語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】ロシア ~米露中「大国の掟」(3)~

2016年12月19日 | ●佐藤優
 (1)12月15日にプーチン・ロシア大統領が来日し、安倍首相と会談を行う。一時は「北方領土返還に向けて動き出す」と期待が高まったが、その後、プーチンが「北方領土はロシアに帰属」と言い出したので雲行きが怪しくなった。
 どうしてこんなことになったのか。おそらく日本側がプーチン政権の権力構造を誤解していたのが大きな原因だ。プーチンは独裁者だから、プーチンさえ押さえれば北方領土は返ってくると勘違いしたのではないか。

 (2)たしかにプーチンは独裁者だ。しかし、たった一人でロシア政治を動かせるような専制君主ではない。ロシアには、いくつかのエリートグループがあり、その均衡の上にプーチン政権は成り立っている。実はそれぞれのグループがプーチンが独裁者であると見せることに利益を見出している、というのが実情なのだ。
 ロシアでは、ソ連時代のゴルバチョフにしても、ロシアになってからのエリツィン大統領にしても、複数の権力グループのバランスの上に乗っていた。ロシアの権力構造は、実は調整型のリーダーなのだ。

 (3)領土返還に関してクレムリン内でコンセンサスが採れていないのは明らかだ。
 ロシアでは漁業ロビーと軍が領土返還に反対の立場からプーチン周辺に働きかけているのは間違いない。漁業関係者は色丹島、歯舞諸島が返還されれば漁業権を失うから反対するのは当然だ。
 軍関係者は、議題に上がると見られる「北方四島の非軍事化」によって自分たちの国内におけるプレゼンスが低回することを怖れている。
 外交交渉では、障害になりそうなグループには事前に接触してロビー活動を行い、賛成の立場になってもらえなくても、中立の立場を取ってもらうよう工作するのが基本だ。ソ連時代に、共産党のほかに軍関係者や極東地区の知事との接触に力を入れるとか。
 現在の外務省もやっているのだろうが、大事なところを押さえられているかどうか。

 (4)事態が深刻なのは、交渉の窓口だったウリュカエフ・経済開発大臣が疑獄事件で逮捕されたことだ。日本側の担当だった世耕弘成・大臣はウリュカエフのルートで経済協力に関する情報を送っていた。内偵捜査は前々から行われていたはずだから、日本側が提供した情報がどこまでプーチンに伝わっているかわからない。そういうことから判断すると、日ロ交渉は抜本的な組み直しになる。
 今後は、これまでのようにプーチンとの個人的な信頼関係に期待するのは禁物だ。ロシアは個人的な信頼関係があると見える方がプラスだと見ると、首脳同士の信頼関係を演出することがよくあるからだ。
 〈例〉プーチンは、対IS問題で緊張関係にあったエルドアン・トルコ大統領とも良好な雰囲気を作り出している。
 厳しく利害関係が対立するわけだから、プーチンと森喜朗・元首相のような「柔道」という共通言語を持った個人的なコミットメントを期待するのは無理だと冷静に受け止めるべきだ。

 (5)ロシアの外交戦略には、「ユーラシア主義」と「面としての緩衝地帯」という二つの重要な概念がある。
 歴史的にロシア人は、自分たちをスラブ系の白人を中心とした「ルスキー」ではなく、「ロシヤーニン(王朝に忠誠を誓う人)」だと認識している。「ロシヤーニン」には、トルコ系、モンゴル系などのロシア帝国が成立する過程で領内に取り込まれていった様々な民族が含まれている。
 「ユーラシア主義」とは、その帝国としての自己認識をベースに「アジアとヨーロッパに挟まれたユーラシア空間は独自の法則を持つ」という考え方だ。ロシアは、欧州、米国、アジアとは異なる論理と発展法則を持っているとユーラシア主義者は主張する。
 さらに、ロシアを分析する上で重要なのは、地政学的概念である「緩衝地帯」だ。ロシアは国境を「線」ではなく「面」でなければならないと考えている。彼らは、敵対する隣国と国境を接することを極度に怖れる。それで国境には「ロシアの領土ではないが、ロシア軍が自由に動ける地域」を作ろうとする。第二次世界大戦後、ソ連は西側諸国との間に、ポーランドやチェコスロバキアなどの共産主義国家を作った。

 (6)以上を踏まえて北方領土問題を分析してみよう。
 まず地政学的に見ると、色丹島と歯舞諸島を引き渡した後、そこが「緩衝地帯」になるのかどうかをロシア側は重視しているはずだ。具体的に言えば、日米安保の適用除外地域になるかどうか。日本では、ロシア側の最優先事項が経済支援であるかのように報じられているが、それは間違いで、彼らにとって重要なのは経済問題より安全保障だ。
 そもそも領土と経済協力はバーターとして成立しない。しかも、その経済協力もロシアが相手だと簡単ではない。ロシアはODAの対象ではないので、日本政府が直接お金を渡すことができない。そこで民間頼みの経済協力になるのだが、民間企業が利益の出ない投資をすることはありえないから、政府の音頭取りにどこまで協力するかは未知数なのだ。

 (7)今後の日ロ関係において、注目すべきは2016年8月に発表された大統領府長官(官房長官)人事だ。抜擢されたアントン・ヴァイノはまだ44歳。駐日ロシア大使館に数年間勤務した経験がある元外交官で、プーチンの初訪日時にはまだ二等書記官だった。
 彼は大統領府の副長官時代から日程を管理する立場にあったから、プーチンとは非常に近い。今回長官に選ばれたということは、将来の大統領レースに残る一人だと見ていい。
 残念ながら外務省は、ヴァイノとのパイプがうまく構築できていないようだ。当然、プーチンは日本に関しては彼のアドバイスを求めるだろうし、日本の政治家は通訳なしで彼と話ができるわけだから、今後の日ロ外交を考える上でキーパーソンになることは間違いない。  

□佐藤優「米露中「大国の掟」を見極めよ」(「文藝春秋」2017年1月号)
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 【参考】
【佐藤優】米国 ~米露中「大国の掟」(2)~
【佐藤優】歴史と地理 ~米露中「大国の掟」(1)~