いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

モスクワの敵(かたき)を、横浜で討つ; あるいは、田舎者の収集品を田舎者がみる

2013年09月15日 11時35分48秒 | 東京・横浜

    ― トレチャコフ美術館は旧館と新館があるらしい。どちらも見逃さないように! ― 
          (愚記事; A famous (well-known) woman named Unknown ; トレチャコフ美術館に行けるかな?

■ 週末は、横浜美術館の「プーシキン美術展」に行った。

ネット情報で、大盛況で入場にひと苦労とはわかっていた。 でも、会期も押し迫ってきたので、行った。

 
  ― 行列は40分待ち ―

ロシア人が集めたヨーロッパ絵画作品の通史的展示である。 つまりは、ヨーロッパ美術の年代順に教科書的通覧を実物を以って、できるという企画だ。

したがって、言うまでもなく、これらのコレクションを金にあかせて集めたり、現在も保持している当のロシアずんの作品は、1点もないのである。

率直に言えば、田舎者の収集品を田舎者が観る、という展示会だ。 集めた田舎者=ロシアずん、観る田舎者=ぬっぽんずん、ということである。

田舎もののおいらが、興奮して、筑波山麓から横浜まで駆けつけたことは、いうまでもない。

田舎者こそが、正典・カノンをありがたがるのである。

いや、違う; 他地域の産物を正典・カノンとしてありがたがる者どもこそが、田舎者なのだ。 これ定義。 自己中心主義者=中華主義者は、決して田舎者になりえないのである。

もつろん、おいらは、手をすり合わせて、拝んだ。

■ 田舎者、啓蒙、毛唐さん、帝、農奴....

今回の「プーシキン美術展」における通史的西洋美術作品を金で集めたのは、エカテリーナ2世、アレクサンドル2世、イワン・モロゾフなどの、ロシアの田舎者どもである。 彼らは、おそらく筆なぞ握ったこともなく、作品ひとつを仕上げるという創造的行為の苦しみをわかっていたかも疑わしい。 そして、エカテリーナ2世、アレクサンドル2世、イワン・モロゾフなど根っからの反動家と資本家どもではないか! でも彼らには、特技があった。 見巧者なのだ。

さて、激混みの横浜美術館の「プーシキン美術展」のぬっぽん見巧者の方々は、エカテリーナ2世って「何人(なにじん)」か知っとるけ?

ドイツ人である[1]。 異人さまが皇帝なのだ。 つらいな、ロシアの土人たち、農奴たち。

[1] ここで、その頃「ドイツ」なんてないんだよ!とのつっこみもあるやと思う。その通り。 当時のプロイセンである。

おそらく筆なぞ握ったことなどないエカテリーナ2世の在位期間は、1762-1796年である。そして、絵筆を握ったかは知らないが、身をやつして造船所の職工をしたのがロシア帝国の事実上の祖帝ピョートルだ。ハンマーなど工具を握っていたとされる。創造的行為の苦しみも楽しみも知っていたのだ。

関連愚記事; ピョートル大帝の欧州滞在は、日本の維新直後の訪欧岩倉使節団のようにヨーロッパに"文明"をパクリに行くことが目的。ただし、ピョートル大帝自身、手足を動かすのが好きだったらしく、造船技術などを、実際に自ら学ぶ。その造船修業をした場所がここらしい。

ピョートル大帝の在位期間は、1682-1725年。だから、両者とも啓蒙専制君主として名高いピョートル大帝とエカテリーナ2世の御代には、37年のギャップがある。その間、帝位継承、宮廷の内紛、クーデターで時が流れたのだ。ちなみに、ピョートル大帝はロマノフ朝の第4代ツァーリで、エカテリーナ2世は第11代ツァーリである。その間に、4人もツァーリがいたことになる。

エカテリーナ2世の時代、ロシアの宮廷はフランス語、科学技術の世界はドイツ語が使われていた。

エカテリーナ2世自身はロシアに嫁いできてからよくロシア語習得に励み、ロシア人の信頼を得たといわれている。そして、宮廷はフランス語。母語はドイツ語。 つまりは、帝国を運営するためのロシア語ができていなかったのだ。

思うとあたりまえだが、エカテリーナ2世はプーシキンを知らない。ロシア語で帝国や文明を運営するようになるとは想像もしなかったのではないか?

