スーパーでみがきにしんが売っていた。定価
札幌育ちのおいらは、みがきにしんにはがきんちょの頃から親しんでいた。当然、おばかなので、磨きにしんだと思っていた。今から思うと安い食材だからよく食べさせられたのだとおもう。正直子供心に、おかずにみがきにしんが出てとてもうれしいと感じた記憶はない。コンサドーレ@がきんちょにとって一番はやっぱり、例えば、ザンギだ。
もどって、身欠きにしんをどうやって食べていたのかもあんまり覚えていないが、固いことと骨が子供ごごろには嫌だった、つまりのどに刺さる恐怖があったような気がする。そんな時はごはんと一緒に飲みこみなさい!と言われた。
長じてみがきは身欠きと知る。それにしても、はらわたを取った状態を身欠きというのも変だな。なぜなら、さんまの身とはらわたという語法があるからだ。そもそもハラワタを抜いたいかを身欠きいかといわないではないか!なぜ、にしんのはらわただけが"身"なのか?
さらに、みがきにしんは干した魚ではあるが、開きではなく、まっぷたつにされた魚の胴体の片側なのだ。なぜ、アジなどは開いて干して、ニシンはまっぷたつにして干すのか?とある人に尋ねると、アジは小さいから開かないと ちんけ になっちまうから。それに比べにしんは頭とって真っ二つにして干しても、あったかいおそばの上で立派なお姿を披露できるからではないかというお答え。なるほど。(後記;にしんの開きというのはあった。でも面積広し!)
▼ニシン関連記事;『 結論、にしん立ち食いはあたわず 』
藤沢周平の世界
秘太刀馬の骨
身欠き鰊の煮もの
http://www.asahi.com/culture/fujisawa/food/TKY200612250281.html
に、『身欠き鰊の語源は、身がない鰊というのではなく、かつて大漁だった時代に、乱暴に頭と内臓をかきとるように削って処理をしたことから、身を欠いた鰊といった。鰊のあまり獲れなくなった現在では、内臓を包む腹背を残して丁寧に処理するようになったため、身欠き鰊の形も変わった。』とある。
身欠きとは、三枚の真ん中の背骨を含む二枚目に相当する部分をすてていたということなんでしょうか。
一方、にしんは脂がのっていて身がてかてかしていたということは、みがきニシンを磨きニシンという「誤解」を促したのかもしれません。
http://www.zukan-bouz.com/nisin/nisin.html
>ミガキニシン(身欠にしん)/三枚におろして20日から一月間乾燥させたもの。乾物。本来は腹側を肥料に、背の部分のみ切り取って干した。1尾から1本をとるものだった。
>「二身」というのがあり、これは内蔵を取り去り、2つ割りにする。その身を「にしん」であるとした。
>にしんそば(鰊蕎麦)。京都南座そばの「松葉」で1882年にミガキニシンの棒煮をそばにのせた。
ニシンソバって、そんなに古い時代からあるものじゃないんですね