語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>経産省と電力会社の関係 ~古賀茂明~

2012年03月03日 | 震災・原発事故
●日本の役所に根づく途上国体質
 原発の危険性は、他のものと比べて、程度ではなくて、質的な違いがある。ひとたび何かあったとき、取り返しのつかない大きな被害がでる。これを織り込んだうえでビジネスにするのは、本当は非常に難しい。
 欧米では原発の規制がどんどん厳しくなり、原発のコストは高い、ということになってきている。日本では、まだ安い、と言われているが、それはちゃんとした規制が行われていないからだ。廃棄物を全部処理することを含めて、絶対安全という基準を作ったら、民間ではペイしないものになる可能性が高い。
 東電国有化論が出ているが、国は一番ガバナンスが働きにくい組織だ。民間企業で安全にできないものは、国ではまずできない。
 原発の安全性を高めるための考え得る最高レベルの規制を作らずに、民間にやらせてきた。この仕組み信じきっているところに、そもそも問題があった。
 欧米の記者の最大の疑問は、資源エネルギー庁や原子力安全・保安院がなぜ国民のほうへ向いていないか、だ。賄賂によって抑え込まれているなら、まだわかりやすい。しかし、日本の統治機構がそういう仕組みになっている。深い構造的な問題があって、世界に通用する普遍的な言葉で説明できない。
 日本では、役所がまだ途上国体質なのだ。日本の政治には、殖産興業をずっとやって根づいた体質が、今も非常に色濃く残っている。規制しても、企業が成長するための規制をする。殖産興業の哲学では、電力は基本中の基本だ。国民の安全よりも国家経済の振興が先だ、という感じだ。

●電力会社を守る究極のモラルハザード
 電力会社は、何よりも安定供給が重要だから、無尽蔵に資源、コストをかけていく体質ができた。無駄を削るインセンティブがない。その最大の原因は、総括原価方式(かかったコストはすべて電気料金としてカウントできる)と公正報酬率(投資して保有する資産の3%くらいを利益として上乗せできる)という仕組みだ。利益を増やすためにはコストを増やしたほうがよい・・・・究極のモラルハザードだ。
 工事関係の発注とかパッケージで資材が入ったりして、中身がよく見えないものは異常に値段が高くなる。
 昔はキックバックもあったが、今は洗練されて、取引会社が天下りを受け入れたりする。
 ものを買ってもらう側からすれば、電力会社には足を向けて寝られない。大企業といえども、電力会社には文句を言えない。自家発電の設備を持っている大企業はたくさんあって、法律上はその電力を売れるが、電力会社に「売りたい」とは言えない。機嫌を損ねるから。ついこの間までは、スマートグリッドのスの字も言えない雰囲気があった。
 電力会社は地域の経済界を支配し、その影響は政治に及ぶ。各地の経済団体連合会のトップは電力会社だ。その経済界の支援を受けるには、電力会社と仲良くしなければならない。民主党も、電力総連とのつながりが強い。
 今、連合の関係の組合が、各地元で民主党員に踏み絵を迫っている。「あなたは原発廃止したいか?」
 野田首相も、原発をゼロにする、という言い方はしない。経済界にも政界にも、電力会社の意向に逆らえない、という雰囲気がまだある。
 
●フィクションとしての規制当局
 経産省も電力会社に逆らえない。
 電力料金にかかっている税金は、エネルギー対策特別会計の歳入になる。経産省は、この何千億円をばらまく権限を持つ。だから、電気料金を下げよ、などと市民の側に立つと、自分たちに火の粉が降りかかる。原発に使うカネも、電気料金でとった税金だ。それを使えなくなると、自分たちの権限がなくなる。
 電力関係は、関連団体も企業も星の数ほどある。そこに大量に天下りしているから、この大きな仕組みをがらっと変えるのは、経産省には不可能だ。
 経産省が本気で改革に向けて動き出したら、電力会社の強大な力に支配されている政治家が牙を剥いて襲いかかってくる。経産省の中の「改革派」はパージされる。過去、そういうことが何回も起きた。電力会社を規制する経産省は、電力会社より弱い。
 外から批判すべきマスコミにも同じような構造があって、電力会社の膨大な広告費に依存し、その結果、電力会社に支配されている。批判勢力が存在しない。
 原子力発電をやっている国は、基本的に軍が原子力に関わっている。純粋に民間だけがやっている国は少ない。米国のNRCには、軍で原子力に関わっていた人が多く、電力会社と癒着していない。
 日本では、原子力を管理したり安全を審査する能力がある人は、メーカーと電力会社にしかいない。政府側にそういう人を置こうとすれば、そこから連れてくるしかない。泥棒が泥棒を審査する構図だ。規制当局はフィクションだ。
 こんなシステムが今まで維持できたのは、たぶん、電力会社があんまり悪くなかったからだ。

●中央集権のシステムがある限り何も変わらない
 再生可能エネルギー推進は、電源の分散につながる。インターネットを含めて、世界では電力も分散化の道に入っていて、スマートグリッドを含めた新しい電力システムの開発が進みつつある。圧倒的に遅れている日本でも、その技術を持っている会社はいくつかある。人口1億人の日本には、それなりに需要があるから、日本IBMやGEジャパンがずっと研究してきた。だが、もう動かないだろう、と本社が判断し、そのリソースがどんどん中国に送られている。そこに日本に大震災が起きた。今、日本IBMやGEがスマートグリッドの新しい大規模実験に取り組んでいる。東北復興の一環としてそれをできないか、と。仙台や石巻に入ってやっている。
 再生可能エネルギーの全量買い取り制度は、まやかしだ。全部電力会社が買うから、中央集権の仕組みが温存される。結局、電力会社がすべてを握る。発送電分離も小売りの自由化もしない中でやっても、限界がある。本当の意味での競争が起きない。
 今の日本の電力市場でも、大口の電力供給は自由化されている。電力の6割くらいは自由化されている。東京の会社が東北電力から電力を買ってもよいが、地域を越えた供給はまだ1件しかない。競争が起こらない。
 経産省の利権を守る体質は、ものすごく強い。

 以上、インタビュイー:古賀茂明/インタビュアー:渋谷陽一「経産省で偉くなる人は、いかに電力会社と手を打つかというところをうまくやってきたんですね」(『私たちは原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』、ロッキング・オン、2011)に拠る。
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