いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

連休は、

2007年05月06日 19時21分48秒 | 筑波山麓


連休は、筑波山麓産のたけのこを買って(320円)、あくぬきのぬかももらって、
皮をむいて(第1日目)、
水であくを抜いて(第2日目)、
土佐煮をつくった(第3日目)。

こうして、おいらの連休は過ぎていくのであった。



でも、ちょっと奮起して、都内へ路面電車に乗りに行った。

■荒川区町屋から池袋近くの鬼子母神まで乗った。池袋までのお散歩の途中、古本市で、『仙台文化 第4号』(仙台の台の字は旧字)なるパンフを見つける。わずか20数ページなのだが、昭和3年(1928年)の産業博覧会のことが図版豊富に紹介してあった。

昭和恐慌の前には、大正時代から続くプチブル・中産階級の小春日和の日々が戦前日本にはあった。アインシュタインセンセが、東京・京都とともに、仙台に来たのが1922年(大正11年)。 中央公論新社の通史『日本の近代』でいえば、第4巻『「国際化」の中の帝国日本 1905-1924』から、第5巻『政党から軍部へ 1924-1942』の時代。この東北産業博覧会の行われた昭和3年(1928年)に第一回普通選挙が行われた。仙台が空襲で焼けるわずか13年前である。

当時の博覧会のポスター(下、くろさん奥)なぞ、片方の乳房をあらわにした婦人像。

今の仙台2高のあたりが会場であった。そして、中の瀬橋にはケーブルカーが行き来していたらしい。

無断複製・複写・転載の禁止ということなので、くろちゃん・うめちゃんを撮ったときにたまたま写っちゃったのを見せるよ(←じろり

杜の都の都市文化継承誌 仙台文化 みんな買ってね。





公知情報があった。

あの戦争の大きな要因のひとつは昭和恐慌での、中産階級の没落と中産階級に成れると思っていたのになれなかった準中産階級の反乱・マスヒステリーだと思う。中産階級になるとは端的にいって欧米風の習俗になじむことであり、中産階級になれない、あるいはそこから没落した人々は、急に欧米風の習俗/文明になじむことにしらけ、つまりは「偽毛唐」でしかないことに忽然と気づき、怨み、呪い、悪魔(欧米風の習俗/文明)払いのために、国粋化、米英撃滅へと向かったと、おいらは、思う。

対中戦争は、「偽毛唐」に甘んじ、あまつさえ「阿Q」でしかない(と国粋日本は勝手に思い込んだ)中国人を膺懲しようとしたものである。つまりは、日本人自身の中の「偽毛唐」・「阿Q」を支那人の中に見出し、もっと言えばなすりつけて、しゃんとした帝国軍人・臣民として、だらしない対米英ポチの中国人への、武断を行ったのである。

日本都市部がB29に焼かれ、悪魔払いのもの狂いから醒めた上記日本人たちは、むしろ喜んで欧米に処罰されることを望み、処罰され、自己処罰し、ついでにマッカーサーにたくさんの手紙を書いて、改めて、欧米風の習俗/文明になじむことに邁進したのであった。 それが、おいらとあなたが住む、この戦後日本。

違うかな?







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