いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫2011/10/18, あるいは犬の道、猫の道、そして<死の谷>への落下道

2011年10月18日 20時37分56秒 | ねこ

肉球を見せつけるうめちゃん。

■グランドキャニオンの柵;

安宅和人センセのブログからパクリました。グランドキャニオンだそうです。上記画像(落としどころ文化と積み上げ文化)。

何がおもしろいって、グランドキャニオンに柵です。

昔、グランドキャニオンに柵はない!と言った人がいました。

これはウソ、ホント、というより日本語の問題です。

確かに、彼が見たグランドキャニオンの一角には柵がなかったのでしょう。

でも、それがあまねくグランドキャニオンの属性のはずがありません。

なぜなら、グランドキャニオンの絶壁すべてに柵を設けていたのであれば、さすが、アポロで月に人間を送りくんだかの国の財力でも無理だからです。

でも、米ソ冷戦でつまらない核弾頭をいくつも作れるくらいは裕福だったので、グランドキャニオンの一部には柵を作ったのでしょう。

彼は1993年に言いました;

まえがき

米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。コロラド川がコロラド高原を刻んでつくった大渓谷で、深さは千二百メートルである。日本で最も高いビル、横浜のランドマークタワーは、七十階、二百九十八メートルだから、その四つ分の高さに相当する。

 ある日、私は現地に行ってみた。そして、驚いた。

 国立公園の観光地で、多くの人が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたり見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札さえ見当たらない。日本だったら柵が施され、「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり、公園の管理人がとんできて注意するだろう。 

 小沢一郎、 『日本改造計画』 Amazon

絶対的に個別のことを見て、妄想するのはぬんげんの勝手である。でも、論理的に一般するなどということは「学問」的にみて間違いである。

もちろん、学者でもなんでもない人が、その体験した事実を以って、メタファーとして、別のこと、この場合は日本の改造!を考えるのは勝手ではある。

つまり、小沢一郎は柵のない潜在的に危険なグランドキャニオンのような状況に日本もなればいいと1993年には考えたのだろう。もちろん、「柵」とは政府の過干渉な態度の象徴に他ならない。そして、小沢@1993は小さな政府、規制のない政府、国民が自己責任で「柵」がなくとも絶壁で楽しく戯れ合う社会を志向していたのだ。

もしそうであるなら、つまり小沢@1993の思想に従うならば、今回の東京電力福島第一原発の放射性物質大噴出こそ、勝手にグランド・キャニオンの谷底に転げ落ちた事例に他ならない。戯れの果ての転落。当人たちだけが転落してくれればいいのに、この国中を穢した(参考愚記事;戯れの果てに;さまよえる近代人、火遊び放蕩のあと、ついに帰還)。

■さて、犬の道。おいらは、うっかり者の人が転落する先といわれるdeath valleyでがんばっている。別においらは転落したという気持ちはない。むしろ、地の底から這い上がって来たのだ、death valleyに。そして、deatn valleyを渡らないといけない。Darwinian oceanに向かって。いか@の故郷に帰るのだ。おいらの旅路は果てしない。

death valleyとはそもそもグランドキャニオンの渓谷の谷底に他ならない。転落するもなにも、最初からdeath valleyの谷底でがんばっているのだ。安宅和人センセと言えば、犬の道を避けよ!が御宣託である(『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』 )。おいらは、ずっと犬の道である。40過ぎても犬の道だ。ぐっすん。

ところで、猫の道ってなんだろう?野良猫ってすごい距離を歩くらしい。餌を求め続けているのだろう。猫の道もすごい。

柵がなくても、転落しないように気をつけよう、と思う。