ブログへの初挑戦。目標はただ一つ、毎日何かを登場させる。続くようであれば次へ挑戦。
何気ない毎日
予告
日が落ちた後になるが、しばらく留守にすることになります。
帰宅したときは青春18きっぷを使い終えている予定です。
次回の投稿は17日あたりには、と思っているところです。
【ついでに】
今朝、冷蔵庫の中にナシとスイカが入れられていることが判明した。
まったくタイミングを得ないことがやられてしまったということである。
仕方なく得意?の手段に訴えた。
スイカとナシ養生中:クリック可
冷凍庫ゆき前の姿である。
ナシジャム
スイカジャム
種は途中でスプーンを使って除いたつもりであるが、十分とは言えない。
冷凍庫に隙間がなくなった。
帰宅したときは青春18きっぷを使い終えている予定です。
次回の投稿は17日あたりには、と思っているところです。
【ついでに】
今朝、冷蔵庫の中にナシとスイカが入れられていることが判明した。
まったくタイミングを得ないことがやられてしまったということである。
仕方なく得意?の手段に訴えた。
スイカとナシ養生中:クリック可
冷凍庫ゆき前の姿である。
ナシジャム
スイカジャム
種は途中でスプーンを使って除いたつもりであるが、十分とは言えない。
冷凍庫に隙間がなくなった。
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お疲れ出掛け日
昨日は、楽しみを体感するために早朝家を出た。
川越駅で
青春18きっぷ一回目の実行である。
高麗川駅経由八王子駅までは定刻通りで辿り着いた。
八王子駅構内で異常が起こっていることに気付かされた。
ホームは人でごった返し、電車が来ないのである。
良く聞こえないが、梁川駅付近で列車と自動車が衝突したというアナウンスがされた。
ふたつ先の高尾駅までは何とか辿り着くことが出来た。
高尾駅は中央線の大月・甲府・松本の起点となる駅である。
高尾駅には8時40分発の始発電車が時刻を過ぎても停車過ぎていた。
一先ず乗り込むとにした。
出発
2時間10分遅れであった。
この後も駅や駅間で停車の繰返しであった。
しかも、甲府駅に着く直前に終着駅である小淵沢駅まで行かず、甲府駅止まりを宣告された。
乗り換えろということであった。
それでも、目的の長坂駅には13時7分に辿り着くことが出来た。
主目的のピアノコンサートに間に合ったのである。
塩山駅で途中下車をして甘草屋敷に立ち寄るつもりで早く家を出ていた。
立ち寄りは断念したが、コンサートには間に合ったということである。
長坂駅
カードを使ってきた人が数人いたが「ここには機器がない。清算してください」と言われていた。そんな駅である。
会場
ホールへの階段
ホール
最後の?アンコール曲の演奏直前にホールを飛び出した。
15時52分の電車に間に合うためであった。
結果としては、飛び出す必要はなかった。
この上り電車も25分ほど遅れて到着したのである。
列車事故の後遺症は延々と続いていた。停車の繰返しであった。
韮崎駅から乗り換えた高尾駅行き電車も停車しながらであった。
長野原駅でもおまけの長時間停車が発生した。
この停車は我慢協力しなければならない停車であった。
救急車が呼ばれて乗客(患者)を搬送する必要があったからである。
やっと辿り着いた北坂戸からの自転車乗りが体力に追い打ちをかけてきた。
今夕の出かけは、バス利用に切り替えようと考え始めた。
川越駅で
青春18きっぷ一回目の実行である。
高麗川駅経由八王子駅までは定刻通りで辿り着いた。
八王子駅構内で異常が起こっていることに気付かされた。
ホームは人でごった返し、電車が来ないのである。
良く聞こえないが、梁川駅付近で列車と自動車が衝突したというアナウンスがされた。
ふたつ先の高尾駅までは何とか辿り着くことが出来た。
高尾駅は中央線の大月・甲府・松本の起点となる駅である。
高尾駅には8時40分発の始発電車が時刻を過ぎても停車過ぎていた。
一先ず乗り込むとにした。
出発
2時間10分遅れであった。
この後も駅や駅間で停車の繰返しであった。
しかも、甲府駅に着く直前に終着駅である小淵沢駅まで行かず、甲府駅止まりを宣告された。
乗り換えろということであった。
それでも、目的の長坂駅には13時7分に辿り着くことが出来た。
主目的のピアノコンサートに間に合ったのである。
塩山駅で途中下車をして甘草屋敷に立ち寄るつもりで早く家を出ていた。
立ち寄りは断念したが、コンサートには間に合ったということである。
長坂駅
カードを使ってきた人が数人いたが「ここには機器がない。清算してください」と言われていた。そんな駅である。
会場
ホールへの階段
ホール
最後の?アンコール曲の演奏直前にホールを飛び出した。
15時52分の電車に間に合うためであった。
結果としては、飛び出す必要はなかった。
この上り電車も25分ほど遅れて到着したのである。
列車事故の後遺症は延々と続いていた。停車の繰返しであった。
韮崎駅から乗り換えた高尾駅行き電車も停車しながらであった。
長野原駅でもおまけの長時間停車が発生した。
この停車は我慢協力しなければならない停車であった。
救急車が呼ばれて乗客(患者)を搬送する必要があったからである。
やっと辿り着いた北坂戸からの自転車乗りが体力に追い打ちをかけてきた。
今夕の出かけは、バス利用に切り替えようと考え始めた。
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