いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

さくら

2008年04月06日 18時32分28秒 | 草花野菜


■日本に来ますた。
1.
先日来話題にしている、拙記事: タタ財閥創始者 ジャムセッジ・タタさんの話 の外伝。

ジャムセッジ・タタさんは日本に来たらしい。
アサヒニュースター、「ニュースの深層」の辻広雅文さんの記事;
明治二六年(一八九三年)、一人のインド人青年が苦難の末、来日した。

ジャムセッジ・タタさんがどんなパスポートを持っていたか知らないけれど、
考えられるのは、British Raj国のパスポート。本当にそんなのあったのか知らないけれど。

↓こんな国旗を持つ帝国である。


Wikipedia: British Raj

2.
(1.と全然関係ないのですが、)こんな人も日本に来た話。



生麦事件の頃の日本の横浜から太平洋を越えてアメリカへ渡り、大西洋を越えてイギリスに到達し、ロンドンのゲルツェンと合流し、革命運動に復帰した。

バクーニンさん。 元祖、こんな国滅ぼせ!のアナキストです。

(同上からの引用) マルクスの主張するプロレタリア独裁とは、実態は共産党独裁にすぎないと徹底的に批判したことといわれる。しかし、バクーニンにもプロレタリア独裁のような過渡的な独裁論とでもいえるものがあり、バクーニンは仲間に充てた手紙の中で「見えざる独裁」「不可視の独裁」という言い方をしている。

バクーニンは、プロレタリア独裁の批判においてマルクスの最大の敵とされ、敵視されるようなった。




おいらも応援します、総破壊の使徒


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