alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

西洋の「力」

2015年01月20日 | フランスあれこれ

 フランスのオランド大統領はデモの数日後、
元々予定されていたわけでもないというのに自ら
アラブ世界研究所で開催予定だったイベントに出向いて
演説を行った。このタイミングでわざわざそこに行って
演説をする。一体何を言うつもりだろう?

 フランスのラジオ、franceinfoは他の情報を流していたけど
「今から演説が始まります!」と急いで中継に切り替えた。
私もそんなつもりはなかったけれど、ただ事じゃないのかもと思い
ついつい耳を傾けた。

 テロについて、彼はここで糾弾してしまうのだろうか・・・
おそらく誰もがそう思ったに違いない。
けれども私の理解できた範囲で言えば、オランドは
非難するようなことはほとんど口にしなかった。
その代わり、ヨーロッパとアラブ世界との交流の歴史に触れ、
これからもお互いがとも文化的にも経済的にも交流しあい
新しいルネッサンスを創りだしていくのだと語っていた。
テロのことにはあえて強くは触れず、イスラム過激派によって
実際に一番被害を受けているのは(フランスではなく)
イスラムの人々だ と語るほどだった。

 私はこの演説を聴きながら この人は本当にすごい。
たまたまテロが起こった時の大統領がオランドだったというのは
不幸中の幸いだと思い、一人心を打たれてしまった。
おそらく彼は何度もイスラムの世界を訪れたことがあり、
他の人たちよりも実際のイスラムの人々の生き方を知っていたのだろう。
だからこそ、そんな状況でも敬意を払い、テロが起こった当初にしても
イスラム過激派と普通のイスラム教徒をわけて話そうとしたのだろう。

 私は正直テロ直後のニュースやイスラム教徒の人たちの声を
聞く前までは、イスラムについてほとんど知識を持ってなかった。
けれどもそれではまずいと思い、内藤正典さんの
『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』という本を
買って読むことにした。なるほど、この本を読むと納得のいく
ことが多く、彼は2004年にこの本を出す前から警告していた。
ヨーロッパがこのままの見方や対応を続けることで、より一層
イスラムからの猜疑心は増すだろう・・・。


 この本には主にヨーロッパに渡ったイスラム系移民や
移民2世の話が書いてあり、アンテグラシオン(統合)
やライシテ(政教分離)、スカーフ問題についての記述も多くある。
その中で私が特に心を打たれたのは、移民として渡った人たちが
ヨーロッパで(実際には)疎外感を味わった後、
母国の宗教や文化に癒しを求めたということだった。
疎外感が強ければ強い程、彼らはそれに救いを見いだすことになる。
ドイツであれ、フランスであれ、ヨーロッパに渡ったからには
できるだけ現地の社会に適応しなさい。そのためにも
語学習得は必須です。とはいえ、実際に住んでみると
ほとんど語学に力をさけていない人がいるのも現状だ。
私も子供を連れて3ヶ月フランスに住んだ際、友人に
「どうして日本人とばかり会ってるの?」と言われたことがある。
異国の地で子供を育てる、すでに細かい習慣があまりに違い
テレビが流れてもわからない。「今の日本はどうなってるの?」
と原発に関するフランスのニュースを渡されたところで、
そもそもそのフランス語が半分も理解できないし、日本語の情報はあまりない。
日本だと喜ばれるようなことをしてフランス人の反応を待ってみたって
のれんに腕押しみたいな状況が続くこともある。
そんな中、日本語が通じ、共通の概念があり、
豆ご飯を炊いてみたなら「何なのこれ?!」ではなくて
「わー素敵、豆ご飯!」と喜ばれる。その喜びといったらない。
異国の地は想像以上にストレスがある。そんな中、
みんなそれなりに頑張っている。だけどできないことがある。
いくら努力しても現地の人にはかなわない。いくらやっても
壁がある。そして痛い程気づかされるのは自分が日本人だということだ。

 だからこそ、時には日本人と会い、何の努力もいらない
母国語を使い、おいしいお茶でも飲んでみたい。
そこに計り知れない癒しがあるというのは、きっと
どこの国の人でも同じだろう。
そんな人たちが増え、それがだんだんエスカレートしていくと
その国のコミュニティができ、宗教施設がつくられ、
だんだんその中だけで生活可能になっていく。
すると現地の人は、理解できない言葉や習慣だけで
物事が行われるその場所に怖れを抱くようになる。
それでもフランスにはチャイナタウンがあり、日本人街があり、
ユダヤ人街などがあり、それらの地区のお店に入ると
基本的にはフランス語が通じるし、
フランス人たちもそれらを敵視している程には思えない。
移民たちはそれなりにアンテグラシオンの要請に答えようと努力をし
フランス人達も彼らなりに 許容できる範囲でなんとか許していこうとした
それがこれまでの状況なのではないかと思う。


 それでも結局どんなに努力をしてみたところで
アメリカに「ガラスの天井」があるように、
フランスにもしっかりとした壁がある。
フランス社会は数%のエリートたちがグラン・ゼコルに通い
官僚の卵として養成される。そんなグラン・ゼコルにいるのは
ほとんどが白い肌で栗毛色の髪をしたスノッブな「生粋の」フランス人だ。
もともと良いお家で育ち、移民の多い地区になんて
近づいたこともないような彼らがどれほど現実を知っているのか?
私は一応そのグラン・ゼコルの1つに通ったけれど、鼻高々な彼らとすれ違うたびに
それを疑問に思っていた。フランス人にはいい人もいるとはいえ、
ことあるごとに人を見下したような態度の人がいるのも
事実ではあり、そういう人には何をいっても彼らの解釈が勝ってしまう。

