京都に来て早二週間が経っているけど
そんな実感もないままに 朝がきて お昼になって
気がついたら日が傾いて 夕飯の時間になったと思えば
お風呂の時間がやってきて ああもう遅い!と眠る日々。
本当にあわただしく 全く余裕のない日々で
パソコンを開くことすらできなくて
以前ちらっと読んだ育児の本に
「切り取られた日常」という言葉があった。
お母さんの日常は 常に子供に分断されて
あっ 泣いた! あ 泣くかも! まだ寝てるかな?
いっつもそれを気にかけていて
何をしてても気が休まらない。
そんな私の唯一の時間はお風呂の時間なわけだけど
カフェくらいはいきたいなー
カフェ文化研究家とか名乗ってみたのに
カフェに行けない そんな日常。
先週の日曜朝にようやく三条スタバに舞い戻り
その後も一度朝にいったら もう素晴らしく環境がよく
朝日を浴びて 美しい山並みをみながらちょっとお茶
そんな時間て なんて素敵なんだろう。
けれども朝に行けるかなんて 本当に予測不可能な
ことでしかなく 今日も朝には行こうと思って
がんばって家事をしたのに れんちゃんがぐーぐー寝るから
仕方ない、と家に残る。朝に行ったら気持ちはいいけど
帰ると家事が待っていて それはそれで後がしんどい。
「外に行くのって行く前は楽しみにしてるんだけど
実際行くとすごい疲れてしまうんだよね、、、」と
お兄ちゃんのお嫁さんが言っていた。子連れだと
結局のところおむつであるとか泣いたらだとか
予備のなんたらだとかに気をつかって つかってつかって
気が気じゃなくて とてもじゃないけど
かつてのようには楽しめない。
かつてスタバに居た頃は ママさんたちを
暇そうだなーと思って見ていたけれど
今になったら あの人達がどんな思いで
あの場所に来てたかわかる。必死で時間を作ってたんだ。
切り取られた日常から 分断された時間の中から
少しでも自分を取り戻そうと必死の思いで
みんなああしてカフェに来た。
カフェは沢山の人をこうして救ってくれるけど
子供が泣いてもいいような そんなカフェなど
ほとんどなくて だからいっても ちょっと
ほっとはできるけど 後悔するかもしれなくて
外に出たい だけど出れない 本当にママは大変だ。
あまりに予測不可能で あまりに自分の時間はなくて
どうしたら余裕がでるのか 今の私にはわからない。
母は言ってた。「あんたは昔から一人でティータイムとか
楽しんでたけど そんなこと絶対できなくなるからね!」
そうはいえども実家では友人たちとお茶をしていた
こうして京都に戻って一人になったら 本当に
そんな余裕はなくて とにかく寝よう!と思ってしまう
だけど寝るのとお茶を飲むのは きっと効果も違いそうで
ずっとずっと 一人でお茶を飲み続けてた
そんな私の大切な時間 ほっと自分に戻る時間
それはやっぱり大事にしたい 睡眠時間を削っても、、、
「みきちゃんはね そうやって自由がないとか言うけどね
俺なんて全然自由な時間なんて持っちゃ居ないよ
みきちゃんは今までが自由すぎたの!」とげんきくんは
言っていた。外の世界で働く人も きっと多くはそうなんだろう
だからこそ みんなほっと一息 ちょこっとカフェに行くのだろう
カフェでもお茶でもすこしでいいから 自分に余裕を持たせるために
ちょっと自分に戻れる時間 そんな時間を大事にしたい