11年暮らした筑波山麓アパートとお別れです。
1997年冬カナダで山一證券廃業のニュース、あの社長の泣きっ面の会見ニュースについて回りから、あれは何だ!?と説明を求められました。そう、あのニュースは世界中どこでもトップニュースだったのです。カナダで日本のニュースについて説明を要求されたのは、あの山一の泣きっ面社長の件だけです。
その後、今思えば、なぜかしら、日本に帰ってきてしまいました。バブル崩壊の本当の「痛み」が出来するのは、むしろ、このあとでした。今思えば(2回目)、その時点でドイツか日本の職があったのですが.....。まさか、デフレの大失業時代の真っただ中に巻き込まれるとはつゆとも知らず。ホント、バカでした。
転職5回、小泉内閣発足やNY911事件の時は失業者でした。2001年の雇用状況は最悪で、日本企業は首切りはしても雇用など皆無でした。日本企業はCurriculum Vietaeさえみてくれませんでした(予備エントリーしても、Curriculum Vietaeを見せろという段階にさえ行きませんでした)。このとき、Curriculum Vietae を見てくれたのは台湾、韓国、オランダの企業だけで、面接してくれたのはオランダの企業だけでした。結果は不採用。でもずーっと11年間この部屋で暮らしてきました。今でも名誉ある40歳・「非正規」賃金労働者です。 マンセー!
人生そのものが炎上中の、おいら。
copy right
ここ数年は、"Across a Death Valley 「キャラバン隊」"で日銭を稼いでいました。不安定ながらインド、中国、欧州、北米とおつかい稼業も楽しかったです。シンガポールも「最高」でした。各カテゴリー参照。
その、"Across a Death Valley 「キャラバン隊」"が、とある企業に買収されることになり、内定をもらっていたのですが、ドタキャンになりました。
また失業者か、面倒くさいな、でも数か月世界旅行でもするべかと思っていたら、すかさず、別の企業に買収されました。幸い、新しい仕事場も筑波山麓です。でも、ちいと遠いので、引っ越すことにしました。
さよなら、11年暮らしたアパート。
▼蛇足; えんじょう はしても、乱心には至らぬようガンバリます。