(1)1940年体制
戦時中の1940年前後に、一群の施策導入された。それらは産業界、金融、財政、官僚制などに及び、戦時総力戦体制を支えた。
敗戦時でなく、1940年前後にこそ大きな断絶があった。そこで日本は戦前の体制とはまったく違うものになった。この差は5年間しかないが、質的に非常に重要だ。
(a)金融
直接金融、株主中心
1942年 日本銀行法【注1】
⇒間接金融(銀行貸出中心)、従業員中心
【注1】戦時経済体制の理念を表す。
(b)官僚統制
企業は利潤を追求
1934~41年 各業界に事業法【注2】
⇒企業は国家目的のために生産性を上げる
1941年 重要産業団体令【注3】
⇒民間経済活動への介入
【注2】企業の事業経営を許可制にし、事業計画も管理。
【注3】業界ごとに統制会(カルテル)を結成し、民間企業の情報を取得。
(c)財政
地租・営業税が中心
1940年 税制改正【注4】
⇒直接税中心の中央政権的制度
地方財政が自主権を保有
【注4】給与所得の源泉徴収制度を導入。法人税と併せ、直接税中心の税体系に。
(d)企業
株主のための利潤追求組織
1938年 国家総動員法
⇒従業員の共同利益追求組織
1939年 賃金統制令【注5】
⇒終身雇用
【注5】初任給額から昇給額まで政府が決定。年功序列賃金や定期昇給の原型。
(2)戦後の1940年体制
戦後も1940年体制が生き残った理由は、戦後の復興期と高度成長期には、統制的な1940年体制が経済成長を助けた。
<例>間接金融をベースに金利規制などを行うことで、資金の流れの統制が可能になった。
中小金融機関に預金が集まっても、金利を自由に決めることができなければリスクの高い貸し出しは難しい。すると、余った資金は銀行間市場などを通して都市銀行に流れ、都市銀行は製造業や輸出業などの大企業に融資した。資金を必要とする産業に効率的にカネを回す仕組みが、高度成長を支えた。
(3)大転換期
1940年体制は、1980年代に大転換期を迎えた。
社会主義国の衰退が顕著になり、英米を中心に経済の自由化や国際化の波が押し寄せた。
先進国において、自由主義的な色彩が濃くなった。世界経済の仕組みが一変し、もはや1940年体制は機能しなくなった。求められたのは、
間接金融から直接金融へのソフトランディング
などだった。
しかし、改革は進まず、日本経済は今も「失われた」ままだ。
(4)戦時体制への復帰 ~アベノミクス~
安倍政権は、賃金の決定に介入し、異次元金融緩和では中央銀行の独立性を否定して、政府の目的に従属させた。あらゆる面で国家の介入を進めている。これは、今や有効性が薄れた1940年体制だ。
アベノミクスは、戦時体制への復帰だ。
□宮下直之(編集部)「戦時的な安倍経済政策」(「AERA」2015年8月10日号)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【言葉】官僚」
「【震災】統制経済の復活を許してはならない+「役所より役所的」な日本の電力会社」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、財政再建の基本は地方自治の確立だ ~1940年体制の改革~」
「【読書余滴】勝間和代の、人生を変える「法則」 ~1940年体制批判に対する心理学的エール~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(4) ~最後に残った40年体制:日本型企業~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(3) ~世界経済構造の大変化~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(2) ~二つの経済危機と1940年体制~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(1) ~増補版・1940年体制 さらば戦時経済~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、1940年体制とは何か」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、バブルをもたらした1940年体制」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、高度成長を支えた1940年体制」
「書評:『イラク戦争 日本の運命 小泉の運命』 ~1940年体制、日本の運命、鳩山政権の運命~」
戦時中の1940年前後に、一群の施策導入された。それらは産業界、金融、財政、官僚制などに及び、戦時総力戦体制を支えた。
敗戦時でなく、1940年前後にこそ大きな断絶があった。そこで日本は戦前の体制とはまったく違うものになった。この差は5年間しかないが、質的に非常に重要だ。
(a)金融
直接金融、株主中心
1942年 日本銀行法【注1】
⇒間接金融(銀行貸出中心)、従業員中心
【注1】戦時経済体制の理念を表す。
(b)官僚統制
企業は利潤を追求
1934~41年 各業界に事業法【注2】
⇒企業は国家目的のために生産性を上げる
1941年 重要産業団体令【注3】
⇒民間経済活動への介入
【注2】企業の事業経営を許可制にし、事業計画も管理。
【注3】業界ごとに統制会(カルテル)を結成し、民間企業の情報を取得。
(c)財政
地租・営業税が中心
1940年 税制改正【注4】
⇒直接税中心の中央政権的制度
地方財政が自主権を保有
【注4】給与所得の源泉徴収制度を導入。法人税と併せ、直接税中心の税体系に。
(d)企業
株主のための利潤追求組織
1938年 国家総動員法
⇒従業員の共同利益追求組織
1939年 賃金統制令【注5】
⇒終身雇用
【注5】初任給額から昇給額まで政府が決定。年功序列賃金や定期昇給の原型。
(2)戦後の1940年体制
戦後も1940年体制が生き残った理由は、戦後の復興期と高度成長期には、統制的な1940年体制が経済成長を助けた。
<例>間接金融をベースに金利規制などを行うことで、資金の流れの統制が可能になった。
中小金融機関に預金が集まっても、金利を自由に決めることができなければリスクの高い貸し出しは難しい。すると、余った資金は銀行間市場などを通して都市銀行に流れ、都市銀行は製造業や輸出業などの大企業に融資した。資金を必要とする産業に効率的にカネを回す仕組みが、高度成長を支えた。
(3)大転換期
1940年体制は、1980年代に大転換期を迎えた。
社会主義国の衰退が顕著になり、英米を中心に経済の自由化や国際化の波が押し寄せた。
先進国において、自由主義的な色彩が濃くなった。世界経済の仕組みが一変し、もはや1940年体制は機能しなくなった。求められたのは、
間接金融から直接金融へのソフトランディング
などだった。
しかし、改革は進まず、日本経済は今も「失われた」ままだ。
(4)戦時体制への復帰 ~アベノミクス~
安倍政権は、賃金の決定に介入し、異次元金融緩和では中央銀行の独立性を否定して、政府の目的に従属させた。あらゆる面で国家の介入を進めている。これは、今や有効性が薄れた1940年体制だ。
アベノミクスは、戦時体制への復帰だ。
□宮下直之(編集部)「戦時的な安倍経済政策」(「AERA」2015年8月10日号)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【言葉】官僚」
「【震災】統制経済の復活を許してはならない+「役所より役所的」な日本の電力会社」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、財政再建の基本は地方自治の確立だ ~1940年体制の改革~」
「【読書余滴】勝間和代の、人生を変える「法則」 ~1940年体制批判に対する心理学的エール~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(4) ~最後に残った40年体制:日本型企業~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(3) ~世界経済構造の大変化~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(2) ~二つの経済危機と1940年体制~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、経済危機後の1940年体制(1) ~増補版・1940年体制 さらば戦時経済~」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、1940年体制とは何か」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、バブルをもたらした1940年体制」
「【読書余滴】野口悠紀雄の、高度成長を支えた1940年体制」
「書評:『イラク戦争 日本の運命 小泉の運命』 ~1940年体制、日本の運命、鳩山政権の運命~」