いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

昭和の成仏のために、2015

2015年04月29日 20時17分15秒 | その他

愚ブログでは、昭和の成仏のためにシリーズをやっている。最近、成仏が手薄になっていた。今日は昭和の日なのでひとネタ。


     ―今週撮影―

この人たち、おいらががきんちょの頃から指名手配されている。

彼らが、生きていれば、61歳と66歳。 この手配ポスターには事件の日時や生まれた年が元号で書いてある。今の若い人は、彼らが今何歳なのかすぐにはわからないよ。

何よりすごいのがこの顔写真は彼らが若い時のもの。「この顔に見覚えはありませんか?」って、今じゃ、親兄弟友人しか覚えていないだろう。

でも、ネット時代。調べた。なんと、大阪正明さんは結構尻尾がつかまりかけらしい。

また、2012年3月に警視庁公安部が東京都立川市の中核派秘密アジトへ家宅捜索で押収した暗号文書を解読した結果、逃亡中の大坂正明が2012年2月まで別の秘密アジトに潜伏していたことや群馬県内の病院で治療を受けていたことが報道された。 (wiki

  桐島聡さんについては、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で一度も逮捕されなかった唯一のメンバーである。出典

■ ネットサーフィンの副産物として、元東アジア反日武装戦線「さそり」メンバーの黒川芳正(wiki)のtwitterを見つけた→これ

▼ 「テロリスト」という言葉

東アジア反日武装戦線は「過激派」と認定されている。1970年代の爆破事件当時、「テロリスト」という言葉は使われていない。「テロリスト」という言葉の使用は結構「最近」なのではないかだろうか?

● 東アジア反日武装戦線とおいら

1974年の東アジア反日武装戦線による事件:三菱重工ビル爆破事件::は、おいらが日時を覚えている自分の記憶の最初の事件だ。1972年の終日テレビで中継されていたという浅間山荘事件は全く記憶にない。ただ、浅間山荘事件より少し前の札幌オリンピックの開会式の記憶はある(愚記事;おいらが、畏れ多くもひろひとさん御臨席の場に、衆の一滴としてあったのは、1972年2月3日のことである)。

なぜかしら、小谷野敦の『ヌエのいた家』にはこの事件が書かれている(愚記事)。

なお、北海道庁爆破事件(関連愚記事;そして、どうでもいいことだが、おいらは大森勝久さんを見たことがある。)の当日の記憶はない。自分の街のできごとなのに。ただ、親が道庁に勤めている同級生と話をした記憶はある。当日ではない。

小学生のおいらが、その爆破事件後、東アジア反日武装戦線に興味を持った理由は、「狼」、「さそり」、「闇の土蜘蛛」、そして、「大地の豚」といった彼らの自称である。

「狼」、「さそり」だけだと、悪者集団にまぁ似合ってるなぁぐらいで済んだであろうが、「大地の豚」である(後記、まつがい。本当は、「大地の牙」;)。これらの「言葉」に非常に掴まれた。

昭和の話である。



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