(1)1993年5月21日と23日、NHKは2回シリーズでドキュメンタリー番組「NHKスペシャル 調査報告 プルトニウム大国・日本」を放送した。
当時、国内では1991年に高速増殖炉「もんじゅ」が試運転を開始するなど、燃やした核燃料からプルトニウムとウランを取り出す「核燃料サイクル」の試みが本格スタートした。
しかし、米国など諸外国からは、核兵器に転用可能なプルトニウムを日本が保有することは「核武装」につながりかねない、と危惧する声があがっていた。加えて、高速増殖炉の開発は海外で次々と頓挫し、その実現性や経済性に疑問符がついていた。
こうした問題点を国内外の取材で浮き彫りにしたのが、この番組だった。
(2)「核燃料サイクル」を所管する科学技術庁(STA)は激怒した。
2回目の放送から5日後、5月28日、NHKの担当ディレクターおよび科学文化部記者2人が、科学技術庁原子力局長室で抗議を受けた。科学技術庁側の出席者は、石田寛人・原子力局長(当時。後に科学技術事務次官)、K・動力炉開発課長(当時)、S・調査国際協力課長(当時)の3人。石田は、番組のインタビューにも出演していた。
会談は、科学技術庁側が一方的に憤懣をぶつける展開だった。
NHK側は、簡単には折れなかった。
STA「技術的に間違いだった。説明の場を設けるべきである」
NHK「その予定はない。しかし上司には伝える」「番組に対するクレーム、指摘はなかった」
科学技術庁が報道姿勢を非難したくだりだ。NHKは反論した。他の指摘については、聞くだけだった。
会談は80分にも及んだが、両者の主張は平行線をたどり、結論は出なかった。
放送後、科学技術庁に担当ディレクターが呼ばれて抗議を受けた、と聞いている。番組は当時のNHKが総力を挙げて取り組んだもの。隙がないように相当知恵を絞って作ったが、国策に正面から疑問を呈する放送内容に納得できなかったのだろう。【番組に関わったNHK関係者】
(3)事は、これだけで終わらなかった。
会談後、科学技術庁から動燃に、次のような「指示」が行われた。
<STAより、雑誌、新聞等のマスコミや有識者を用いたNHKへの反論や、寄稿、投稿、電話によるNHへの対抗手段をお願いしたい、とのこと>【「西村ファイル」】
「やらせ抗議」の指示だ。
動燃は、国が出資する特殊法人だ。科学技術庁に「命脈」を握られている。
動燃は科学技術庁とのつながりが最も強く、人事交流も盛んだった。マスコミに反原発の記事が載った時など、食尽が科学技術庁に呼ばれ、「どうなっているんだ!」と叱責されることがしょっちゅうあった。とにかく科学技術庁の意向は絶大で、何かあるたびに「逆らうと予算がつかないぞ」と言われていた。【動燃OB】
指示は、事実上の命令だった。
(4)「やらせ抗議」は実行に移された。
指示のあった日の夜、T・動燃職員は動燃本社の各部署に架電し、課長、係長などの管理職に「やらせ」の指示を伝えた。M・労務課長代理が「了解」と応じたことが「西村ファイル」に記録されている。動燃本社広報室から東海事業所総務課へファックス送信が行われたことも記録されている。指示は、地方へも伝達された。
NHK書く放送局一覧(住所・電話番号・具体的な部署(経営委員会/考査室など)が配布され、併せて「やらせ」の例文が提示された。
<日本がエネルギーを確保するため機縁級開発することがなぜいけない>
<30年かけて研究開発に取り組んでいることへの非難がおかしい>
<将来のために研究している人に失礼だ。料金不払いも考える>
「将来のために研究している人」とは動燃のことだ。
NHKは受信料で成り立っている。視聴者の声に弱い。それを科学技術庁、動燃も知っていて、弱点をつこうと視聴者の声を装うことにした。原子力ムラでは常套手段だ。【動燃関係者】
(5)以上の一例からしても明らかなように、動燃は永田町だけではなく、霞ヶ関の官僚とも一心同体になって工作に邁進した。
「核燃料サイクル」は頓挫したままだ。番組が20年前に警鐘を鳴らしたとおりになった。
□今西憲之+本誌取材班「動燃はここまでやっていた 「科学技術庁が指示した NHK「やらせ抗議」」(「週刊朝日」2013年3月29日号)
【参考】
「【原発】動燃による反対派つぶし「工作」の記録 ~「西村ファイル」~」
「【原発】動燃の裏工作部隊 ~「洗脳」と「カネ」~」
「【原発】動燃の組織ぐるみの選挙~「西村ファイル」~」
