ついに明日で私も30歳になろうとしてて
なんだかとても感慨深く
そんな時に実家にいるので
昔書いた日記やらノートやらを
ぱらぱらとめくってみては
これからどう生きてみようかと考える。
これらのノートを見ていると
20代は 悶々としてたんだなとか
やっぱりフランス留学が与えた影響は
想像以上に大きいのかなとか
過去に書いた 私自身の肖像が
今になって ああまさに
そんなことを求めてたのかと思わされたり
なんだかいつも 得るものがある。
10年前はまだ2000年だったから
私はエコリーグ真っ最中で そうだ今頃
私は初代代表理事をやっていたのだ。
2000年 といえば私にとって
ものすごく思い出深い飛騨高山での
ギャザリングがあった年 で
私のまわりの人たちによれば
「あのころのイイダミキはすごかった」
のだと言われる頃だ。
何が?どう?誰が?一体誰のことなのかとか
それから何が変ったのかはわからないけど
その次は2001年になり 私は夏から
パリに留学をして 思いもかけないその1年の
経験は どうやら私の人生に
決定的な何かを与えてしまったらしい。
この1年で 私の中にあったいろんなものは
ガラガラと音をたてて崩れてしまったのだけど
だけれど今から振り返る と
もしかして ここで知らずに得てきたいろんなものが
その後の私を再構築した そんなものだったのかもしれない。
少なくとも 私はここで「カフェ」に出会って
「環境!」からいったん離れて その後は
アートやら学問やらにもちょっと目覚めて
そうして何やかんやの流れがあって 京大に
行くことにしたわけだ。
その後もまたいろんな出会いや流れがあって
浜名湖ユースでカフェもした し
ぎりぎりのところで大学院も卒業し
カメラマンになってみたり 結婚したり
妊娠したり 子供を産んだり 本を出したり
なんだか いろいろ あったなあ
20代のこの10年間が どれほど重要だったのか
果たして密度が濃かったのか そうでもないのか
わからないけど 私としてはなんだかあんまり
すっきりしない 大きな雲がかかってるような
そんな印象を受けてしまうから 30代になったなら
もっとスカーっと もっとスパッと
もっと自分であることを 楽しめたらいいなと思う。
どんな未来が待っているかは 今では予測不可能だけど
私はもっと笑っていたいし もっと幸せになっていたい。
そして自分が笑うこと で まわりの人も
少し幸せになるのなら 私はもっと元気でいたい
それには自分を知ることだ。
蓮太郎と向き合っていて 私はだいぶ自然になった
素の自分がなんなのか そして私はどこに
向かっていたいのか ようやく少し見えてきた
これからはもっと自分を活かしてそんなパワーが
いつしか社会に還元できたらいいな。