語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【京都】【出雲】神々の祇園祭

2018年09月15日 | □旅
●祇園祭後祭
 2018年の夏、祇園祭後祭(あとのまつり)の京都を訪れた。今年の京都は、四捨五入すれば40℃の酷暑が連日続く。ために重要な神事である花笠巡行が今年は中止されてしまったほどだ。
 後祭は1965(昭和40)年をもって途切れていたが、2014(平成26)年に復活した。私はこの年にも出かけているから、後祭に会うのはこのたびで二度目となる。

●祇園祭
 祇園祭の行事は、(一)山鉾町が主催するものと、(二)八坂神社が主催するものとに大別される。
 (一)のうち、「山鉾行事」だけが重要無形民俗文化財に指定されている。山鉾行事は、山鉾が設置される時期により前祭(さきのまつり)と後祭(あとのまつり)の二つに分けられる。山鉾行事のうち、「宵山」(よいやま=前夜祭)と「山鉾巡行」が名高い。

 
 
 
 
 (二)八坂神社が主催する神事は、 「神輿渡御」(神幸:7月17日・還幸:7月24日)や「神輿洗」(7月10日・7月28日)などが名高く、「花傘連合会」が主催する花傘巡行(7月24日)も八坂神社の行事といえる。神輿渡御においては、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る。中御座神輿には、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト、古称「牛頭天王」)を、東御座神輿には素戔嗚尊の本妻である櫛稲田姫命(クシナダヒメ)を、西御座神輿には素戔嗚尊の8人の子どもを載せる。大神輿3基は、御旅所(平時は土産物を販売する「四条センター」)に7月24日まで滞在する。

 
 
●スサノオ神話
 高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦に出会った。聞けば、最後に残った末娘のクシナダヒメも、もうじき食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、彼女との結婚を条件にヤマタノオロチ退治を申し出た。最初は訝しんだアシナヅチ・テナヅチ夫婦だが、彼が天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟と知ると喜んでこれを承諾した。
 スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変身させられ、小さな櫛となった。その櫛をスサノオは髪に挿しこみ、ヤマタノオロチ退治に臨んだ。
 スサノオは見事、十束剣によってヤマタノオロチを退治する。その後、スサノオはクシナダヒメと共に暮らす場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。二神は八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)をもうけ、大国主命(オオクニヌシノミコト)はその子孫である。

 

 というような神話が世に知られているのだが、出雲をめぐる神話には二つの流れがある。
  ①「記紀」(『古事記』と『日本書紀』)の出雲系神話
  ②『出雲国風土記』や「出雲国造神賀詞」の地元の出雲神話
 両者には違いがあって、①ではスサノオはヤマタノオロチを退治するが、この話は②にはまったく登場しない。
 他方、②には八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノノミコト)による雄渾な出雲創成譚(国引き神話)が展開されるが、これは①には載っていない。

●スサノオとアマテラス
 スサノオやその息子ないし子孫とされるオオクニヌシは、アマテラス信仰を信じる人々が日本列島に来る前に、人々が信じていた神々である。本来は戦争を行って、どちらの神々が強いかをはっきりさせないといけないところだが、スサノオ、オオクニヌシはアマテラスへ平和裏に権力を移譲してしまった(国譲り)。光の世界をアマテラスが支配し、闇の世界と死者の世界はスサノオ、オオクニヌシが支配しているということになった。
 神道の考え方では、日本全土は一応、アマテラスの統治下にあるわけだが、一ヵ所だけ、アマテラスの統治が及ばないところがある。島根県だ。島根県には出雲大社があって、あそこはオオクニヌシを祀る。スサノオ・オオクニヌシ信仰の中心地である。東京であれば府中の大國魂(おおくにたま)神社だ。
 埼玉県に境を接する東京都北部や、特に埼玉県を中心に、スサノオ・オオクニヌシ信仰の神社がたくさんある。例えば、武蔵国一宮の氷川(ひかわ)神社(さいたま市)は、スサノオ・オオクニヌシを祀る氷川(簸川)神社の総本社である。
 明治天皇もすごく注意深く行幸している。これは、不思議なことだ。なぜなら、天皇の祖先に国譲りしたスサノオ系は、いわば負け組なのだから。その負け組のほうが、なぜ武蔵一宮なのか。なぜ伊勢信仰の神社ではないのか。
 日本の国の謎を解いていくと、このスサノオ・オオクニヌシ信仰が出てくる。スサノオ・オオクニヌシ信仰を探っていくと、それはどこかで国家権力とぶつかる。伊勢のアマテラス信仰ではなく、出雲のスサノオ・オオクニヌシ信仰を採った大本教が、戦前、徹底的な大弾圧を受けたように。

●出雲の抵抗精神
 平城京が政治の中枢だった時代、天子は南を向いて政治を執った。中国の思想、「天子南面」に基づく。平城京も平安京も南を向いている。日本の寺社も、ほとんどそれに準じて南を向いている。
 出雲大社も南を向いているのだが、本殿に祀られているオオクニヌシは西を向いている。あまり知られていない事実だが、深い理由があるだろう。

□「みみより」(2018年9月号)

 【参考】
【出雲】神話と政治/出雲国造 ~八束水臣神津野命の正体(2)~
【出雲】国引きの神はなぜ隠れたか? ~八束水臣神津野命の正体(1)~
【出雲】日本的平和の原点 ~出雲大社と大山~
【読書余滴】「もののけ姫」再考 ~素戔嗚尊~





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