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当時、国内では1991年に高速増殖炉「もんじゅ」が試運転を開始するなど、燃やした核燃料からプルトニウムとウランを取り出す「核燃料サイクル」の試みが本格スタートした。
しかし、米国など諸外国からは、核兵器に転用可能なプルトニウムを日本が保有することは「核武装」につながりかねない、と危惧する声があがっていた。加えて、高速増殖炉の開発は海外で次々と頓挫し、その実現性や経済性に疑問符がついていた。
こうした問題点を国内外の取材で浮き彫りにしたのが、この番組だった。
(2)「核燃料サイクル」を所管する科学技術庁(STA)は激怒した。
2回目の放送から5日後、5月28日、NHKの担当ディレクターおよび科学文化部記者2人が、科学技術庁原子力局長室で抗議を受けた。科学技術庁側の出席者は、石田寛人・原子力局長(当時。後に科学技術事務次官)、K・動力炉開発課長(当時)、S・調査国際協力課長(当時)の3人。石田は、番組のインタビューにも出演していた。
会談は、科学技術庁側が一方的に憤懣をぶつける展開だった。
NHK側は、簡単には折れなかった。
STA「技術的に間違いだった。説明の場を設けるべきである」
NHK「その予定はない。しかし上司には伝える」「番組に対するクレーム、指摘はなかった」
科学技術庁が報道姿勢を非難したくだりだ。NHKは反論した。他の指摘については、聞くだけだった。
会談は80分にも及んだが、両者の主張は平行線をたどり、結論は出なかった。
放送後、科学技術庁に担当ディレクターが呼ばれて抗議を受けた、と聞いている。番組は当時のNHKが総力を挙げて取り組んだもの。隙がないように相当知恵を絞って作ったが、国策に正面から疑問を呈する放送内容に納得できなかったのだろう。【番組に関わったNHK関係者】
(3)事は、これだけで終わらなかった。
会談後、科学技術庁から動燃に、次のような「指示」が行われた。
<STAより、雑誌、新聞等のマスコミや有識者を用いたNHKへの反論や、寄稿、投稿、電話によるNHへの対抗手段をお願いしたい、とのこと>【「西村ファイル」】
「やらせ抗議」の指示だ。
動燃は、国が出資する特殊法人だ。科学技術庁に「命脈」を握られている。
動燃は科学技術庁とのつながりが最も強く、人事交流も盛んだった。マスコミに反原発の記事が載った時など、食尽が科学技術庁に呼ばれ、「どうなっているんだ!」と叱責されることがしょっちゅうあった。とにかく科学技術庁の意向は絶大で、何かあるたびに「逆らうと予算がつかないぞ」と言われていた。【動燃OB】
指示は、事実上の命令だった。
(4)「やらせ抗議」は実行に移された。
指示のあった日の夜、T・動燃職員は動燃本社の各部署に架電し、課長、係長などの管理職に「やらせ」の指示を伝えた。M・労務課長代理が「了解」と応じたことが「西村ファイル」に記録されている。動燃本社広報室から東海事業所総務課へファックス送信が行われたことも記録されている。指示は、地方へも伝達された。
NHK書く放送局一覧(住所・電話番号・具体的な部署(経営委員会/考査室など)が配布され、併せて「やらせ」の例文が提示された。
<日本がエネルギーを確保するため機縁級開発することがなぜいけない>
<30年かけて研究開発に取り組んでいることへの非難がおかしい>
<将来のために研究している人に失礼だ。料金不払いも考える>
「将来のために研究している人」とは動燃のことだ。
NHKは受信料で成り立っている。視聴者の声に弱い。それを科学技術庁、動燃も知っていて、弱点をつこうと視聴者の声を装うことにした。原子力ムラでは常套手段だ。【動燃関係者】
(5)以上の一例からしても明らかなように、動燃は永田町だけではなく、霞ヶ関の官僚とも一心同体になって工作に邁進した。
「核燃料サイクル」は頓挫したままだ。番組が20年前に警鐘を鳴らしたとおりになった。
□今西憲之+本誌取材班「動燃はここまでやっていた 「科学技術庁が指示した NHK「やらせ抗議」」(「週刊朝日」2013年3月29日号)
【参考】
「【原発】動燃による反対派つぶし「工作」の記録 ~「西村ファイル」~」
「【原発】動燃の裏工作部隊 ~「洗脳」と「カネ」~」
「【原発】動燃の組織ぐるみの選挙~「西村ファイル」~」
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