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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

子育ての重圧

2018年09月12日 | 女の生き方
日本では子供を産んだ女性は母親という存在になり、女性であるとか自分であるとか
そういうことは二の次になる。「あんたも結婚したんだから」
「あんたも母親なんだから」
「あんたの責任でしょ!」「しっかりしなさいよ!!」

正直いってこの国にはほとんど子供の育て方についてまともに
書かれた本がないと思う。子育てに困った人が本屋にいっても
見つかるのは「どうすれば有名大学に入れるか」
「一流の子供を育てるには」「東大生にさせるには」
そんな本ばっかりだ。それよりもっと
親になってしまった人が(子供の怪我や病気以外で)困った時に
まさにこれを読めばよかった、という本に出会うのは難しい。
仕方がないからまわりの知った顔をした人に尋ねてみると
「男の子はそんなものよー しょうがないわね」
「だまって座ってられるだけましじゃない」
「うちは2人いてもっと大変だったわよー」
「生意気になったのは自我が芽生えた証拠よー 中学になったら
もっと大変よ」と取り合ってもらえない。

困り果てて児童相談所の専門家とやらに相談すると
「生意気は仕方ありません。気にするだけ無駄です」とバッサリ。
生意気にもおそらくいろんな種類があり、「ふざけんな」とか
「だまれ」とか「うるさい」とかを親に向かって
日常的に言っているのは私はどうかと思うけど
そういうことを言うと「あなたがそれを言わせたんでしょう?」的な
反応が返ってくる。そう いつも そればっかりだ。
誰も助けてなんかくれない。それなのにいつも責められるのは母親なのだ。

漢字ができない。「お母さん、ちゃんと見てあげてください」
習い事がうまくできない。「飯田さん、ちゃんと見てあげてますか?」
生意気がすぎる。「お子さんも何か悩んでいるのでは・・・」
母乳の出がうまくいかない時からいつも、どこかに相談しに行くたびに
責められるのは母なのだ。「お母さん、ケーキ食べませんでしたか?
赤ちゃんが嫌がりますよ・・・」

確かにそれらは一理ある。本を読むとなるほどと思って反省もする。
だけど実際に顔を合わせて見てみると、ありえないこの生意気さに
どんなに我慢しようと思っていてもカチンとくることがある。
それでも彼らは言うのだろうか「しょうがないですよ・・・」

私にはわからない。子育てなんてわからない。
一番苦手なものは何ですかと言われたら迷わず子育てというだろう。
誰も私に子供のまともな育て方なんて教えてくれたこともない。
仕方ないから本を読もうと思っても、適切な本なんてほとんどない。
(だから必死でフランス語で読んできた)
じゃあ右にならうしかない?けれど日本には子供の前に自分を譲って
子供の言う通りにしている甘い親が本当に多い。
はじめは優しさのつもりだったけど?うちも確かにそうだった。
自主的で個性的な子供になってほしいと思って小さい時から
「どう思う?どうしたい?」と聞いていた。
個性を重んじると言われるフランスやイタリアではその逆だという。
そんなことをして子供にお伺いをたてているとまわりの人が
イライラした表情で私に聞いてくる。「誰が決めるの?
子供にまともな判断ができると思うの?」
「子供に自分の人生とられてしまってそれでいいの?」
「子育てしてるからって、自分の人生を歩まなきゃ!」
「厳しい言い方かもしれないけどね あなたのためを
思って言っているのよ・・・・」本当にそうなのだ、と
今になって身にしみる。私がなんとかこんな状況でも
子育てをやめずにいるのは、ひとえにフランス式子育てのおかげだと思う。


日本では母親の尊厳を第一に考えて何かを言われたことは一度もない。
そして皆平気な顔して私に告げる。「反抗期は長いわよー」
母親はただそれに耐えればいいのだろうか?また、これからも
子供のいいなりで振り回されればいいのだろうか?
約束を破るのも、平気で嘘をつくのも、仕方ないと
諦めていれば物事はよくなるのだろうか?

この国で女に生まれる意味というのは何なのだろう?
私は心底思ってしまう。この国で出生率を増やすなんて不可能だ。
明らかに 明らかに結婚して旦那さんはいるけど子供がいない女性の方が
楽しそうな人生を送っている。仕事で海外に行くこともざらで
自分の選択で決められる。子供がいたら?多くの場合
自分がこうだと思っても、まわりが「べき論」で責めてくる。

「そんなことしたら子供がかわいそう」
「ちょっとくらい我慢したらいいじゃない(子供が小さいうちは?
それとも反抗期を全部すぎるまで?合計何年我慢すればいいのだろうか)」
「あなたが子供を産んだんでしょう」(できちゃった結婚の人は?)
「親なんだから宿題の面倒くらいみないと学力が下がるわよ」
「あなた、そんなこといったって、あなたは恵まれている方なのよ」

そういえばフランスでは親は宿題の面倒をみないとかつて聞いたことがある。
夏の終わりの親子関係を最悪にする夏休みの宿題もないらしい。
子育てをしながら何度思ったことだろう、どうして女に生まれてきたのかと。
子供が可愛くて仕方ない!と思えないのは私が助産院でなく病院で
子供を産んだからか、それともシングルマザーでストレスが大きすぎるからか
それとも私の精神が病んでいるからなのかはわからない。
けれどこうしてここに書くのはおそらく私と同じような気持ちを
抱いている母親は日本に実は多くいるのではないかと思うから。
だけどそんな気持ちを吐き出すことは許されない。
そして彼女たちは今日もいつも、良き母を演じ、私からすると
嘘くさいような猫なで声で子供とコミュニケーションをとっている。
でも彼女たちもふと、私何やってるんだろう、と思う瞬間はないのだろうか。
よき母を演じることが仮面になってしまっていても
自分自身の人生を考える瞬間もあるのではないだろうか。
21世紀のこの先進国に、女性として子供を産んだことは
罰ゲームだったのではなく、新しい社会のあり方を考えるきっかけをもてたのだと
もっとポジティブに捉えられる日がきてもいいのではないだろうか。

母親になるのは大変だ。子育ての責任をなぜか1人で
背負わされるのは本当に重圧があり、その重圧は人を簡単に狂わせるほどの
力をもっている。子供を虐待した母親たちも、独身時代は普通の人だったのではないだろうか。
「大変だね」と一言声をかけるだけでなく、社会から母親たちへの支援がもっと
あってもいいのではないかと思う。それがなければ女たちは子供を産もうと
思えないのではないだろうか。
女に生まれたのなら子供を産みたいというのは当然の感情かもしれないが
理性で考えた時、喜びと重圧とでこれほど差がでてしまうなら、
やっぱり産むのはやめておこう、と思うのも当然かもしれない。

フランスに行くなら

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