教える人: 裸の主席; 主席さまは裸だ!
毛沢東思想は二つの源泉と二つの構成部分を持っている。一つは彼の湖南での農民としての体験に由来するものであり、初期毛沢東において《体育の研究》(一九一七)として結晶し、それが長征体験の中でとぎすまされ、不均等性論、スタイル論としての《矛盾論》へと到達する道すじであり、その実践的還元が活学活用、調査研究を下位のモメントとして含むところの整風運動である。もう一つは彼の長沙師範での全体知志向に由来するものであり、進化論の独得の解釈としての「超有機体としての文化」という全体性概念へとまず結実し、日本国家独占資本主義の総力戦構造と対決した根拠地体験の中で熟して《実践論》へと至る道であり、その実践的還元が人民戦争の総体的戦略である。
(中略)
(毛沢東は) すでに《一九一三・四年》にいう。
”志は暖衣飽食に非ず”とは立志についての言葉である。実際は、王道の極みすら飢えず、こごえぬことにあるのだから、暖衣飽食が目的でないなどといえようか。
これはキレイごとの知識人趣味への反発である。農民の貌で毛は読書人に迫る。
農事をかえりみなければ、耕作のつらさはわからぬ。蚕織に手づさわらなければ、衣服の由来はわからぬ。
こうした問題意識は、五・四文化革命のさ中に書かれた《湖江評論発刊辞》の中で明確に定着する。
津村喬、『革命への権利 具体性のほうへ』 (Amazon)
▼ 毛澤東の教えに忠実な天皇皇后両陛下: 教わる我らが東夷の倭天皇@着衣でプレイ ;
農事をかえりみなければ、耕作のつらさはわからぬ。蚕織に手づさわらなければ、衣服の由来はわからぬ。
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