そして、想像もしなかったこと、その2。絵の収集家でもあったエカテリーナ2世が、あの世で驚いているのは、自分の肖像画がその当時日本で描かれていたことだ(もっとも、さっさと回収して焼いちまえ!と命じるかもしれないが。へたくそだから...。江戸時代にも、"花くまゆうさく"はいたのだ)。なお、この絵は、彼女と実際に会った大黒屋光太夫ら御一行が描いたものではない。

 
日本で稼いだ女、   日本人が描いた女、
ジャンヌ・サマリー   エカテリーナ2世
@元来フランス人   @元来ドイツ人  (ソース;)

関連愚記事;

プラドはスペイン王室お抱えの絵師の作品が中心。特別オーダー作品群。それに比べ、ロシアは「世界の中心」で 買ってきたものの作品群。田舎者=周辺文明、ロシア!別にロシアそのものが田舎なのではない。世界中どこだってそこが世界の中心だ。ただ、そこからある場 所を仰ぎ見て、文物を摂取しはじめると、そこは田舎になり、そいつらは田舎者になる。それにしてもロシア王室のお抱え絵師っていなかっただんべか?

啓蒙専制君主ほどうさんくさいものはない。その矛盾は複数ある。ひとつは啓蒙と いう良い?目的のためには専制という手段を選ばないことをとがめられないこと。エカテリーナ2世は夫のピョートル3世を追放し、愛人とのクーデターで皇帝 となった。追放された夫は"都合よく"すぐ"病死"したと発表された。目的のためには手段を選ばずという陰謀・権力政治の真髄を地で行っている。この体質 はヴォルシェビキや最近のプーチンに至るまで変わらないなぁ~というのがおいらの偏見的印象。

 ▼   ‐ 何事にも先達はあらまほしきもの ‐

 今年、夏にモスクワに行った。

  

おいらは、今年7月7日の時点で、その後おいらが訪れるであろうモスコーのプーシキン美術館には、「ジャンヌ・サマリーの肖像」が「お留守」であることは知っていたのだ。

だから、そもそも、「ジャンヌ・サマリーの肖像」の御尊顔に拝することはできなかったのだ。

でも、行きそこなっちまったょ、モスコーのプーシキン記念美術館・ヨーロッパコレクション部・別館。 

トレチャコフ美術館は旧館と新館があるらしい。どちらも見逃さないように!と、この夏ロシアに行く前に、すっかり、肝に銘じていたのだが、なんと、プーシキン記念美術館も2つあったのだ。片方(ヨーロッパコレクション部・別館)を見逃しっちまったょ。

モスクワのプーシキン記念美術館(本館)。夕方、仕事の後駆けつけると、行列。

1ブロック分は並んでいた。

でも、入れた。

で、やはり、ぬっぽんずんなので、お目当ては印象派以降の「現代」西洋絵画だ。 それにしてもさっきから様子が変だなと気付いていた。館内の雰囲気がとても「アカデミック」。18世紀以前の西洋古典系作品、教科書的、正典的作品ばかりだ。

印象派以降の「現代」西洋絵画が、見当たらない。

そして、気付いたょ、このプーシキン記念美術館(本館)には、印象派以降の「現代」西洋絵画はないのだ。

印象派以降の「現代」西洋絵画は、ヨーロッパコレクション部・別館にあるのだ。知らなかった。っていうか、普通の観光ガイドにはちゃんと書いてった。

なんだ、 プーシキン記念美術館もふたつあったのか! どちらも見逃さないように!とはトレチャコフ美術館だけではなかったのだ。

恐るべし、モスクワの美術館。