よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

里山はアウトドア系オープンサービスの宝庫

2006年05月05日 | 自転車/アウトドア
仕事の御縁で多古にある里山に寄り添う古民家でのBBQにお呼ばれにあずかった。

里山は、文字通り、人と山の世界が交わる世界。そこは、人が暮らしてゆくために手を入れた所で、田んぼや畑を耕し、薪をとり、木材を切り出し、炭を焼き、山菜や魚などを採って、生活を営むためのnaturalでartificialな場だ。

この季節、このあたりの里山はありとあらゆる命の芽吹きが重なり合い、足元の草花から広葉樹の林冠までの空間は、荘厳にして静謐な生命のカミングアウトに満たされる。五月晴れの爽やかな風はそんな濃淡さまざまな緑の木立をそよぎ渡り、甘美な香りさえも匂うがごとく、頬をなでる。風香るという言葉は、この季節の低地広葉樹林の里山の風にこそふさわしい。

ひとしきり、ビールで焼肉、ホタテ、さざえをご馳走になってから5-6人の老若男女で里山散策に出かけた。緑の小径には、ツツジ、セリ、フキ、ハハコグサ、ノビル、ショウジョウスゲ、ヤブカンゾウ、サンショウ、タケノコがところせましと自生している。ときおり、畑の向こうをキジが走り、空にはトビはおろか、白鷺、猛禽さえも舞う。そんな豊穣な空間の底辺である地べたに向き合い、おとなも子供も、みなでわーあー歓声をあげながら、タケノコを掘り出し、山菜を摘む。

広葉樹の林を抜け、あぜ道を伝い、集落の一画を歩けば、スサノオの尊を祭る熊野神社が鎮座し、千手院なる密教の系譜を継承する古寺も程近い。宗教的にも里山は多様だ。そこでは、神佛さえもが共存し、習合する。里山は、異質な「もの」や異質な「こと」を解け合わせ、交わらせる不思議な空間だ。そこには、そこはかとなくも歴然と、多神教のクニ、ニッポンの原風景が横たわっている。そして道端の雑貨屋の脇には「神の国は近い」なんていう錆びた標語を掲げるプレートも。

ああ、なんという豊かな時間が遍満するつつましやかな祝福に充満した小宇宙か。振り仰げば、時間が里山の端でおもむろにたたずむように静止しているかのようだ。そして惜しげもなく、春の太陽は暖かな日差しを天空から、この多古の地に息吹きかけるがごとく降り注いでいる。

豊かな遊びは、やはりオープンな野外にこそ存在する。naturalとartificialが交わる場にアソビは生まれるのだ。里山はおおいなるアソビの場なのかもしれない。そして、そこは、ちょっと注意を向ければ、人が自然と交わり、織り成し続けてきた生活の場、精神世界への扉が待っているのかもしれない。

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