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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリ カフェツアー vol.2 パリの歴史的カフェ

2011年12月08日 | パリカフェツアー


「飯田さんがカフェのガイドをすることになったら、
僕がお客さん第1号になりますよ」
あれは去年の秋だっただろうか クルミドコーヒーの
地下でそんなお話をして それから私は夢を見て
いつだったか 影山さんに手紙を書いた。

 フロールのテラスを絵に描いて いつか一緒に
ここに座れたらいいですね、と・・・。



 その時は夢想だったのに。


 その手紙を投函してから1年くらいが経ったのだろうか

 おそらく思っていたよりずっと早く そしてもっと大規模に
その現実はやって来た。そう11人もの人と一緒に
影山さんと私はフロールのテラスに座ることができたのだ。




 影山さんがフロールにいる!!それは嬉しくて仕方ないことだったけど
その喜びをかみしめて浸る暇もなく1本の電話が鳴った。
「今晩のこと大丈夫なの?ミッシェルがおこってるみたいだよ」
これはまずい・・・

 ミッシェルに電話をすると、「ミキねえ どういうつもりなんだい?
何も用意できてないじゃないか。20人分のご飯をどうする気なんだ、
今ここには何もないよ?」「え?本当に、そんなに来るの?」
「だから呼ぶって言っただろ!」


 2日目の夜には友人宅で、ワインなんかを味わいながら
ちょっとした日仏交流会みたいなものをしようと企画していた。
しょちゅう自宅でサロンみたいなのを開いているミッシェルは
「フランス人たちはこちらで10人くらい呼ぶよ」と約束
してくれてたものの、2日前になっても「まだ呼んでないよ」という。
そんな様子に不安を抱き、フランス人はまあ3人くらいくればいいかと
思っていたら、彼は約束通り、いやそれ以上に知人達の
約束をとりつけてくれたらしい。流石ミッシェル!
「わかった、じゃあ18時に行くから!
用意はこちらでするから大丈夫。何も買い出ししなくていいからね!」と
なんとか納得してもらい 電話を切って席に戻ると
「そろそろ行きましょうか、、、」という雰囲気になっていた。
うー残念!もう少し余韻を楽しみたかったけれど
この日はとっても忙しいのだ。そう 2日目だというのにすでにハイライト。
今日はパリの歴史的カフェをほとんど全部巡るのだ。




 2日目は朝からサン=ジェルマン・デ・プレの歴史的カフェに行き、
お昼はフランス革命が生まれたと言われるカフェ・プロコープに行くプラン。
デプレの歴史的カフェ、ドゥマゴとフロールはあまりに
目と鼻の先なので、二手にわかれて入ればいいか、
お腹もきっともたないし、と直前まで思っていたけど 目の前で
ドゥマゴの立派な風格を目にしてしまうと こちらもやっぱり捨てがたい。



 
「隣り合ってるしお腹がタプタプになるだろうから」という
そんな理由で、一生に一度かもしれないというパリのカフェツアーから
どちらか一方のカフェをはずしていいものだろうか?
いや いけない・・・!!


 じゃあやっぱり両方行っちゃいましょう ということで
ドゥマゴもフロールにも行くことにした。
この選択は決して間違ってなかったと思う。





 「ドゥマゴはショコラが美味しいんです。7ユーロもするけど
他の店の4ユーロのショコラを2杯飲むより、ドゥマゴのショコラを
一杯飲む方が絶対いい!」とおすすめすると、半分以上の人は
朝からショコラ。お昼フランス料理だけどお腹大丈夫かな?と思うのは、
私だけらしく、みんなショコラを美味しそうに味わっていた。
私もせっかくだからとショコラを注文。この味はやっぱりここでしか
味わえない!というのはその後他店でショコラを頼んだ人からも出た感想。
ドゥマゴのショコラは、カカオを丸ごと口に含めたような、とろりとした
濃厚な舌触りと、優雅でしつこすぎない甘みがあって、しっかりしてるけど重すぎない。
ああ私はパリに来たんだ、と感慨に浸っていられる、ここにしかない味わいです。






 それから隣の本屋、la huneでデザイン系の本を物色し、少し
お腹を落ち着かせ、すぐ隣のフロールへ。お昼前のフロールは
もはやテラスに席はなく、あわや11人で店内の赤い革張りの椅子席かと
思ったけれど、何人かに別れたり、タバコが吸えるというので、
ガラスに覆われていない外のテラスに行く人たちも。
こうしてなんとか全員でテラスを楽しむことができました。





