イタグレと暮らす戌年男のブログ

 イタリアングレーハウンド(イタグレ)と過ごす中で、家族、趣味、出来事についての感想などを書きたいです。
 

「砂に埋もれる犬」終わり

2021-02-04 09:56:16 | 
 週刊朝日の連載小説「砂に埋もれる犬」(桐野夏生)が最終回となりました。

 連載小説2本が、同じ号で最終回に。
 「御坊日々」は最後に(了)とあり、「砂に埋もれる犬」は(終わり)と書いてありました。
 作者によって、終わりの言葉が違ってます。

 こちらは、まさかここで終わるの、という感じ。

 里親になったのに、思ったようにはいかないというのか、ある意味それを予期していたかもしれないけれど、予想していた以上に大変だったというのか。

 登場人物がこれから、どうなっていくのか、その先を知りたい気もするけれど、それを読者が想像する、考える、そういうことなのかな。

「御坊日々」了

2021-02-04 09:45:59 | 
 週刊朝日の連載小説「御坊日々」(畠中恵)が最終回となりました。

 明治時代の話なんだけれど、現在のことを指摘しているように思えてきました。

 特に最終回はすごく感じました。

 変化が早くて、ついていけなくなる。
 年配者がついていけないから、若者に教えてもらうんだけれど、その若者だってあっという間に置いてけぼりになってしまうかもしれない。
 江戸から明治というのか、江戸から東京というのか、そういう大きな節目と、現在の変化はまた違っていると思うけれど、いわんとしているのは現在の状況かも。

 今まで通りでいいのに。新しい機能なんてなくても、十分使えているのに。そういうことがたくさん。

 『世に遅れてしまう。いや暮らすのに困ってしまう』
 この指摘が現在のように思えてしまいます。

 政治家という人たちが登場したのも明治の特徴。
 そして、その人たちが利益を独り占めしようとしている。それもちょっとね、今のことをいっているかも。

 主人公の冬伯は
 『まあ、何とかなるか』という言葉で、気持ちが楽になるようにしています。

 『そうやって、己を許していければ、明日へ向かうのが、大層楽になるような気がしているからだ』

 そうなんですよね。それができたらいいんだけれど、あれこれ情報が入ってくると、気持ちがなかなかそっちにいかなくて、体調にまで影響がでたりするというのが、実感していることです。