<志があれば、お金をかけなくても社会は変わる。大切なのは、問題について愛情を持ち、しっかりと考えること。先を見通して用意する、それが物事の道理だと思うのよ。
いまの日本の食料問題は、たいへん危ない。では、何ができるか。考えた時にパッと浮かんだのが大豆だったの。このさき日本が行き詰まった時に、「大豆くらいは任せておけ」と言える人間がいたら、どんなに心強いか。そう思って、2003年に始めたのが「大豆100粒運動」です。
小学生が大豆を蒔いて水をやり、収穫して食べる。学校で豆腐やきな粉を作ったり、地元の農家に味噌作りを教わったり。地域とのつながりもできて、こんな素敵なことはありませんよ。小学生が書いた作文や絵を見ていると、食べ物を育てることでどれほど感動を得たのかよくわかる。ぜひ皆さんに見てほしい。
ゼロから始めた運動も、もう3万人を越えました。右から左に豆を蒔ける人がこれだけいるのは頼もしい。もっと増やさなくてはいけません。子どもの時に習ったことは、人間いくつになってもまたできるもの。いつか、彼らに頼らなくてはいけない時がきます。
全国7千軒の豆腐屋に、地元の農業高校が育てた大豆でお豆腐を作ってもらう試みもとってもおもしろい。有機・無農薬の国産大豆を一番喜ぶのは豆腐屋です。彼らは中国産の大豆がどんなに怖いかよくわかっている。手が荒れてしまうのね。それに高校生たちも、作った大豆がすぐお金になるのだから、農業のやりがいを感じる。豆腐屋1軒あたり1年に1トンの大豆を使うので、7千トンの国産大豆が必要になる。こうやって循環すれば、自給率も上がって日本の大豆は復活します。
大豆なんて、ちっとも難しいことはないのよ。日本は土が豊かだから、穴を掘って3粒ずつ埋めておけば、ちゃあんと育ってくれます。私も戦時中はずいぶん、助けられました。あなたも、庭で大豆を蒔いてみたらどうかしら。自分で作った枝豆で飲むビールは最高ですよ>
□辰巳芳子(料理研究家・1924年生)「大豆で日本は復活する ~戦前生まれ115人から日本への遺言~」(「文藝春秋」2016年9月号)
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いまの日本の食料問題は、たいへん危ない。では、何ができるか。考えた時にパッと浮かんだのが大豆だったの。このさき日本が行き詰まった時に、「大豆くらいは任せておけ」と言える人間がいたら、どんなに心強いか。そう思って、2003年に始めたのが「大豆100粒運動」です。
小学生が大豆を蒔いて水をやり、収穫して食べる。学校で豆腐やきな粉を作ったり、地元の農家に味噌作りを教わったり。地域とのつながりもできて、こんな素敵なことはありませんよ。小学生が書いた作文や絵を見ていると、食べ物を育てることでどれほど感動を得たのかよくわかる。ぜひ皆さんに見てほしい。
ゼロから始めた運動も、もう3万人を越えました。右から左に豆を蒔ける人がこれだけいるのは頼もしい。もっと増やさなくてはいけません。子どもの時に習ったことは、人間いくつになってもまたできるもの。いつか、彼らに頼らなくてはいけない時がきます。
全国7千軒の豆腐屋に、地元の農業高校が育てた大豆でお豆腐を作ってもらう試みもとってもおもしろい。有機・無農薬の国産大豆を一番喜ぶのは豆腐屋です。彼らは中国産の大豆がどんなに怖いかよくわかっている。手が荒れてしまうのね。それに高校生たちも、作った大豆がすぐお金になるのだから、農業のやりがいを感じる。豆腐屋1軒あたり1年に1トンの大豆を使うので、7千トンの国産大豆が必要になる。こうやって循環すれば、自給率も上がって日本の大豆は復活します。
大豆なんて、ちっとも難しいことはないのよ。日本は土が豊かだから、穴を掘って3粒ずつ埋めておけば、ちゃあんと育ってくれます。私も戦時中はずいぶん、助けられました。あなたも、庭で大豆を蒔いてみたらどうかしら。自分で作った枝豆で飲むビールは最高ですよ>
□辰巳芳子(料理研究家・1924年生)「大豆で日本は復活する ~戦前生まれ115人から日本への遺言~」(「文藝春秋」2016年9月号)
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