2009年3月22日の愚記事は、「大磯 「ヨハンセン」邸炎上 」であった。
その炎上し、灰燼に帰した、吉田茂邸が再建したとのニュース;
Googleニュース [大磯 吉田茂 再建]。
2009年3月22日の愚記事を筑波山麓で書いた時、まさか、おいらは神奈川県に来て、二宮―大磯の早春を散歩するとは、予想しなかった (雛のつるし飾り展 神奈川県二宮町)。
大磯、吉田邸は、早春が 見ごろ らしい(???)。
最近、みた本に書いてあった;
そのある本では、東京憲兵隊長である大谷敬二郎の手記が引用されていた;
(その憲兵隊長・大谷敬二郎が吉田茂を探りに大磯に来たときの回想)
「東京をちょっと離れた湘南の大磯は、別世界のようなのどかさで、・・・・牡丹桜が夢のように遠近の山々の緑に点綴し、薄もやが低く山辺に立ちこめて、潮の香を乗せてくる浜辺には漁舟もみられ、かもめが波間を縫って、一幅の春の朝景色である」
そして、その東京憲兵隊長である大谷敬二郎は書いている;
「今根っからの自由主義者、平和主義者だったと自任している人々の多くは、その頃、軽井沢や箱根やその他の別荘地で、あるいは地方の疎開先で、まったく、戦争の圏外に立って、国民が命を捨て、財を失いつつも郷土に踏みとどまり、職場を死守したのを、ひやややかに眺めていた人たちではなかったか」
これらの文章は、大谷敬二郎、『憲兵秘話』にあるらしい。 でもAmazonで確認できる大谷敬二郎は⇒こちら
すごいな、東京憲兵隊長である大谷敬二郎。
おいらが、やっと知ったことを敗戦前に知っていたのだ。
第二次世界大戦の原因は、持たざる国・持たざる人びとの反逆だ。 戦争は民主勢力の躍進の中で起こった !