爽やか。よくかき混ぜなかったから、最後が甘い(^^;
爽やか。よくかき混ぜなかったから、最後が甘い(^^;
昨日ふとテレビをつけたら、ちょうど始まるところで、、、思わずじっくり見てしまった
アメリカ人記者と現地ガイドの実話に基づく映画で、原作(?)も読んだことがある。カンボジア内戦、クメール・ルージュ、ポルポト政権の原始的な共産主義政策と大量虐殺、難民、、、その時代のニュースとして、今となっては歴史としてしか知らない。
しかし、カンボジア人ガイド・プランを演じるハイン・S・ニョール氏が、自身も共同農場で4年間労働に従事した後に難民となって国外に逃れた医師という事実を知って見ていると、その重みがあらためて迫ってくる。
クメール・ルージュがプノンペンをいよいよ制圧というとき、逃げ出していくのは西洋人たち。アメリカ軍が撤退を決め、大使館員を逃がす。アメリカ人記者・シドニーの同行者として、プランは家族だけを避難のヘリに乗せ、自分はシドニーと共に残る。平和裏に進軍してきたクメール・ルージュだったが、次第に粗暴な姿を見せ始める。身の危険を感じた人々はフランス大使館に逃げ込む。
しかし、外国人は身の安全を保証されるが、カンボジア人たちは保護されない。連れだってタイを目指す者、新政府軍に引き渡される旧政府高官一家。プランをなんとかして守ろうと、わずかに手元に残ったカメラと印画紙で写真を撮り、他人のパスポートの写真と貼りかえる記者仲間たち。。。画像は無残に消え、プランは出ていくしかなかった。
共同農場の生活は、肉体労働の厳しさと同時に、知識人への弾圧のおそろしさが描かれる。幹部はフランス語と英語で「教授、医師、学生だった者、私たちは許す」と言い、名乗り出た者とみんなの前で抱き合って見せる。しかし、彼らは“消える”。実際にニョール氏は医師だったが、自分の妻の治療をすることができなかったと聞く。
毛沢東の文化大革命もそんな感じだったけど、この知識を持つ者に対する深い恨みはどこから来るのか。知識を持てるかどうかが、革命のような超法規的な力でなければ打開できない格差の証であるとき、知識はそれ自体が憎しみの対象になるのか。
日本で、東大の学生は全国平均よりも豊かな家庭の子弟が多いという話を聞くと、塾に行けない子はいい学校に行けないのが当たり前の社会になんかしたくないと思う。塾そのものがほとんどない地方の公立学校で、却って学力が安定して高いという話も聞くから、方法はいくらでもあるはずなのだ。
シドニーがニューヨークの自室でプラン捜索を依頼する手紙を準備しながら聴いていたのが、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」。こんなところで荒川静香のイナバウアーを思い出してしまった ラスト、難民キャンプでシドニーとプランが再会するシーンで流れるのはジョン・レノンの「イマジン」。西洋人からすれば、ここはこの曲だろうな、と思う。エンドロールに流れるのは、おそらくカンボジア伝統楽器で演奏されている「アルハンブラの思い出」。不思議な雰囲気を醸し出していた。
たっぷり2時間半の映画、前にテレビで見たと思うけど、相当カットされてたかな? ウィキペディアには吹き替え声優の名前が載っているが、英語・フランス語の会話に重要な意味があるので、吹き替えてしまうとニュアンスが伝わらなくなる。民放で見たのかどうか記憶にないけど、どんな処理してたかな
カンボジア人同士の会話のほとんどに、字幕がない。オリジナルでも英語字幕などはなかったのか。何を話しているのかわからない不安感を、西洋人記者たちと一緒に観客(クメール語がわかる人を除いて)も味わうことになる。意識しての演出なのか。
この映画「キリング・フィールド」について、日本では賛否両論あったそうだ。映画で描かれたことが全て本当にあったことと受け取られたら、それは確かに違うかもしれない。
玩具のように銃をかかえて、遊びのように人につきつける少年兵が何人も登場していたのが、印象に残った。