いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

詫 び る 老 「老紅衛兵」、あるいは、“要武”の顛末

2014年01月15日 20時19分21秒 | 中国出張/遊興/中国事情


宋彬彬さん@現在 ア メ リ カ 人、65歳 通名:宋要武さん@人 殺 し 

産経新聞社記者=北京=矢板明夫氏記事:「文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 背景に習政権の毛路線模倣への懸念」(現在リンク切れ;コピペは最下部に)[1]より、勝手に転載。 

もっとも、中国のメディアで既報らしい:宋彬彬向文革被伤害老师道歉:再不道歉没机会

年老いた「老紅衛兵」が過去の暴虐を詫びたとの報道。しかも、宋彬彬。 宋彬彬ってこの人だ↓。

ただの軍服を着ていた毛沢東に「紅衛兵」の赤い腕章を着けた人;


  ただの軍服を着ていたときの毛沢東


1966年8月18日 朝
宋彬彬さん、当時17歳 「洗礼」名:宋要武さん
もっとも、この時すでに 人 殺 し

「彬」という字は今の日本ではあまり使わないように思う。なかおあきらの「彬」だ。訓読で「うるわしい」。

1966年8月18日 朝、毛沢東に腕章を着けたとき、名前を聞かれ、彬彬という「上品」な名前を告げると、毛沢東は「“要武嘛。”」と言ったとされる。つまりは、武が必要だね=野蛮な情熱が必要だ!と教唆したのだ。

毛澤東问:“是文质彬彬的彬吗?”宋彬彬答:“是。”毛泽东回道:“要武嘛。” [維基百科]

毛沢東は聞きました、“上品で礼儀正しい彬ですか? 宋彬彬は答えました "はい"

もっとも、この時点ですでに 宋彬彬は学校の副校長の卞仲耘(べん・ちゅううん)センセイを殴り殺していたのだ。 要武に及ばずだったのだ。つまりは、宋既武さんだったのだ。

      ―私は宋彬彬(スンピンピン)と申します―
       草森紳一
『中国文化大革命の大宣伝』

さて、 「老紅衛兵」。「老紅衛兵」とは年老いた紅衛兵という意味ではない。紅衛兵はこの毛沢東の閲「兵」時には千万人を超えていた。しかし、紅衛兵の発足時は、中国共産党幹部の子弟が中心だった。そういう極初期の中国共産党幹部の子弟たちが組織した紅衛兵を「老紅衛兵」という。

この宋彬彬は上記毛沢東に腕章を巻く12日前に「副校長だった卞仲耘氏を「毛沢東思想に反対した」と決め付け撲殺」[上記新聞記事]した。こういう事例は宋彬彬に限らず、小平、@彼は文革の最大の被害者のように扱われているが、その「小平の娘は、女性校長を死なせたあの北京大学付属中の紅衛兵のボスであり、本人がその学校での運動に具体的な指示を出していた」銭理群は『毛沢東と中国』で書いている。

宋彬彬の父親は、宋任窮(そう じんきゅう) [wiki] (と今ネットで知った)。


[1]

文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 背景に習政権の毛路線模倣への懸念

2014.1.14 11:41 (1/2ページ)中国
 
【北京=矢板明夫】1966年から76年に中国全土を席巻した文化大革命中に、教師や知識人らをつるし上げ、暴行を加えた紅衛兵による被害者への謝 罪が昨年から急増している。中国メディアによると、著名な紅衛兵リーダーだった宋彬彬(そう・ひんひん)氏が12日、北京で文革を反省する会合を開き謝罪 した。背景には、習近平政権が毛沢東を模倣した政治運動を展開していることを受け、文革再来への懸念が関係者の間で広がっている事情があるとみられる。

  13日付の新京報などによると、宋彬彬氏ら元紅衛兵約20人は北京師範大学付属高校に集まり、文革中に紅衛兵の暴行を受けて死亡した同校の元副校長、卞仲 耘(べん・ちゅううん)氏の銅像に黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)しざんげした。宋氏は涙ながらに「先生に永遠の追悼と謝罪を表したい」との内 容の反省文を読み上げた。

 宋氏は軍長老、宋任窮大将の次女で、文革が始まった直後に紅衛兵組織をつくり、教師を攻撃する壁新聞を学校など に張り出した。紅衛兵は66年8月5日、副校長だった卞仲耘氏を「毛沢東思想に反対した」と決め付け撲殺。各地で紅衛兵による教師への迫害がエスカレート していく契機になったといわれる。

 宋氏は同18日、北京の天安門楼上で毛沢東と会見し毛沢東に紅衛兵の腕章をつけ、最も有名な紅衛兵となった。文革終了後、米国に移住し、マサチューセッツ工科大学で化学博士号を取得し研究者となった。

宋氏は「いま謝罪しないと永遠に謝れない」と考え、この会合に参加するため帰国したという。

 文革が終わって40年近くが過ぎた最近になり、元紅衛兵の謝罪が集中的に行われる背景には、毛沢東を高く評価し保守路線を推進する習近平指導部への、文革経験者らの反発・懸念があると指摘される。

  北京の改革派学者によると、習国家主席が毛沢東時代さながらの政治運動を展開、「改革開放以前の歴史を否定すべきではない」と文革肯定とも受け止められる 発言をしたことに対し、改革派や文革経験者らが危機感を強めているという。この学者は「彼らは自らの罪を公にすることで、歴史の悲劇の再来を阻止しようと している」と指摘した。

 また、一連の元紅衛兵の謝罪は改革派の雑誌や新聞で大きく取り上げられているが、こうしたメディアの働きかけで謝罪を決めたケースもあるという。



 



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