 私が留学したのは2001年の8月末で、それから10日ちょっと経った時
9.11が起こってしまった。当時私はパリ国際大学都市という
ところに住み、もちろん議論が巻き起こっていた。
その時ほぼ2日くらいはパソコンもなく、テレビのフランス語情報も
わからない私には、何が起こったのかあまり状況がつかめなかった。
その時誰かに誘われて、国際大学都市の中での数人での
議論に参加したことがある(おそらく英語だったのだろう)
私は状況もつかめていないし、議論にも追いつけなかった。
仕方がないからとにかく聞くのをがんばろう、そう思った矢先に
明らかに矛先が私の方に向かったのを感知した。

「ねえ、ミキ。これはまだわからないんだけど・・・
あなたはどう思う?あのね、あれは日本がやったんじゃないかっていう説があるの。
ほら、日本にはカミカゼがあるでしょう・・・?」

 これは冗談ではなく本気の質問だった。全ての人がこちらを向いた。
私は冗談でしょう?そんな訳がない、それは絶対にありえない。
そういうのが精一杯だった。絶対にそれだけは違う、そう確信
したけれど、その理由がきちんと説明できなかった。
彼らは本当にそうかな、といった目をしながらも、
議論はまた別の方向に続いていった。


 一人の日本人として、これがどれほど悔しかったか。
その後にも様々な場面で「知ったような顔をして私に日本を
説明するけど、明らかに間違っている人たち」に出会ってしまう。
彼らはほとんどわかっていない。でも声高らかに友人達に語っている。
「日本ってね、こんなことがあるんだって。私、本で読んだのよ・・・」


 私はその1ヶ月で強く決意を固めてしまった。
いつか彼らにきちんと言えるようになろう。
そんなことはありえない。実際にはそうではない。
何故なら、と言えるようにならねばならない。
でもどんなに彼らが馬鹿なことを言っていようが
彼らはこちらの土俵に立つ気は毛頭ない。
だから私が彼らに伝えるためには、彼らの土俵に
立たなければ、最初から勝負すらしてもらえない。
そのためには語学だけでなく知識も彼らの論理も必要だ。
それは激しい努力を必要とするだろうけれど、いつか私はやってやる・・・
そう思ったのを覚えてる。

 そして10年以上前に心に刻んだそんな想いは
10年努力してみたところで、簡単には実現できない。
それほど西洋社会で普通に育った「彼ら」と私の間には
大きな差が存在し、情報量も違う中で、差は日々開いていくままだ。
「ヨーロッパとイスラーム」の中で内藤氏はこう語る。

「ヨーロッパとイスラームとの共生を可能にするか、
あるいは破局に導くのか。それを決めるのは、
ヨーロッパが、自らの文明がもつ「力」をどれだけ
自覚できるかにかかっている。なかでも、
西洋文明には、社会的進歩の観念を無意識のうちに
他者に押しつけてしまう「力」があることを
自覚できるかどうか。それを押しつけたときに、
ムスリムがどのような違和感を抱くかを理解できるか。
このふたつのハードルを越えられるか否かが、
ムスリムという人間との相互理解の鍵と言ってよい。」


 ヨーロッパ社会がもっているその「力」
おそらくイスラム社会も私たちも、昔から
その論理の中では育っていない。だからこそ、
それこそが普遍的だと力説され、お前にも
できるだろう、わかるだろうと言われても、弱者になってしまった
側にとってはもはや言葉はあまり意味を持たなくなってしまう。
何故ならどうあがいてみたところで、負け戦なのが決まっているから。
そんな時、自分の属していた国の文化や宗教が
計り知れない癒しになることはあるだろう。
私だってわけもわからず泣きながらパリに居た時
日本では窮屈で仕方ないと思った着物を着て抹茶を飲んだら
心も身体も心底ほっとして驚いたのを覚えている。
けれどきっと、もとをたどればそんな程度のものであり
異国で生きることにした者たちは なにも結束して
ホスト国の人々に立ち向かおうなどと
始めから思っていたわけではないだろう。

 西洋文明には「力」がある。他者を理解する前に
その「力」や論理、自分のものさしだけで
他者を判断してはいないか。一度それを問いかけること
それが大切だと思う。シャルリー・エブドが
新しくモハメッドを表紙にした雑誌を刷って以来、
世界ではアンチ・シャルリーのデモが
各地で続いている。パキスタン、ニジェール、
チェチェンでは数千人規模のデモが起こり、
フランスの国旗が燃やされた国もある。
デモによってすでに10人近くが死亡した。
「表現の自由」も大切だけれど、侮辱したつもりはなくても
そう描かれること自体が外の文化の人にとっては大いなる侮辱である、
というのは往々にしてありうるものだ。

 国際感覚というのは何なのだろう。
それが日本にあるとも思えないけれど、
外国語の習得と同じように、自分とは違う他者を知る気持、
違うけれども知っていきたい、違うけれども
なんとかわかりあえたらいい。共に進んで行くために、お互いに一歩は折れる。
そういう気持を持つことも大切なのではないかと思う。

フランスに行くなら

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