よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

福沢諭吉のアンチテーゼ:学問=実学=サイヤンス

2009年03月06日 | 技術経営MOT
慶応とは田町駅をはさんで反対がわでイノベーション研究の田辺孝二先生と昼食をとりながら雑談。その後、上野に立ち寄って「未来を開く福沢諭吉展」へ。

たったの2500円で展示会と同じ名称の一冊が手に入るのだ。それも極めつけの一冊が。この大著は、慶応義塾大学150周年記念とあって、カラー上製印刷、431ページ、主要参考文献リスト、展示物一覧、関連年表つきだ。福沢諭吉、明治という時代を俯瞰するには格安のプラットホームのような本だ。

いやー、慶応、力が入っています。早稲田も、募金ばかりじゃなくてちゃんとした本を出版して世の中に還元してね笑)



さて福沢諭吉は外国でよく写真に納まるのが好きなスタイリッシュな好漢だった。
「学問のススメ」の十七編でも、快適な弁論・弁舌とともに表情・容貌の大切さを熱心に説いている。

諭吉は、弁論、表情、容貌にかかわる力を「人間交際」という言葉で語る。それは広い意味での「人間交際」=社会との関わりをプラクティカルに進める実学上の要請から来るものである、とするところが諭吉らしい。John Stuart Millの熱心な読者であった諭吉である。そしてもちろんミルは、Seven Liberal Arts(自由文芸七科)の系譜に立ちつつ、Jeremy Benthamの功利主義を養護し拡張した。

神仏基にまったく傾倒だに見せないカラッとした性格の諭吉はそれまでの神儒仏の系譜で語られてきた和風教養主義を退け、功利主義に立ったリベラル・アーツを説きまくった。なので、キリスト者であり、武士道を説いた新渡戸稲造は諭吉を「西洋かぶれ」と論難し、伝統的な勢力からは暗殺されかかったりもした。

自由文芸七科なんていいう用語は諭吉は使っていないが、実際のところ、諭吉は、明治の時代に新しい教養主義を実学普及の立場から説いたのだ。和漢籍を押さえている諭吉は、節々に四書五経を引用するが、徳川幕藩体制を正当化し福沢家を圧迫してきた儒教ドクトリンについては語気荒く批判した。

「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」(『福翁自伝』)とまで書いている。

ちなみに、諭吉の原稿には学問=実学=Scienceとし、「サイヤンス」とルビを振っているのを発見。う~ん、サイヤンス。なるほど、「エ」というより「ヤ」のほうが英語の発音に近い。

Scienceをたんに「科学」と言ってしまうと、このあたりのニュアンスが消えてしまう。マックス・ヴェーバーのWissenschaft als Beruf:Science As Professionも「職業としての学問」と訳されているではないか。

いずれにせよ、諭吉の学問はそれまで、日本でデファクトだった神儒仏による和風リベラルアーツに代わって、洋学(ウェスタン・サイヤンス)の先端的思想だった功利主義を明治知識階層と勃興すべきミドルクラスに接続した。特に諭吉が重視したのは「私立の人」。私立の学校に通う人ではなく、自主独立の起業家という意味だ。いい言葉だ。




ガラス越しとはいえ、至近距離から「文明論之概略」写本を見入る。文章構成、統語法をまとった主張もスタイリッシュだ。極めつけはこの一文。

「試に見よ,古来文明の進歩,その初は皆所謂異端妄説に起らざるものなし」
Consider if you will how, since ancient times, progressive steps in civilization were always UNORTHODOX at the time they were first proposed.

このメッセージは、この展示会のThesis statementとしても採用されている。慶応関係者の意気込みが伝わってくる。

異端妄説、UNORTHODOX、つまり、伝統、正統、権力と拮抗する「叛」の側から文明、そしてイノベーションは始まるのだ!はからずも昼食時のテーマと重なった。



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