いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

越後屋 絵師

2006年03月21日 10時48分02秒 | 日本事情



三越=三井越後屋の包装紙。ご丁寧に名前も付いている。『華ひらく』。
猪熊弦一郎作。とても、もだーん、な画家さん。ちなみに、愛猫家です。

そして、絵にMitsukoshiとデザインしたのは、アンパンマン・やなせたかし氏とのこと。

■その猪熊弦一郎の作品で、多くの人の視界には入っているはずなのだが、改めて見入られることがないのが、下記『自由』。



■上野駅のメイン改札口の上にある絵。1951年の作品.
上野駅のステレオタイプは東北の玄関口。集団就職の東京への玄関、あるいは、「北へ帰る人の群れはだれも無口」の帰り口。でも、この絵は清新な東北の四季や風景を描いたもの。なぜ、自由、なのかはわからないが、1951年といえば講和を翌年に控えた、占領最末期である。

■なので、この絵が書かれたころは、高度経済成長など予想もされなかった。したがって、日本史上屈指の、集団就職を象徴とする人間大移動が、この絵の下を猛流するとは誰も考えなかっただろう。

 受験のために夜汽車で東京に向かった。青森をだいぶ過ぎたあたりであろうか、がらがらの客車に中卒者たちが四人、隣の席にいて、「高校にいったって何の役にも立たないんだ。しっかりはたらいてカネを稼ぐのが大事なんだ」としゃべり合っていた。すでに始まっていた集団就職の一団だったのであろう。互いに励まし合うような、しかし不安を丸出しにした、その幼い会話を聞いていて、私はある種の感動を覚えていた。十五歳から大都会の片隅をはいずり回るような生活に入らなければならないこの少年たちとくらべると、受験参考書と首っぴきであった自分は、つまらぬ存在であるとつくつぐ感じた。

                西部邁 『寓話としての人生』 第二章、詐術と裁判


■そして、なによりもその東京へ流入しただれも、かれも絵画「自由」を観る余裕などなかったことである。







越後屋情宣局長



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