いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

インドとジンギスカン

2004年08月18日 07時12分04秒 | インド
いか@ もインドを考える! 今日は【羊をめぐる暴食】のココロだ~!

 【ジンギスカン】いきなり画像がインドで撮ったものでない。ネタ切れか?(爆)日曜から3日連夜「ジンギスカン」を食べた。写真はラム肉と市販のジンギスカンのたれである。このジンギスカンのたれは北海道産の「ベル」ジンギスカンのたれ。これらが関東で手に入るのはうれしいかぎりである。若い頃、【内地】にやってきてアパートの大家に「羊の肉は食糧難時代にだけ食べたね~」なんていわれた。日本人でもジンギスカンを食べたことのない人がいるのでないかな?そもそも羊が内地にあんまりいないものね。

 【インドで羊肉】インドで羊肉をたくさん食べた。とくにムガル料理では羊肉を多用する。骨付き肉の料理も食べた。食べにくかったけど。ムガル帝国は英国のインド植民地・インド帝国の前の国であり、

ムガル は モンゴル の訛りである。

つまりムガル帝国はモンゴル帝国の末裔を自称してその権威をはったのでした。だから、ムガル帝の皇帝たちはモンゴル帝国のジンギスカンの子孫を自称していた。おいらがインド、特にデリーに行って気づいたことはインドのイスラム文明の側面が大きいということである。バザール、料理、イスラム寺院などとして顕著であった。もちろんあのタージマハルもイスラム文化の華である。

【肉の形態】日本人は羊にかかわらず肉は薄切りにして食べる。一方、インド、そして欧米でも、塊として食べる。インドで薄切り肉は見なかった。おいらは薄切り肉が好きだ。ジンギスカンのこの薄円状のラムを焼いて箸でたべるのがいとうれし。そんな北海道のジンギスカンは当初羊毛用のための羊を死ぬ前に食べるため、なかば人為的に、開発された料理らしい。羊は10歳を越え、肉が硬いのである。もちろん近代日本での話である。でその羊毛は兵隊さんの防寒具用であり、その防寒具は日露戦争・シベリア出兵用であったのだろう。今では子羊の肉、ラムを食べている。なお、ラム・マトン(成体の肉)はほぼ100%輸入である。

【あやかり】ムガル朝の皇帝がほんとにチンギスハーンの子孫かはわからない、一方、北海道のジンギスカン料理がチンギスハーンとなんの関係もないことはあきらか。ただし、両者ともイメージをチンギスハーンにつなげようとしたことは紛れもない事実である。チンギスハーンはインド・日本であやかられるのであった。

おしまい。

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3 コメント

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トラックバックありがちょう♪ (noritike)
2004-08-18 20:00:25
初のトラックバックがジンギスカンとは、予想外でした。

しかも普段知り得ない情報を手に入れることができた。ありがと~う!またジンギスカン食べたくなったよ、今度は塊で。
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このたれ (えっけん)
2004-08-18 23:17:16
6年前の埼玉では、なかなか手に入らなかったんですよー。



ところで、椎名誠のファンですか?
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 (いか@)
2004-08-19 07:26:04
椎名誠の「わしもインドで考えた」のタイトルは、「インドで考えたこと」堀田善衛のもじりです。



まあ、そのラインをねらってみました。題だけ。
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