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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
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徒然なるままに自分の想いを綴っています。

シャルリー・エブドを考える

2015年01月30日 | フランスあれこれ
 東京新聞と中日新聞がシャルリー・エブドの一面の画像を記事中に
掲載し、それに怒った日本のイスラム教徒の人たちが
抗議して、新聞社がそれに謝罪をしたという。
ちょっと待ってよ・・・それはちょっと・・・
そう思っていた矢先、そのニュースは早速フランスの
ル・モンドで取り上げられていた。

 シャルリー・エブドについて書くのは私もためらっていた。
実は私のもとには新しい、おそらく日本ではかなり
貴重なあの緑色の表紙のシャルリーエブドが存在している。
パリでも発売数日はまるで手に入れられず、
キヨスクをいつみても「売り切れ」の文字。
そんな中、パリ在住の友人が「今度こそ開店30分前に
行って買ってやる!」と頑張ってくれ、なんとか獲得したものだった。


 もちろんこれが届いた日の喜びといったらないし
誰かに伝えたかったけど、私はずっと黙っていた。
なぜなら日本には 私も含め おそらく
この雑誌について語る資格がある日本人は
ほとんどいないと思ったから。

 私も曲がりなりにも少し言及してしまった身として
もう少し知ってみたい、読んでみたいと思っていた。
けれどもフランスの雑誌を取り揃えているアンスティチュ・フランセの
図書館に電話をしても、フランス書籍で名高い欧明社に
電話をしても「うちでは取り扱っておりません・・・」
それほどまでに、日本のフランス社会にさえも
この新聞は存在してこなかった。
そこでテロがあり、情報が急に入ってきた。


 もちろんテロがあったら語らざるをえない人たちはいるだろう。
そして自分たちのできる範囲で情報収集に努めただろう。
それで?3週間経った後、一般の人の反応をまとめてみるとこんな感じだと思う。
「まあそうは言ったって・・・あの雑誌、侮辱していたんでしょ?
ちょっとやり過ぎだったんじゃない?表現の自由にも程があるでしょう。」
だんだんと、シャルリー・エブドは日本で「侮辱雑誌」として認識された
感があるように思う。「それに対してなんであんなにフランスは
意固地にデモをするのかしら?(私にはわかならいけどまあいっか・・・)」

 ところでこの新聞を実際に読んでみた人は
一体どれほどいるのだろう?先述のように日本にはこれまで
ほとんど存在していないし、例え触れたことがあったとしても
きちんと読めた人というのは日本にどれほどいるのだろう?
正直いって、この新聞はものすごくインテリで、かつ
使われているフランス語も難しい。
私はフランス語の翻訳もして、一応通訳経験もあるけれど
それでも1回読んだだけでは頭の中が「???」で一杯になってしまう。
(今はル・モンドならかなり読めるようになったけれど、
そのレベルでも太刀打ちできないくらいの難しさ)

 何故難しいのかといえば、使われているフランス語が
一般的なフランス語と違い、現地でよく使われる俗語や
外国人にはわかりにくい単語が多いから。
それに、世界情勢をわかっていないと比喩や隠喩が
何を意味しているのかわかならい。これをなんとか読んでみて
私が感じたのは「す、すごい・・・!」の一言だった。
どう表せばいいのかわからない。とにかく日本には
同等のものが存在しないと実物を見た人は口を揃えて言っていた。
知的遊戯としての笑いというか
彼らの知的レベルの高さ、世界で起こっている問題を
一歩引いて眺めることで、そこを「あはは」と笑いに
変えてしまう。そして笑った後にこう思う。
「確かにそうかもしれないな・・・」
(そして何だか馬鹿らしく思えてしまう)
こういう世界で果たしていいのか?彼らは
風刺画と笑いという手段を使いながら、意外にも
深く突き刺さる問いかけをしているように思う。


 12人もの人が命を落とした中で、それでも製作された今回の号は
あっと言わせるものがある。彼らこそまさに「テロの犠牲者」だけど
「私たちはこんな酷い目にあってしまった、許せない!」
とは一言もいわないどころか、その状況すらも多少笑いに
変えている。300万人を越えるデモ。その中で多くの人が
"Je suis Charlie" (私はシャルリー)と書かれたプラカードを掲げていた。
けれども当の本人達は、その状況に感謝しつつも
シニカルな視点も忘れない。「シャルリーを買った時
自分を特別な存在に感じたもんだよ。誰も
僕たちを気にかけない。ところがどうだ、シャルリーが
一週間もテレビで放映されていたんだ。なんたる恥・・・
俺の妹さえも今日シャルリーを買ったんだ。それでみんな
"Je suis Charlie"って言うんだぜ。
だけどさ、俺はマチューだよ。」という文章もあれば
プラカードを掲げてデモする国民戦線(極右)の
マリールペン氏の姿もあり、そこには"Je suis ravie"(私は大喜び)
と書かれている。マリールペン氏もさんざんこの新聞で
やり玉に上がった人物だから。


 シャルリー・エブドは難しい。実際には相当に知的で
世界に興味があり、教養が高い人でないと真に意味するニュアンスが
わからない。これが文章だけだったなら、読むべき人しか読まない
新聞になっていたと思う。けれどもそこに絵があることで
子供でも、フランス語のニュアンスのわからない外国人でも
わかるような印象を与えてしまう。そこがこの雑誌の
落とし穴であり、大きな誤解を生み出した点なのではないかと思う。


