運命とはある存在(もの)がつくり出した虚構である。その存在には将来がわかり、それを告知できるという虚構--。それは言い換えるならば、われわれは将来を変えることができないということだ。この虚構は神学的なものであり、それは、神には何一つ知らないものはない、という神の完全性から出てきている。この虚構に対抗するには、ただ、信仰を自由の中に置くこと--実際、自由こそ信仰にほかならない--しかない。自分の運命を変えることはできないと信じている人のことを、彼は信仰を持っていない、と言う。したがって、神学者が神の意志に縛られるのは信仰を欠いているからだ、と言わざるをえない。
□アラン(神谷幹夫・訳)『定義集』(岩波文庫、2003)
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