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2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】河上肇の、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(2)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
 (承前)

(4)貧乏をなくす三つの方法--『貧乏物語』(下編)解説
 貧乏の根治策を提示する。
  ①贅沢の抑制。
  ②所得再分配。
  ③産業の国有化。
 ③は、物の生産を私人の営利事業に一任するのではなく、直接国家の力で経営する「経済上の国家主義」というべきものだ。その後の歴史が選択したのは③だったが、『貧乏物語』は経済体制の改造は貧乏退治の根本対策にならないとしている。組織や制度を変えても、運用する人間そのものが変わらなければ解決にならないと記す。
 ということで、『貧乏物語』は②、③を否定して①に回帰する。江戸時代の贅沢禁止のお触れがあるように、突飛な考えではない。しかし、明治維新からまだ50年ほどしか経っていないという時代背景も大きかったと推定される。下級武士、農民から這い上がって富裕層に至った人が多かった。スマイルズ『自助論』を中村正直が訳したベストセラー『西国立志編』や福沢諭吉『学問のすゝめ』の延長線上に彼らはいた。

(5)善意の帝国主義者--ロイド・ジョージ論
 ロイド・ジョージは、1916年(第一次世界大戦中)に首相に就いた。貧困問題を国内で解決しようとすれば生産性を上げねばならない。労働者の視点に立てば、より搾取されてしまう状況が生まれる。そこで彼は、外に解決を求めた。内部の問題を外部で解決する帝国主義の道だ。
 これは米国などの域内においては新自由主義的政策を取るが、それ以外の「外部」に対しては帝国主義的な手法で利益をえるという、現在のTPPの論理と似ている。
 ロイド・ジョージを賞讃する『貧乏物語』は、帝国主義的側面がないとは言えない。しかし、それは当時の左翼に共通する傾向だった。現在では左翼といえば植民地反対を唱えるものと決まっているが、当時においてはそうではなかった。

(6)ふたたび貧困は社会問題になった
 『貧乏物語』は1947年に岩波文庫に入った。解題で大内兵衛(労農派マルクス主義者)は書いた。「日本の社会問題はもはや『貧乏物語』ではない」と。
 『貧乏物語』が刊行された第一次世界大戦のさなか、「貧乏」はまさに社会問題だった。貧乏が日本の問題であることを最初に示したのは『貧乏物語』だった。日本に資本主義が生まれてまだ時間が経っていないころ、「貧乏」が喫緊の課題だった。しかし、河上肇自身が『貧乏物語』を絶版にしたように、その後、マルクス経済学は『貧乏物語』を過去のものとして扱った。
 だが、大内発言を終戦直後という時代環境に照らしてみると、違った側面が見えてくる。
 1940年に成立した国家総動員体制は、厚生省を創設し、社会保険制度を生み、借り手を保護する借地法、借家法の改正につながった。貧困を根絶し、格差を是正するというベクトルが働いたのだ。しかし、それは資本主義が勝利したからでも、労働運動の力があったからでもなかった。国家によって上から総力戦体制が構築されたからだ。戦争をすることで格差が是正されるというピケティの主張は、この点で正しい。
 その後もしばらくは貧困は社会問題にならなかった。東西冷戦があったからだ。貧困が深刻になれば共産主義革命が起きるという恐れがあった。そのため、国家が介入することによって再分配をして福祉国家をつくる。日本では田中派政治がそれに当てはまる。公共事業(土建)を通じたかたちで富は再分配された。
 しかし、東西冷戦が終結すると、状況は変化した。共産主義の脅威を気にする必要がなくなると、再分配政策は捨てられた。冷戦後に新自由主義的な政策が世界的規模で拡大したのは、そのような背景がある。そして、貧乏はふたたび深刻な社会問題になった。
 いま『貧乏物語』を読む意味は、そこにある。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
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 【参考】
【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 



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