記
 今日は一ヶ月ぶりの皮膚科。受付を済ませると、ほどなくして呼ばれた。手の爪、足の爪を見て頂く。手のケアは特に何もしていない。足は朝晩ケラチナミンをつけているが、あいかわらず岩のようにごつごつしており、これ以上厚くなるようだったらラップもした方がよい、他の指は深爪をしないこと、ということだった。ケラチナミンもまぶたのただれの軟膏もまだあるので、今回は薬はなし。次回は仕事納めの12月28日に予約が入った。
1階に降りて内科へ。すでに「中待合へどうぞ」に自分の受付番号が出ており、やはりほどなくして呼ばれた。最近はまた手のこわばりが気になること、少し重いものを持ったりすると胸の痛みがあること、早足で坂道を歩くと息切れがするなど、お話する。次回は12月1日。採血の予約も入っている。
 処置室に行くと、点滴椅子が満席。本を読みつつ検温、血圧を測って頂いて待つこと30分あまり、椅子が空いて薬が届いて今日はお昼前に点滴スタート。
 
 本日の読書は2冊。1冊目は青砥恭さんの「ドキュメント高校中退―、いま、貧困がうまれる場所」(ちくま新書)。“家族みんな中退、二世代にわたる母子家庭、先行きのない若年出産。貧困スパイラル!”の帯は衝撃的だが、ある程度予測はしていたものの、読み進むうちに本当に息苦しくなった。行き場のない子供たちをどんどん切り捨てて、これからこの国はいったいどうなるのだろう、と暗澹たる気持ちになった。
2冊目は梨木香歩さんの「ぐるりのこと」(新潮文庫)。彼女のエッセイを読むのは初めてだ。息子の中学受験の時、国語の出題で見かけたので『西の魔女が死んだ』は3年前に読んでいたけれど、こんな方が書いていらしたのだ、ととても納得し、日々自分がいかに立ち止まって深く考えることをしていないのか、ということを突きつけられた。最相葉月さんの解説も秀逸だった。この後の小説もぜひ読んでみたいものだ。
それにしても、勉強と同じで、読めば読むほど自分がいかに読んでいないのかがよく判る。読みたいものがどんどん出てきて悩ましいこのごろだ。

今や平均寿命が85歳を超えている現在である。この後仮に50歳まで生きたとしても、その6割に満たない。もちろん全ての人を合わせての平均。もっと若くして事故や病気で亡くなる方たちも分母に入れているから実際には元気で生きている人たちは90才,100才だってとても珍しくない時代だ。

そう、自分の身の回りのことがきちんと自分でできて、回りに迷惑をかけずに元気に生きていられれば、だ。
それなのに・・・と思う。

「ガンはいいですよ、予測が出来るから。」と言った方がいた。昨年病気で休むことを報告しに行った時のことだ。「じゃああなたも(同じ病気に)なってごらんあそばせ、自分がそうなったときに本心からそう言えるかどうか。」と心の中で毒づいた。もちろんご本人は悪気がなかったのだろうけれど・・・。また目の前で線が引かれ、向こう岸に一人で取り残されたような気がした。

確かに不慮の事故や突然の災害等で命を落とす方がおられることを思えば、ご本人はどれだけ無念であろうかと思うし、突然何の前触れもなく愛する人が明日からの生を断ち切られる、ことを思えば残された家族の気持ちは計り知れない。
それでは、きちんと自らの行く末を予測しつつ、着実に準備できていれば安らかに死が迎えられるのか、と問われれば私は決してそうは言い切れないと思う。もちろんあくまで想像しかできないのだが。

きっと生への執着はもっときりがない。もうこれでいいか、と思う日は永遠に来ないような気がする。実際どんな人もためしに死んで見ることができないから、死んだらどうなるのか分からないから死が怖い、ということが本当のところではないだろうか。それでもどんな人でも生まれてきたら必ず死ぬのだ。けれど、病気もせず普通に日々を暮らしていれば、生きているだけで感謝、感謝、などとは思わないだろう。自分と死はあまりにかけ離れた存在であり、よもや自分がそう遠くない将来に必ずや死ぬなんてことは思わないのだろう。少なくとも私は、病気になる前はそうだったのだから。

仮に臨死体験をした人の話を聞くことがあっても、自分は決して経験したことがないことなのだし、それを人に伝えることもたぶん出来ないのだろうから。90まで生きられたのだからもう十分、いいじゃないか、と周りが仮に思ったとしてもご本人はとてもそうは思わないだろう。

子どもが中学を卒業するまで、が高校を卒業するまで、になり、大学が決まるまで、が大学を卒業するまで、になり、就職が決まるまで、が結婚が決まるまで、になり、孫を見るまで・・・と。

それでも常に耐え難い痛みとともにあって、自分で意思決定が出来ない状態になったら、やはり無理な延命はしないでほしい、と思うのかもしれない。少なくとも私はそう思っている。と、こんなことをつらつら考えていたら急に甘いものが食べたくなってしまった。

食欲の秋、どっこいやっぱり生きている、のである。

今日は病院の後、息子の中学校で三者面談があったので学校を経由してきた。病院から学校に行く方が病院から家までよりずっと近くて驚いた。三者面談の後、息子を帰し、二者面談。高校進学の話、クラス分けの話等具体的にお話があった。
ついこの前中学に入ったと思ったのにもうあと数ヶ月で中3。最近どうもふわふわしている息子にそろそろきちんと考えないともったいないじゃないか、と言って頂いた。息子も神妙な顔をして聴いていた。少し変わってくれれば良いのだが・・・。
良い機会だったので、二者面談の際には私の病気のことも話してきた。息子が不安定になることもあるだろう、ということを詫びるつもりで。

さすがに朝から出ずっぱりで疲れたので、帰途は夫と息子と最寄り駅で合流し、久しぶりに外食をして帰宅した。

コメント
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