 「まさにこのフロールからいろんなものが生まれたんですよ」
と今でも神々しい輝きを放つフロールでちょっと説明。ここで
アポリネールがフィリップ・スーポーをアンドレ・ブルトンに
紹介していなかったなら、シュールレアリスムは生まれて
なかったのかもしれない。




 さて、デプレを少しだけ散策してからお待ちかねのプロコープに
到着すると、早速難題が待ち構えてた。


 12名で13時に予約したはずが、予約リストに名前がない。
嗚呼フランス、、、ついに来たなという感じ。でも「確かに
予約しました」と言い張ってみる。だって私の後ろにはもうご飯だ~!と
思っている11人が楽しそうに待ってるのだから。ありがたいことに
何が起こったかを知っているのは私一人だけのはず。
プロコープ!と思っていたみんなに「実は予約がとれてませんでした」
と言う訳には決していかない。

「すみません、ちょっと待ってくださいね」と何事もなかったように交渉開始。
「13時に他の人の名前で12人の予約が入ってますが、あなたは
この人じゃないですよね?」「違います、イイダの名前で予約しました」
と10分くらい強気で振る舞っていると「とにかく席はなんとかしますから
ご安心してください」という。通されてみると結局電話で聞いていた
丸テーブルの席だった。なーんだ、やっぱりあったんじゃん、、、
これがフランスでの交渉事始め。
それからこんなことの連続だった。




 2階の席に案内されるとワーっという歓声。歴史的で落ち着いた
雰囲気に鳥肌が立った人までいたらしい。ここでは30ユーロは
使うことを覚悟してたけど、何と21ユーロのコースがあって、
この雰囲気でこの値段は格段にお得だろう。なんせ日本のフレンチレストラン
でいうならランチから1万円くらいしそうな雰囲気なのだ。特に美味しかったのは
ポトフとアイスクリームで、プロコープの歴史の裏できっと活躍していた、
開店当初からコーヒーとともに名物だったアイスクリームは日本のラクトアイスと
同じな前で呼んでほしくないと思うほど別物だった。アイスというのか
イチゴというのか その中間でもないような・・・あのドゥマゴの
ショコラのように、初体験でとろけてしまって、うっとりするような味でした。
どうも フランスには快楽の味というのがあるような・・・



 プロコープで優雅に昼食を味わっていたら、お店が終わるともう
4時近く。仕方がないので予定変更。セーヌ川はまた今度にして、
オデオン通りを通ってリュクサンブール公園を抜け、
モンパルナスのカフェ地区へと向かう。




 寒くてピクニックどころではないリュクサンブールを
早足で駆け抜けて、天文台まで来ると、ヘミングウェイが愛したカフェ、
クローズリーデリラがある。彼がしょっちゅう見上げてた、剣を
振りかざすネイ将軍の像を我等も一緒に見上げたりして
あの時代に想いをはせる。そうここからモンパルナスの歴史が
はじまっていったのだ。ポール・フォールという詩人が開いた
詩の集いには、世界中から詩人や芸術家、音楽家たちが集まって
心地よいライラックの木に囲まれたテラスでお酒を
飲みながら詩に酔っていた。そしてピカソもやってきた・・・


「ここは1つの卵のようだった。この時代、フランスの首都において、
むしろ世界中で、精神的に最も活力があり、最も生産的な者たちで
一杯になっていた。すでに偉大で名声のある、もしくはこれから
そうなるであろう画家たち、彫刻家たち、小説家たち、思想家たちが、
キラキラと輝く長い部屋のまわりにならんだテーブルの前に腰掛けたり、
1つのテーブルからまた別のテーブルへと移動したりしていた。
ある人たちは、外のテラスで、夜空の方に剣をふりかざしている
ネイ将軍のまわりに植えられたマロニエの木の下で涼んでいた。
最も無謀であったり、最も古いものや最も新しい雑誌の
全ての編集部がこの時間に集合しているかのようだった。」 

(アルデンゴ・ソッフィッチの言葉 George Lemaire著 «café d’autrefois »より)

そんなクローズリー・デ・リラの詩の集いはめちゃくちゃうるさかったらしい。
でもきっと朝なんかはとても静かだったのだろう。




 緑の樹々に囲まれたこの店のテラスはパリといっても別世界。
ここだったら誰にも邪魔されずに心地よく
自分の世界に入っていられる、、、そんな素敵なカフェなのです。


 →つづく
 パリカフェツアーvol.3 モンパルナスの歴史的カフェと日仏交流ソワレ





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