 確かにイスラム教は偶像崇拝を禁止している。
私が訪れたモスクは教会とは全く違い、中央に
神を表す像がないばかりか、もちろん入り口にも
どこにもそれは存在せず、キリスト教の教会とも
京都のギラギラしたお寺ともまったく印象が異なっていた。
ここまで像を認めないというのは驚きで、神社に近いような
印象を受けたほどだった。案内してくれた方に
あの絵に対するイスラム教の方達の反応について尋ねたところ、
「怒りというより悲しいという気持です。
マホメットは私たちにとっては生き方のお手本となる先輩のような
方ですから」とのことだった。
自分たちがそれを守り、大切にしているのにまたしても描かれたこと、
それは嫌な気持にもなるだろう。私も初めてあの絵を見た時
「ああまたか・・・やり過ぎだってば!」というのが第一印象だった。
その時確かに挑発のように思えてしまったのを覚えている。
けれども彼らは本当に「侮辱」し、挑発したのだろうか?その真意は
わからないけれど、シャルリー・エブドが意図する絵は
パッとみて(特に外国人が)すぐにわかるようなものではない。

 "Tout est pardonné"というのは直訳すれば「全ては許された」
という意味になる。全て、というのはテロリストが彼らを殺したことかも
しれないし、これまのシャルリー・エブドとイスラム教との諍いのことかもしれない。
それとも、紙面で何度か触れられたように
「今までは僕たちの宿敵のようだった人たちが
テロとその後のデモによって急に「友達」になってしまった」
ということを表しているのかもしれない。
(つまりこの事件が起こったことで、全ては水に流された・・・)
けれどもフランス人の友人によればこの言葉自体は
イエス・キリストが人間達を許したときの言葉であり、
それをマホメットの言葉として使うこと自体が侮辱ととらえられる
かもしれないと言っていた。

 実物を手にとって一番目に飛び込み、驚いたのは、
ニュースに流れる画像では小さくしか移らない
マホメットの涙だった。この涙にはどういう意味があるのだろう?
申しわけなかった、悪かった、という表情に見えるが、
彼はどうして涙を流しているのだろう?
(神の名の下に)こんな大惨事が起こったことを嘆いているのだろうか?
(犯人は殺害時に「アラーは偉大なり」と叫んだという)

 彼が手にする"Je suis Charlie"のプラカードは
一体何を意味するのだろう?「私はシャルリー?」だとしたら
「そんなわけないだろう!シャルリーと一緒にするな」
だいたい"Je ne suis pas Charlie"(私はシャルリーではない)って言いたいのを
我慢していたんだと思うイスラム教徒もいるだろう。けれど"Je suis Charlie"には
もっと幅広い意味があり、これは「連帯」でもあり
「表現の自由に賛成」ということでもあり、シャルリー・エブド側の
言葉でいえば、"Je suis Charlie"とは「ライシテ(政教分離)」
を意味するのでもあるそうだ。私にはどうもこの言葉は
「私はシャルリーを支持する 表現の自由を守りたい」
という意味が強く、「私はシャルリーである」という
意味合いは実際にはかなり薄いと思う、が、これも訳されて
I am Charlie と言われると、「私はジョージだ、シャルリーじゃない」
と言いたくもなるだろう。

 だから私が伝えたいのは、シャルリー・エブドの風刺画は
本当に難しいということだ。特に外国人や、フランスや世界での
状況をよく知らない人にとっては簡単に誤訳が起こると思う。
だいたいニューズウィークや他の雑誌の表紙だけをとらえて
問題にする人はまずいない。何故なら表紙というのはその紙面の内容に
関連しているはずだから。それなのに表紙だけを抜き出して
前後のニュアンスやその時起こっていた時事問題、つまり紙面に書かれているはずの
内容を全部すっとばして表紙を議論の対象にしてしまうこと、
それもおかしいように思う。
どれが真意かはわからない。彼らはそれを言葉で伝えようとしないから。
おそらくこの左翼インテリに愛されてきた反骨精神あふれる新聞は
わかる人にだけわかればいい、そのスタンスでやってきたのだと思う。
だからこそ、世界中が一斉に「私もシャルリー!!」と言った時
戸惑いを隠せなかったのは彼ら自身で、「そんなこと言ったって
あんたらどうせそんなの忘れて、また違う新聞を読むんでしょう」と言ってしまう。
シャルリーを知れば知る程、こんなにもエスプリに溢れ、
世界の問題について「おい、ちょっとそれどうなんだ!?」と
問いかけ続ける、しかも極左となってかたくなに何に反対というのではなく
常にエスプリを忘れない。その姿勢を貫いた彼らというのは
殺されるに値されるような相手ではなかったと心底思う。
テロリストの敵ではあったかもしれないけれど、彼らは
イスラム教徒の敵という訳ではないと思う。2ページ目には
「宗教の全体主義」についての言及があり、それを守るためにも
「ライシテ」が重要だと述べている。宗教の名の下に?
神の名の下になら?何をやってもいいのだろうか?神の名を借りて
神が居たら許さなかったようなことをやっている人たちも実際にはいるのでは?
それが真のその宗教の姿といえるのだろうか?
だからこそ、一歩引いたまなざしで宗教をとらえる時間、
私の宗教は私の宗教ではあるが、他の人にとっても絶対的なものではない。
それが彼らのいいたい「ライシテ」の思想かもしれない。


 彼らは彼らでイスラム教をキリスト教と同じ様に扱ったことで
過ちを犯したのかもしれない。けれども私たちも同じように
きっとシャルリー・エブドを誤解している。もしかすると彼らこそ
サルトルのころからフランスに残る社会に対する鋭いまなざし、
そしてそれをあえて口に出す姿勢、批評精神、決して迎合しないこと、
エドワード・サイードが言うような、真の知識人が守ろうとしてきた精神、
それを馬鹿なふりを装ってずっと続けていたのかも。

フランスに行くなら

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