よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

黒田裕子の看護診断講義!

2005年11月06日 | 健康医療サービスイノベーション
土曜日はケアブレインズ・マネジメントスクールで、幕張新都心にて北里大学看護学部の偉才の碩学、黒田裕子さんをお招きして、NANDA看護診断、看護介入、看護成果の理解と事例への適用に関するセミナーを開催。全国から140人の熱心な受講者に集まっていただいた。

医療、看護、そしてヘルスケア全般の大きな変革のうねりのなかで根拠のある看護(EBN)の実践、看護サイドの臨床判断能力の向上、そして科学的な看護の必要性が叫ばれていている。

このような時代の流れのなかで、たんに流行に乗り遅れないために看護診断をかじってみるという動きもなくはない。しかし、看護診断はたんなる一過性の流行トレンドではいけない。よりクリエイティイブに看護診断を実践するためには、適切な看護診断にもとづいて看護の過程を変革してゆくのか、が問われる。

知の転換が求めらているのだ。
臨床判断に際して使う知。
記述する知。
行動に活用する知。

看護診断はこれらの知の突破口あたりに凛として佇んでいる。

おおげさに言えば、看護診断の方法論的体系は、これらの知を提供、共有するプラットフォームだ。看護界では、まだだれも議論を始めていないが、看護診断の方法論的体系は看護におけるサービス・サイエンスの出発点なのである。

プラットフォームやサービス・サイエンスの視点がほとんどなかったのが日本の看護の知的状況だったと言えば、言いすぎか。

いずれにせよ、共通言語がなければ、高度な議論、問題解決のための方法論進化、技術の革新は期待できない。その意味で、看護の共通言語化、看護診断の方法論がアメリカから生まれてきたのはとくとうなずける。そして電子カルテの導入や、問題解決志向の看護記録、クリティカルパスの導入など、直接的に共通言語がなくてはならない状況が切羽詰ってきた。看護診断とその体系のなかでの共通言語が抜き差しならないほど必要になって来ている。

セミナー後、みんなでビールを一杯。のつもりが、二杯、三杯と。専門的な話はよこに、数年前の看護研究学会の前の晩に、黒田先生やみんなで飲みすぎて二日酔いでプレゼンテーションをやったこと、などなどわいわいと昔話系の話に花が咲いた。エスプリに満ちた、楽しいひと時。


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3 コメント

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面白い記事でした! (黒田裕子)
2005-11-07 12:25:31
やることが早い!のが何よりです。わたしの周囲は仕事が遅い人だらけ・・・松下先生のいち早い鋭い議論には本当に拍手です。私も本当は看護診断の啓蒙活動だけに終わらせず、もっとグローバルな視点から看護診断の研究を科学的に追究しなければならないと痛感しています。ともあれ動き出さなければ・・・と思います。知的刺激をありがとうございます。
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NANDAを理解してもらうには (宇留野 千尋)
2009-11-29 20:22:42
突然のコメント失礼します。私は看護師ですが実は今働いている施設での記録にかんしてみんなバラバラで思いついた表現のため読み手によって全く受け止め方が変わる危険な状態にも関わらずだれもそれに気づいていないまたは気づきたくないという状態です。看護診断以前の問題ですが、せめて共通言語かされているNANDAを使い患者のプランニングくらい共通認識できるように変えて行きたいと思っています。もしもこれに関して説得材料になりようなサイトをご存知でしたら教えてください。NANDAなんて古い!!と拒絶的な集団で困っています。(なぜ古いと思うのか分かりませんが・・・)
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なんだかんだ言ってもNANDA看護診断 (ヒロマット~)
2009-11-30 09:00:18
4年前の記事をお読み頂きありがとうございます笑)古い記事でもちゃんと残るブログというメディアは面白いですね。

さて、言語というものは客観的な存在ではなく、その言語を運用する集団が想定している前提(共同幻想あるいはカルチャー)に依拠せざるをえません。

ゆえに、サイエンスの世界では世界を記述する言語=術語を確定します。看護学がサイエンスたろうとしたら、記述言語の標準化は必然といってよいでしょう。

職場でバラバラに記録して、その読み方もバラバラという状況はリスキーですね。看護診断の最近の動向は:

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02839_01

あたりにかいつまんで紹介されています。ぜひ参考にされてください。





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