ブログへの初挑戦。目標はただ一つ、毎日何かを登場させる。続くようであれば次へ挑戦。
何気ない毎日
旧高麗川大橋
先日高麗川の土手下の公園の中に橋らしいものがあると言われた。土手の上をサイクリング中に見たらしい。
何時も通っている土手の脇にある公園のことで「大安公園」というちょっとした広場である。前に入ってみたことがあったが、簡単な遊具とトイレがあった記憶は残っている。
公園内に入って現物を確認、背景になるお宅に洗濯物が干されていなかったのでこの角度で撮り込んだ。
橋を確認:クリックすると近づいて一枚
左側が高麗川右岸の土手である。
旧高麗川大橋の説明:クリックで拡大
大正13年12月峻巧の刻込み
それまで使われていた木製の橋を鉄筋コンクリートの橋に造り替えたもので、全長161m、幅員6mだったらしい。
昭和61年に今の高麗川大橋になったとのことである。という事はこの旧高麗川大橋を利用していたのである。残念ながら記憶からは消えている。
平成に入ってすぐにこの場所に撤去橋の一部を使って橋モドキを復元したとのことであった。
この公園へ入ったのは昭和時代であったということになる。
「大安」という出所も発音も分からない。分かるかなと望みを持って、前から知ってはいた近くの住宅地内にある「大安神社」を覗いて見ることにした。
大安神社:これが限度、向かいのお宅の玄関にへばりついて、クリックで拝殿
狛犬・狛狐:後方にヒカエシハ・・・・・先輩?
途中、誰一人すれ違うことがなかった。「大安」については宿題とする。
何時も通っている土手の脇にある公園のことで「大安公園」というちょっとした広場である。前に入ってみたことがあったが、簡単な遊具とトイレがあった記憶は残っている。
公園内に入って現物を確認、背景になるお宅に洗濯物が干されていなかったのでこの角度で撮り込んだ。
橋を確認:クリックすると近づいて一枚
左側が高麗川右岸の土手である。
旧高麗川大橋の説明:クリックで拡大
大正13年12月峻巧の刻込み
それまで使われていた木製の橋を鉄筋コンクリートの橋に造り替えたもので、全長161m、幅員6mだったらしい。
昭和61年に今の高麗川大橋になったとのことである。という事はこの旧高麗川大橋を利用していたのである。残念ながら記憶からは消えている。
平成に入ってすぐにこの場所に撤去橋の一部を使って橋モドキを復元したとのことであった。
この公園へ入ったのは昭和時代であったということになる。
「大安」という出所も発音も分からない。分かるかなと望みを持って、前から知ってはいた近くの住宅地内にある「大安神社」を覗いて見ることにした。
大安神社:これが限度、向かいのお宅の玄関にへばりついて、クリックで拝殿
狛犬・狛狐:後方にヒカエシハ・・・・・先輩?
途中、誰一人すれ違うことがなかった。「大安」については宿題とする。
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邪魔物扱い
トキワツユクサの花である。
花片は3枚:ツユクサは2枚
トキワツユクサは庭で自生化している。
邪魔物扱いにされて引き抜いてもヒキヌイテモ次からツギカラ伸びてくる頼もしい草といってもよい。
花片は3枚:ツユクサは2枚
トキワツユクサは庭で自生化している。
邪魔物扱いにされて引き抜いてもヒキヌイテモ次からツギカラ伸びてくる頼もしい草といってもよい。
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